「商業新聞の意義と限界、そして『救い』」新聞記者 森のエテコウさんの映画レビュー(感想・評価)
商業新聞の意義と限界、そして『救い』
独立系の製作で、大手資本の配給。
実際の現政権の一スキャンダルをモチーフにした内容。
第43回日本アカデミー賞2020、最優秀作品賞、最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞受賞。
その他、監督賞、脚本賞、編集賞、ノミネート。
先日の日本アカデミー賞では、シム・ウンギョンさんの受賞がハイライトであった。スピーチで涙にくれる彼女を見て、こちらももらい泣きの感動をいただいた。
そして、見逃していたその作品を、ぜひ観たいと思った。
イオンシネマでのアンコール上映を訪れると、200余りの座席に、4~5名の観客。
昨日は、新型感染症の特措法成立を受けた現首相の会見があった。
この作品が、日本アカデミー賞の主要3部門を受賞した理由を考えながらの鑑賞だった。
あらすじは、国民の側であろうとする商業新聞の女性記者と、政権の安定を図る内調〈内閣情報調査室〉に属するエリート官僚が、権力の闇を世に問わんとする硬派な内容。
あれ、これは現政権下でつい最近まで国会を空転させていたスキャンダルではないか。この作品が公開された時、まだ延々と公費の無駄遣いが国会で繰り広げられていたのではなかったか?
という位、旬なテーマであり、それは一部悪役とされた者々の起訴という幕引きが計られているが、未だに決着をみていない。
現政権に対する反権的な要素により、違った覚悟を持って撮影に臨んだであろうスタッフ、キャストの皆さんの仕事は、緊張感のある、やはり素晴らしいものだった。
おちゃらけた遊びは微塵もなく、新聞記者吉岡エリカが夢の中で、やはり新聞記者だった父の誤報を悔いた自死とされた亡骸を前にして泣き崩れる場面や、妻子を人質に囚われた構図の中、正義と保身の狭間で憔悴し、中央官庁街路を挟んで、エリカに向かって『ゴメン』と唇を震わす場面は、胸に来るものがあった。
モノトーンを基調とした内調のシーンと、街路樹の黄葉やスクーターが刷りたての新聞を配り行く街並み等の日常風景の色調の対比により、国家権力の営みと庶民の日々の営みとの解離が強調され、なんとも言えない抑圧感が漂う。
印象的だったのは、国家的スクープ記事が一面に踊る新聞が輪転機から高速で生み出される場面、そしてそれが間も無く、家庭、コンビニ、街売り、と社会に拡がっていく様だ。
近年、インターネットでミニマムな情報が社会に瞬時に行き渡る社会に変貌している中で、精査や選別、さらには造られた情報が均一に発信されるマスコミという形態の意義を感じるとともに、それらのほとんどは見えない大きな力によって操作されているという限界も突きつけられる。
さて、この作品がなぜ日本アカデミー賞の評価を得たのかという問いであるが、その答えは『救い』なのではないか。
国家権力の中にも、国民を守りたいと願う個が存在する事。
神崎が最期に杉原に送った手紙が、検閲されることなくダイレクトメールに混じって配達されている社会。
権力の犠牲となった父の死を乗り越え、自分を信じ疑いながら父と同じ新聞記者を志す吉岡エリカの矜持。
それらをリアリティーありきで演じ切った二人の主役。
そして、現政権の中で現政権のスキャンダルを映画に作り公開できるこの国の在り方。
それらに『救い』を見い出したが故の、日本アカデミー賞の評価だったように思う。
日本人で新聞記者の父と韓国人の母の間に生まれ、米国で育ち、父の遺志を継いで真実を追い求める新聞記者役を、自身のアイデンティティーを基に才能豊かに演じたシム・ウンギョンさんと彼女を輩した韓国の皆さんに、心からの祝福をお贈りします。