「疑え」新聞記者 U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
疑え
スリリングな話ではあった。
社会派サスペンスとかに分類されるのだろうか?よく映画化したな、できたなとその功績を称えたいと思う。
必要な情報は全て映画の中で語られ、物語の枠組みがしっかりしてる印象。
「権力の監視者」って立場のジャーナリズムだとか、SNSを駆使し印象操作を計る内閣情報調査室や、その成り立ちだとか。
嘘か真か分からないけれど、それぞれしっかりとした輪郭を感じられた。
なかなかに興味深い世界観であり、楽しめた。
のだけれど…
後一歩、踏み込めなかったか?
踏み込めない事情もあるのだろう…その辺りの事情も本編から読み取れたりはする。
「マスゴミ」なんて言葉が出来るくらい信用度の低いマスメディア。ジャーナリズムとはまた別の括りなのかもしれないが、我国では同列に成り果ててるような気もしなくはない。
このジャーナリズムの無力化は、権力側の情報操作の成果であるのかもしれないって話が前提としてある。
で、まぁ、実際にあったレイプ事件をベースにしたエピソードなんかも盛り込まれ、焦点は大学設立を隠れ蓑に建設される戦争兵器の研究機関を政府主導で計画され、時の首相が懇意にしてる業者に多額の血税が流れ込むって話になる。
それを白日の下に晒す記者の視点。
映画だから仕方がないのだが…ジャーナリズムが語るのは正義ではない。極論、真実でもない。事実なのだと思うのだ。
その事実が歪められていたのなら、歪められていたという事実を語るものなのだと思う。
ちょいと話しが逸れたのだけど、この観点から作品を観るとちょいと違う楽しさもある。
作品の中では「事実を追求できる限界」なんてのも描かれていて、レイプ事件などは結局ウヤムヤにされる。
そしてそれが異常であるという認識が僕らにはない。よりセンセーショナルな議題が浮上した時、埋もれていってしまう。
永遠に上書きされ続けていくのである。
だが、当事者達の戦いは続く。
その話がまた表舞台に出てくる事はあるのだろうか?むしろ引きずり出すのが仕事じゃないのだろうか?
だけれども、この記者達も諦める。
おそらくそれに疑問を抱く人もいないと思う。「そおいうもんでしょ」と頷くのだろう。
大学の話とかは、もう権力側が悪としか描かれない。映画だから仕方がないのだけれど。
だけれども、綺麗事だけで世の中は出来てない。それがまかり通る程、人間は賢くないと思ってる。
「なぜ戦争兵器を開発せねばならぬのか?」私腹を肥やす為だけなら糾弾もするべきだろう。でもそこへのアンサーはない。だから観客は思う、なんて横暴なんだ、と。
これがマスメディアと民衆の縮図でもあって…発信者の思惑に誘導されている。つまりは、体良くあしらわれているのだ。
そんな事を考えながら見てると、この作品の記者達は果敢に権力に挑みながらも結局は無力であったりする現状を描いているようにも思う。
プライバシーを人質に取られ、家族を人質に取られ、生活を人質に取られてる。
それらを無視しジャーナリズムと心中できるような人間はいるのだろうか?
「権力の監視者」なんてのは、もっともらしい幻想に思える。
内閣情報調査室の室長は言う。
「決めるのお前じゃない。民衆だ。」
その通りだと思う。
だが問題は、その決定権を持ってる民衆が「まぁ、どっちでもいいんじゃない?勝手にやっといてよ。」と我関せずな点だろう。
今も闇営業とかでメディアは賑わってる。
やはり民衆なんてチョロいなぁと思う。
そんな事よりも、ニュースの片隅にあったけれども参院選挙の真っ只中で、とある学園の園長夫妻と実の息子が、「恥さらし!」だとか「裏切り者!」だとか罵り合ってたって記事があった。
同じスキャンダルを追うならこっちの方が断然掘り下げ甲斐があると思うのだけど、そちらを向いてる報道機関は居ない印象。
マスメディアがひれ伏してるのは、金と権力で、そこに所属しているジャーナリストは、もはやジャーナリズムを語るペンさえ取り上げられてるのと変わらない。
餌を与え続けられてる犬は、牙を研ぐ必要性がなくなるのと同意である。
ただ、問題提起をする上で先駆者達である事は揺るぎない役割だとは思った。
だが、追随する人々がいなければ、いくら鋭い刃先であろうと容易に折れる。
そして、余談ではあるが、正義感なんてものを振りかざすのは論外なのである。
正義なんてのは立場によってコロコロ変わる。もっと言えば個人の主観なのだ。
道徳観はある程度の共通認識はありはするものの、文化が違えば観念ごと変わる。
正義も道徳も普遍のものではない。統率する為に準備された鎖のようなもので、とても優秀なシステムだと思う。
だからこそ、そんなものをベースにジャーナリズムを積み上げてはいけないのだと思う。
それは、さておき。
作品的には終始スリリングな展開で、女性記者の焦燥感が印象的で、窒息寸前のジャーナリズムを表現しているようでもあった。
▪️追記
あれこれ皆様のレビューを拝見し、色んな意見を読めた事に意義を感じる。
ラストカットに関するものも多くて、考えてみた。
松坂氏の口は「ごめん」と動いたように俺には見えた。それに返答する記者。何か発しようとした刹那に画面はブラックアウト。エンドロールが始まる。
何というか、彼女が何を言ったかは問題ではなく、彼女の声は届かない、もしくは掻き消されるって暗喩のように思えた。
松坂氏の役所は官僚ではあるものの、情報提供者でもあり、新聞記者以外の国民でもある。
そんな彼は何らかの圧力により口を噤む。
その者達へ、なのか、記者自体の発言なのかはわからないんだけど、何せ彼女が音を発しようとした瞬間にブラックアウト。
彼女の声は聞けずじまいだ。
映画として映像に残らないという事は記録にも記憶にも残らない。
つまりは、編集という外的な力によって遮断される。現代におけるジャーナリズムの立ち位置というか、無力さにも通ずるのかもしれない。
…深読みかなとも思うのだけど、ラストカットは、そんなメッセージなのかと思えた。