「「この国の民主主義は形だけでいいんだ」」新聞記者 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「この国の民主主義は形だけでいいんだ」
ドラマ“相棒”のようなタッチで描かれるポリティカルサスペンス作品である。原作者は東京新聞の有名な女性記者らしいが、小説との内容差違は不明。あくまでも映像のみで感想を明記する。
前述したとおり、作りはあのドラマオマージュなのか、それともあれがフォーマットなのか、雰囲気がそう思わせるのか、構成の順序や、ラストのカタルシスを与えない、観客に委ねる結び一つとっても既視感を感じさせる。サスペンス感が前面なのだが、一応そのテーマは、人間の本質である“正義”と“保身”の相克であろう。ましてやそれが究極な立場ならば尚更その岐路を悩むし、正解など有ろう筈もない。その狭間で揺れ動く若き官僚と、父親の弔い合戦=社会正義の思いに陥っている帰国子女の女性記者のバディものというストーリー展開は、メインストリームなのだが、間に挟み込まれる出来事がかなり興味深い内容である。それは実際に起った事件を彷彿とさせる内容に、陰謀論に近い裏の仕掛けをフィクションとして織込んでいるところである。その最もたるが、内調によるネット印象操作。確かにSNSや5ちゃん、ヤフコメ、まとめサイト等、なぜここまで腐った人間が無批判に現政権に沿ったおもねりをするのか疑問であったが、その答えをスバリ提示したようで腑に落ちてしまうところが鋭い。勿論“作り物”であり、内調がそんな子供じみたことをする程暇でもなかろうが、一つの可能性としての提案として理解出来る。獣医学部が実は化学兵器や細菌兵器を製造するための隠れ蓑として、『ダグウェイ羊事件』になぞらえた謎解きをしてゆくのも面白い。
ただ、何故だろう、どうしてもチープ感が否めないのだ。それは演じている役者達が過去作に於いてその役回りそのままに当てはめれてしまっていて却って良い意味での違和感というか斜め上からの攻めが見受けられないのである。特に、悪の親玉であるところの田中哲司は、何度もこの役回りをテレビドラマで演じた筈であり、逆にこれがステレオタイプみたいなフォルムになっているので深みが感じられないのだ。勿論主役である女性記者役の韓国の俳優は別なのだが、これが逆にクセが強すぎて浮いてしまっているのは演出なのか、それとも“事故”なのか。。。オドオド感とまるで“刑事コロンボ”よろしく飄々感が同居する筈もないのに無理に落とし込んでいるので、演技がチグハグなのである。あの無理に猫背にした姿勢も意図が計りかねる。彼女の立ち位置をハッキリさせないと、自分も含めてミスリードを引き超しかねないと感じた。それは、ラスト、松坂の目の前で、田中哲司が女性記者に電話で語る場面に於いて、実は父親は誤報ではなく真の報道であったことを語ったこと。これは彼女に伝えたようで実は目の前の松坂に響く話である。その後、外務省へ戻すニンジンをぶら下げられた松坂は、女性記者のそもそものエンジンであるところの死んだ父の真相に辿り着けたことで彼女も目的を達したに違いないと勝手に解釈してしまったこと、自分の古巣への移動に、最大限心が揺れ動く。目の下にクマまでつくり悩み続けた男の、その最後の悪魔の囁きに屈してしまう流れがあっての、バッドエンドで落とすべきであったと強く思うのだが、女性記者の真の意図が上手く演出されていないことと演技の無秩序感が相俟って、本当の彼女の真意が表現できていないのではないだろうか。自殺した元上司の娘が、葬式シーン後にパッタリ成りを潜めてしまったことも、折角“娘”という存在がかなり強い結びつきを持ち得ているのに生かされていない。別に今作は巨悪を倒すカタルシスを主目的にしていないのだろうから、そのどうしても勝てない人間の脆弱さを、“正義”の御旗を纏いながらその儚さを押し出すベクトルが欲しかった。それは主人公の女性記者が結局、裏切られるという“道化”役に堕ちることでその諸行無常感が演出されると思うのだが。多分、件の女優は、ほんとはもっと素晴らしい演技が表現できるだろうにその胡散臭さばかり鼻についてしまい、非常に可哀想である。