「ただの映像作家から華麗な映画作家へ」人間失格 太宰治と3人の女たち つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
ただの映像作家から華麗な映画作家へ
蜷川実花監督の過去作である「さくらん」と「ヘルタースケルター」は、ただ画が綺麗なだけの退屈な作品だった。それが前作「ダイナー」では画の綺麗さで物語を動かせるようになり、映画監督らしくなった。そこからさらに磨きをかけて、本作では、ただの映像作家から映画作家へと変貌を遂げた。
全編を通して良いシーンが多かったが、特に良かったところをいくつか。
とりあえず、シュールな修羅場の連続で、笑えないけど笑えるようなコミカルとシリアスの混在したバランスは面白かったと先に書いておく。
まず、祭の夜の一連のシークエンス。編集者の佐倉と太宰が口論になり、「書いてくださいよ。人間失格」の流れは太鼓のBGMと相まってアクション映画を観ているような高揚を感じた。
いつまで斜陽の話をしてんだよと思っていた時でもあったし、祭の高まりと人間失格への太宰の意欲、そしてそれを期待する観ている者の高まりを合わせてくるとは不意を突かれた良いシーンだった。
次に、太宰が家を出ていき、美知子が妹の葬儀から家に戻ってきたシークエンス。
キャラクターに色が紐付いていることは誰の目にも明らかなのでいいとして、もう少し深く見てみると、青は美知子の色であり、家族、家庭、調和、生の色だったかなと思う。そして赤は、太宰の色であり死の色でもあった。
それを踏まえて、美知子が帰ってきた誰もいない家は色を失い、窓の外だけがぼんやりと青い。太宰がいなくなり家庭が壊れたことを示唆する。
窓の外から娘が登場し、息子が真っ青なペンキのようなものをこぼす。家族の色だった青が流れ完全に崩壊したかに思えた次の瞬間に、その青いペンキを顔や服に塗りたくっていく。
一瞬壊れた家族を太宰抜きで再生し始めたのだ。
泣き、笑い、抱き合い、また青い家庭を取り戻す場面は、ちょっと長かったようにも感じたが、この場面の宮沢りえが一番良かったし、監督が長く撮りたかったのかなとも感じた。
そしてもう一つ。太宰は今まで人のことを小説にしてきた。自分と向き合い自分のことを小説にすることを出来ずにいた臆病な男。
それが青い家から閉め出され、病魔におかされ、金銭的にも追い込まれたとき、やっと書く覚悟を決めた。
雪の中で吐血し「日の丸だ」と言うシーン。白は小説を書く原稿用紙の色。そこが太宰の色である赤に染まるのは、自身のことを書いた「人間失格」を表す。
しかしそのまま倒れ、真っ白な雪に飲み込まれ息絶えそうになるが、富栄に助けられ「よくやった」と言う。本当だよ、メタ的な人間失格の完成だけでは意味ないからね。
そのあと、青い家がバラバラになっていく中で書き続ける太宰のシーン。美知子に言われ自身もそう思った、何もかもブッ壊し書くの映像表現は素晴らしかった。
面白かったし、よく作り込まれていた作品だったけれど、作品内での坂口安吾の言葉を借りるなら、バカでも痺れるような作品とまではいっていないようで、今後の蜷川監督に更に期待する。
今さらないとは思うが、路線変更だけはヤメテね。このまま突き進んでほしい。
最後に余談。
違う女性と何度も心中するというのはどんな状況なのだ?と昔は思っていたのだが、人間失格を読んだときに、死にたい人と死にたい人が惹かれ合ってその状況に至るのだと知った。
つまり、死の臭いを振り撒く太宰の小説は、共に死んでくれる人を求める人を引き付ける。
ラストの「死にたいんです。今ここで」は、それをよく表していたなと思った。