「作家・太宰 治 人間・津島修治」人間失格 太宰治と3人の女たち 野々原 ポコタさんの映画レビュー(感想・評価)
作家・太宰 治 人間・津島修治
自分の身の上にフィクションを織り込む作家
見聞きしたノンフィクションに想像を織り込む作家
端的に物語の創作は二分されると思います。
「文学者・太宰治は前者である!」
と、映画的にはそう言いたいんですが
晩年期につれ、その傾向が強まった…
と、史実的にはしっくりくる気がするし
「前者でもあり後者でもある!」
と言ってしまっても差し支えないほど
私生活が混同していたから
スキャンダラスな憶測を呼んだのでしょう
…が、現実と創作が互いに影響しあっているときが
作家にとっていちばん乗っている時期だとも思えます。
そういう意味では晩年期が最も円熟味のある
〈太宰の作家としての到達点〉であり
〈修治の人間としての終着点〉でもあったという事実が
太宰が残した文学を、より一層引き立て
わたしたちを惹きつけるんでしょうね…
そして、三島由紀夫もまた私小説のような
自身の想いをカタチにした作品を残しました。
【自伝的な面を反映した作家・太宰治と三島由紀夫】
そういう時代だったからでしょうか?
そういう時代だったからでしょうね…
では別の言葉でくくってみましょう。
【自ら命を絶った作家・太宰治と三島由紀夫】
そういう時代だったからでしょうか?
いや、このふたりが《特別》な存在だったのだと
今やわたしたちの知るところだと思います。
「ぼくは太宰さんの文学が嫌いです!」
劇中でも史実でも、三島は太宰にこう言います。
「やたらと死を匂わせる弱々しい文学が!」…と。
太宰も三島も似た者同士…
そのことを、同じ匂いを、三島は感じ取り
太宰を意識しての発言だったのだろう。
わたしの思う、このふたりの違いは
我が身に美意識を求めたのが三島
我が身になりふり構わずに、他者に…
女性達に美意識を求めたのが太宰
だったのでしょう…
写真家はときとして被写体である人物の内面を
ファインダー越しに感じシャッターを切るそうです。
そんな写真家であり、映画監督でもある
蜷川実花さんならではの切り口とキャスティングは
過去作はもちろん、本作でも充分に
彼女の強味になっているし
“蜷川印”とも言うべき作品に仕上がっていましたが…
前作『ダイナー』からビビッドな色彩が
徐々に抑えられてきていると思いましたが
本作『人間失格』ではビビッドは封印にも等しい
落ち着き振り、しかしその色彩感覚を
明暗のコントラストとして表現するに至っていて
確かに“新・蜷川印”を観れた気がしました♪
でも今回、最もわたしが惹かれたのは
実花さんでも、キャスト陣でもなく
脚本を手掛けた【早船歌江子さん!】
翻訳脚本を手掛けた戯曲『お気に召すまま』を
観劇して間もなかったので、どうしても
下敷きにして映画を観てしまって…
官能的な喜劇:お気に召すまま
能動的な悲劇:人間失格 太宰治と3人の女たち
この2作品がシンクロしてしまってヤバかった!
でも実花さんファンのわたしにとっては
『ダイナー』以上、『ヘルタースケルター』以下と
冷静に本作を位置付けするだけには留めておきます。
あともう一言だけ!
劇中の最後、机に執筆に向かう起点となる
重要なシーンに言及させて!
降雪のなか、吐血してもうダメか?って所で
なぜ太宰は“万歳三唱”したのでしょうか?
三島由紀夫は自決する間際、万歳三唱しました
その史実を受けてのシーンでもあり
この時点で、死をまたひとつ乗り越えてでも
作家として『人間失格』を書かねばならぬ!
という迫真性を示していたのだと思い
わたしにとって印象的なシーンとなりました♪