影裏のレビュー・感想・評価
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ザクロは人間の味がするんだ
今野(綾野剛)、日浅(松田龍平)、西山(筒井真理子)が勤めているのは盛岡の医薬品卸売業。今野が東京から転勤になったのですが、彼は営業、日浅や西山は裏方でもある倉庫係兼配送担当。ここで、“段ボール課長”と女子社員から呼ばれるほど人気者ではあった日浅だが、配送だと出世も見込めないなどと揶揄されてもいた。一方、営業職(MSと呼ばれる)の日浅は3年で本社に戻れると噂される出世コースだった。ちなみに製薬会社のMRとは、資格を取得した医薬品情報担当者であり、この作品には登場していない。
すでにこの設定から“影”という存在をチラつかせていたように思う。営業は担当の医療機関を回り、医師と直接会ったりして注文をもらったりする仕事。今野くらいだったら、女子社員や得意先にもモテモテだと考えてしまうが、実は今野はゲイ。東京を離れて孤独を感じていたが、日浅と知り合い、飲んだり釣りをしたりして親交を深めていく。かなりアウトドア派の日浅。ある日、彼の唇を奪おうとした今野だったが、彼にはその気はなかったのだ。気まずい関係にはなるも友情にヒビが入るほどではなかった。
そして連絡もなしに会社を辞めた日浅。ここから彼の謎めいた空白時間がいっぱい出てくるのですが、ひょっこり今野の元を訪れたのだ。そしてまた親交を深めるものの、祭礼互助会に加入してくれと頼まれる。なんだかんだで、2011年東日本大震災に見舞われた東北地方。日浅はその日、釜石に出向いていて、行方不明となってしまったのだった。
「明るいところを見てるだけじゃだめだ。人を見るときは影の最も暗いところを見なきゃ」という台詞と、「屍の上に立っている」という言葉がぐさりと突き刺さる。日浅の真意はいかに?といった展開でもあるが、西山さん、彼の父(國村隼)、兄(安田顕)から過去を聞かされ、知らなかった日浅の一面が浮かんでくる。いや、一面というより日浅の影の部分。人格をも形成する真の日浅だったのだ。しかし、それがわかったところで大学時代の4年間、彼は何をやっていたんだ?と言う疑問が残るし、金の使い道もさっぱり不明のまま。想像力をたくましくさせてくれるものの、それなら彼の明るい部分だけでいいや!という気持ちにもなる。今野にとっては、日浅の陽の当たる部分が好きだったのだから・・・と思う。
非常に良かった
影がある人間とは、主人公今野のことなのだろう。そういう意味では、映画のあるすじ紹介は日浅に影があるように誘導してしまっているのがよくない。原作の世界観をうまく映画化した成功作だと思う。性転換した女性が出てくるが、非常に不気味である。
怒
オチなし、内容なし
一体何をみせられたんだ?
綾野剛のモッコリをみせたかったのか?
ひさびさ、ダメダメなやつだった。
こんなのを、お金とってみせるなんて、どうかしてる。
数年前の松坂桃李と、今をときめく沢尻さまの映画以来だ。
難解な映画です(原作を読んだとしても)
松田龍平が好きなので見に行きましたが、難解な映画でした。
映画を見た後に原作を読んで多少補完できましたが、それでもわからない部分が多いです。
原作と映画で少し終わりが異なります。
それでも日浅が結局生きているのか死んでいるのかは曖昧です。
そこを曖昧にしておくことで想像を掻き立てることが作者の狙いなのかなという風に感じました。
これぞ映像化不可能、小説=文字でないと無理
これが本当の実写化不可能作品です。
久しぶりに観終わってもちんぷんかんぷん。
ん?だから何?、え?どういう意味?
ネタバレサイト見てようやく意味がわかりました。
綾野剛が演じているのでネタバレにはならないと思いますが、原作では、前半は主役である「今野」が苗字のみで男性なのか女性なのか分からないようです。物語の後半で、体は男性であることが確定していく、、、という物語らしいです。
(ここでは心の性別は書きません)
どうやら読む人によっては「今野」女性だと思い込むらしく、男性だとすると話が変わってくる。もう一度はじめから読み返したくなる、というところが、絶妙らしのです。小説だと文字だけで想像なのでこの設定が使えますが、映画では無理がある。綾野剛が演じていますし、冒頭の下着の膨らみで、男性だと確定してしまうから。
映画ではここが描けないので、
ん?だから何?
え?どういうこと?
???となってしまうようです。
これは演技や演出ではどうにもなりません。
唯一考えられるのは、世間では全く知られていない性別不明の新人俳優を使うしかないですよね。
映画にすること自体が無理があるようです。
想像すると、、綾野剛の役をボーイッシュな女性が演じていれば、同じ脚本でも全く違うストーリーになるかと。
演者も素晴らしい演技だし、映像も重々しく、隠された何かが、、、と期待が持てるものでしたが。
気づいたら豪華キャストですね
ハッキリと好みが分かれる作品。
気の弱い綾野剛と飄々とした松田龍平が好きなら観られるでしょう。
自分の隣に座ってたお兄ちゃんは仕切りに足を組み換えため息をもらしてた。
冒頭の筒井真理子とのやり取りを見せておく事で何気ないシーンの連続の中に緊張感が一筋通っていて話の結末が気になった。
裏の顔と言うけど、その裏の顔しか知らない人にはそれが表の顔だし、10人いたら10人に見せる表の顔があると思う。もっと言えばその人にはそういう風に見られたいという事だと思うのよね。
だから自分は表の顔で判断するし、その人の裏が見えてきたとしても、そういう表なんだと思ってる。
もはやただのBL映画
綾野剛と松田龍平の関係性だけに着目すれば、
今野(綾野剛)が日浅(松田龍平)を好きになったけど、日浅が最低なやつで、最終的には今野が日浅に利用されたことが分かり、「結局、私もただの金づるだったのねー。えーん。」で終わるという、クソしょうもないストーリー。
原作未読だが、原作にはBL要素がないということなので、おそらく最後の今野の号泣シーンはもっと別の意味だったんだろうと思う。
原作が芥川賞で震災も織り込んでるということで、おじいちゃん、おばあちゃんも見に来ていたが、彼らはどういう気持ちでこの映画を見ていたのだろう。
今野と日浅の関係性がただの恋愛話になってしまっているのに、震災を絡める意味がまったく見いだせなかった。震災をからめたせいで難解な印象ができてしまっている気がする。
この映画のストーリーは最初に書いたとおり、好きな人が実は最低なやつで、とっても悲しいというクソ単純な話。
ただ映像はキレイだった。
そもそも原作が難解…
東京の浅草・浅草寺に、影向堂と云うお堂があって、これを(ようこうどう)と読みます。
実は、影裏も経文の一部として知られていて、(ようり)と読むのが正しいとされています。
この原作を読んだ時、よく理解できないなと正直思った。
短い小説だし、読みやすいテンポの良い文章なのにもかかわらずだ。
そして、映画化されると聞いて、正直、大丈夫なのかと思った。
ただ、映画を観て、ちょっと、なるほどと…。
そもそも、芥川賞の選考委員の村上龍さんは、何を言いたいか分からないと言っていて、あー自分だけじゃないのか、あー良かったと思っていた。
ただ、ヒントもあった。
同じく選考委員の宮本輝さんは、中国の禅問答の言葉から抜き出したタイトルの意味をもっと分かりやすく伝えるような構成にすべきではないかといった批評をしていたのだ。
その一文が「電光影裏斬春風(でんこうようりしゅんぷうをきる)」。
漢文で正確性は担保できないが、意味としては、
剣を突き付けられた僧が兵に向かって言う。
「【雷(電光)が光(影)って(裏)、春風を斬る】ようなもので、魂までは滅することなどできないのだ」と。
そして、魂というのは、悟りを開いた者の悟りのことらしいのだ。
それでも、当時から「??」と思っていたが、今回、この映画を観て、実は、少しスッキリした。
以下、ネタバレになるように思います。
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まず、この異様で謎の行動パターンの日浅が、今野の回想の場面を含めて二回言う、
「明るいところだけ見ててもダメだ。人の裏を見ないと。影の最も濃いところを見ないとダメだ」
そして、朽ちた木に生える苔を見て「俺たちはしかばねの上に立っている」というセリフが、観る側の僕達に印象づけられて、映画タイトルとの関連性を想起させ、混乱させるように思った。
例えば、人の影の最も濃いところの裏は、実は、しかばねなのか…とか。
そして、日浅が、津波に向かって、たじろぐことなく、タバコをくゆらせながら、少し微笑んでいるように見える場面を通して、ハッとする。
実は、先程紹介した、電光影裏斬春風は、「人生は一瞬であるが、悟りを開いた者は滅びることなく、存在し続ける」のたとえだ。
もし、日浅のセリフをもって、さも悟りを開いたような人物で、生死も不明で、消失して尚、皆を惑わせるとしたらどうだろうか。
いや、だが、日浅が悟っているはずなどない。
そして、今野がゲイであることは、決して影などではないはずだ。
きっと、この小説自体が、全体を通して逆説的なのではないかと思った。
本来は光という意で使われる影を、さも暗い部分であるように想起させたり。
巷にSNSで溢れる、さも悟ったような書き込み。
しかし、誰も悟ったなんて思っていない。
匿名性が高く、そいつが何処にどんなふうに存在しているかも分からない。
僕達の生きる世界と同じだ。
僕達の生きる世界の空気感と同じだ。
村上龍さんが、よく分からないと言ったのは、率直な感想だったのかもしれないが、実は、僕達の世界をよく分からないと言っているのと同じじゃないのかとさえ思えてきた。
実に、奇妙な作品だった。
彼ら2人にしか演じられない役
この芥川賞受賞の原作を読んだ時、これをどう映画化するのかと疑問に思った。特に日浅が消えたこと以外にこれといった展開がないからだ。単調な淡々とした作品になってしまうのではと思った。
実際、淡々とはしていた。ただ、役者陣の個人技はさすがだった。松田龍平の感情があまり出ない表情、綾野剛の自信なさげな猫背の背中、筒井真理子の必ずどこにでもいるパートさん、中村倫也の存在感、目の動きだったり口元だったり、台詞の一つ一つに彼らの思いが表現されていたと思う。
また、芦澤さんことカメラウーマンの視点が、非常に綾野剛ファンを喜ばせる、エロスを極めたカメラワークをされているのでそこも見所の1つだと思う。
3.11の震災もからんでいるので、大切な人、家族や恋人、友人が突然、目の前からいなくなってしまうことが本当にあること。そして、岩手のたくさんの美しい自然が溢れていたが、その自然が災害が起きると一気に脅威に変わること、これも影の部分であろう。
日浅は時々、人生わかってるような、一見深そうな言葉を言う。屍の上に生きてるとか人間の1番影の濃い部分を見んだよとか、今野だって彼を掴めきれなかった。結局、作品を観ても最後まで彼を何一つ理解できない。彼はどういう人生を歩んできたのか、何をしたかったのか…
そう考えると、人間は表に見せてる部分とは違う裏の部分があって、今野にとっては同性愛者ということなんだろうけど、皆そうやって何かを抱えて生きているということなのか。
作者の沼田さんにこの作品に込めた思いを聞いてみたいものである。
難しい
さすがに単調すぎ。
想像力がないと理解するのが難しい。
主題は人は見かけによらないから気を付けろよ、か。
またそんな信頼できないやつでも、愛してしまい、最後は生きてて報われた今野の気持ちに共感してくれよな、か。
あと突然消えた訳でもないような気がする。
原作をよもう。
誰でも弱いうそつき
「流れ酔い唄」という歌をご存じの方は少ないかもしれない。大分県出身の不遇の歌手山崎ハコが二十歳で発表した大変に味のある歌だ。その1番の歌詞は次のようである。
うちの目にうつるは あんたの嘘だけ
うまいこと言うて心は 別のことを思いよる
それでも責めることは ひとつもありゃせん
誰でも弱いうそつき 弱いほどに罪深い
本作品の世界観はこの歌のそれに似ている。綾野剛が演じる主人公今野は人柄のいいゲイの青年だ。田舎の未通女(おぼこ)が正体の知れぬ都会の男に惹かれるようにして、松田龍平が演じる日浅に惹かれる。しかし凡その都会の男がそうであるように、日浅も実は底の浅いつまらない人間だ。
人が嘘を吐(つ)くのは山崎ハコの歌の通り、弱いからである。自分の価値観がないか、または信じ切れず、世間の価値観に負けてしまっているから、それで嘘を吐く。虚栄心は世間の価値観に依存している証だ。例えばゴータマ・ブッダには虚栄心はない。世間の価値観も時代のパラダイムも、ゴータマの前では何の意味も成さないからである。だからゴータマは決して嘘を吐かない。イエスもマホメットも同様である。世間の価値観から自由になって独自の価値観を説いた人々は、弱さを克服した人々なのだ。
思えば世界は弱い人で溢れ、嘘で満ちている。世の価値観から自由になって寛容さを獲得するのは至難の業だ。世間がそれを許さないという側面もある。異分子に対する弾圧はいつの世も自由な人を苦しめてきた。弱い人は自由な人を許さない。世に蔓延するヘイトスピーチはその現れだ。
主人公今野の生き方は美しい。寛容であり、嘘を吐かない。外見からは想像しづらい強さがある。弱い人を守ろうとする優しさがある。人は強くなければ優しくなれない。本当に強い人は弱そうに見えるものなのである。綾野剛は名演だった。日浅には今野の強さが見えていなかった。それが見えていたのは、中村倫也が演じた副島だけである。
それに対して日浅は弱かった。松田龍平の演技もまた見事である。日浅は禁煙の場所で喫煙し、利いた風な口を利くが、その実、内心では世間の価値観に負けてペシャンコになっている。弱い人ほど虚勢を張って強いフリをするものだ。しかし誰も彼を笑えない。二十歳の山崎ハコが歌ったように、誰でも弱いうそつきなのだ。責めることなどできやしない。
脈絡の無い展開しかもオチなし
名優の無駄遣い。内容も脚本も全く面白くない。久しぶりに観た事を後悔した。残念。
何でも映画化すれば良いとは言えない。製作陣はもっとエンタメ性を追求すべきでは。あくまで私見ですが・・
綾野剛のパンツが目立つ💧 ☆☆☆★(前半〜中盤) ☆☆☆★★★(後...
綾野剛のパンツが目立つ💧
☆☆☆★(前半〜中盤)
☆☆☆★★★(後半)
原作読了済み。簡単に。
原作は芥川賞を受賞するだけあり。まさに純文学と呼ぶに相応しいくらいに、主人公の心理描写や、主人公の目線から見える情景描写の数々が事細かに描写されていた。
それだけに、日頃からエンタメ性のある小説の読みやすさに慣れているこちらからすると。この小説に於ける、(純文学の弊害とも言えるだろうか)細かすぎるがゆえの読み辛さを多いに感じた次第。
僅か70頁弱の内容でありながら、何度もうつらうつらとなりながら予想外の時間を費やしての読了でした。それだけに、しっかりと読み込めていたのか?…は、恥ずかしながらも不明。
映画は原作に於ける最後に近い辺り(70頁弱しかないが)から始まる。いわゆる震災によって、日浅は行方不明になっているのではないか?…との疑問。
原作に於ける震災は、〝あった〟出来事としての描かれ方だった様に思えたのだけど。映画版に於いては。《それ》によって、人々の生活環境を〝一変させてしまった〟との描かれ方だった様に思われた。
震災がもたらした悲しみは、より原作以上に強調され。全ての人の人生を狂わせてしまった…かの様に。
その為なのか?原作には描かれてはいなかった描写が多く挿入されていた。
中でも驚いたのは。綾野剛演じる主人公の今野を、はっきりとゲイとして描かれていた事で、原作には出て来ない中村倫也演じる元カノまで登場する。
他にも、(久しぶりに見れて嬉しかった)永島暎子演じる隣人との関係性から、主人公である今野の人間性を。また日浅の兄役の安田顕の証言から、日浅の人間性を…と。2人の原作には登場しないキャラクターを通し、今野と日浅との人間性の違いを、対象的に描いていた様に思えた。
予告編にあり印象が強かった「人を見る時はなあ…」の台詞は、原作には出て来ないのだけど。この場面がある後半。特に父親役の國村隼の登場する辺りからは、その台詞や劇伴。筒井真理子演じる日浅に翻弄された人間の戸惑いを含め。映画全体が人間の奥底に秘められた【闇の深さ】をクッキリと炙り出して来る。
その味わいは、さながらホラー映画の様で。原作同様、それまで「少しダラダラしてるかな?」…と感じていたこちらの感情を鮮やかに一変させてしまう。
…とは言え、(個人的に感じた)映画を面白く感じさせて貰えるに至るまでが少し長かった気はしたのだが…。
2020年2月14日 TOHOシネマズ流山おおたかの森/スクリーン8
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