ばるぼらのレビュー・感想・評価
全36件中、21~36件目を表示
妖しさと猥雑と美しさの純度が高まった映画
(文末の下3行はネタバレです。)
原作より、妖しさと猥雑さと美しさの純度が高まった映画だった。
どんなに街が進化しても、いつまでも内包しつづける普遍的な汚れ、
猥雑な部分をとても印象的に切り出していることで、時代設定が
現在なのか過去なのか曖昧になり、歪な世界が鮮やかに展開されていた。
主演の二人は原作に比べると、ばるぼらからは更に蠱惑的で浮遊感を、
美倉からは更に脆さと人間の業の深さが感じられ、実写化の良さが出ていた。
あと破滅の過程に美学があったので、それも観てて心地よかった。
ただ1つ、美倉がばるぼらの存在理由を認識するまでの過程においては
もう少し時間を割いてもとも思ったが、行間の解釈が色々できる
余白のある映画なので、それはそれで想像しがいがあり余韻も楽しめた。
ーー以下ネタバレ注意!!ーー
余談だが絡みとしては犬のところが特に気に入っている。
迫る犬の息遣いと、それに嚙まれてもそのまま性愛にもちこむ様が
後からじわじわくる。
音楽と映像が合ってる
まさに大人のファンタジーだと思った、男性目線で描かれた、理想の女性の話、理想の相手を排泄物のような女と言ってるけど…確かに薄汚れて自堕落な女だけれど、突然変身する!
二階堂ふみと稲垣吾郎は相性がいいと思う、他の作品でも見てみたい。
印象に残らないけど。。。(修正+加筆)
原作に近い幻想的な映像は良かったですが、眠くなりました。だからといって、ツマラナイ訳ではない。
劇中で「本を閉じたら忘れてしまう」とありましたが、映画館を出たら忘れてしまいそうな…目が覚めると見ていた夢を忘れてしまうような、そんな感じの作品した。
どこか二流感が漂うのも事実…う〜ん、票が割れそうな映画かな?
(加筆)
予告を観れば充分な気もします。惹きつけるものは予告で七、八割流れていると思います。予告と結婚式とラスト周辺を観れば充分かな?
イメージが先行して、無理に実写化した様な感じの作品です。
手塚治虫先生の漫画原作でかなり古い作品を映画化で何故今になってこの作品を映画化したのかが謎ですが、とりあえず面白そうな感じで観賞しました。
で、感想はと言うと、う~ん…
世界観は悪くないと思うんですが、全体的にアンニュイな感じでイメージを大切にして作った事が最優先し過ぎている。
好みがあるので、あくまでも一意見でしかありませんが、実写に向いていない作品をイメージを意識し過ぎて、今の時代に合わないのに無理に合わせた感じの作品と言うのでしょうか。
また、結構ジャズのBGMを入れる割合が多い。ここまで入れるとイメージがどうのと言うのを越えて、盛り込み過多過ぎます。
ばるぼらは「都会が何千万という人間をのみ込んで消化し、たれ流した排泄物のような女」と説明されているが、正直そこまでじゃない。
作品が発表された1970年なら、そういう感じに写るかも知れないけど、今ならばるぼらよりも酷い奴は沢山いるし、夜の新宿や大阪の難波とかの繁華街では結構見かけますw
ばるぼら役の二階堂ふみさんは様々な作品に出演されていて緩急自在な女優さん。
最近では「翔んで埼玉」の壇ノ浦百美役が最近でブッ飛んでますが、今作ではそこまでブッ飛ん出ない。
本来はもっと過激で卑猥でクズ。それでいて純粋で脆く折れそうな儚さも兼ね備えていても良いのでは?と思うんですよね。例えて言うなら「ドラゴン・タトゥーの女」のリスベットみたいな感じと言うのでしょうか。
そこの突っ込み具合が薄い。単にミステリアスに仕立て上げて神出鬼没過ぎるので、結構都合良く解釈されているかな。
美倉洋介役の稲垣吾郎さんは多分原作のイメージ通り。ただずっとサングラスを掛けていたりするのが原作のイメージを踏まえているとは言え、これが弱視とかの追加設定があれば問題無いのだけど、少し違和感を感じる。
また急に幻覚に悩まされて、マネキンや犬を女性に思い込んでセックスすると言うのは異常性欲と言うよりもかなり病んでいる。これが覚醒剤などをやっているからと言うのならまだ理解出来るが、単に異常性欲と言う括りだけで片付けて良いのかがちょっと疑問。
最近は元の方も含めてジャニーズ系の方々は何かと身体張って頑張ってますw
ばるぼらの母親的な役柄になるムネーモシュネー役の渡辺えりさんのビジュアルはあれで良いのだろうか?
過度にコミカライズされていて、解釈が難しい役になりすぎています。
ストーリーはある程度原作に沿っているんですが、突散らかした感があって、まとめが薄い。
美倉の創作意欲を掻き立てるミューズがばるぼらと言うのは良いんですが、ミューズと言う表現が用いている割に美倉の書く小説の内容の説明が無い。
これでは、執筆活動への意欲を盛り上げてくれるばるぼらを俺のミューズと言う言葉に当て嵌めているのが、なんか小っ恥ずかしい感じで妙に浮いている様にも感じるんですよね。
また黒魔術なんかも入れているので、何処に振り切るのかが中途半端だし、振り切ってない。
ばるぼらは天真爛漫で自由と言うのは良いにしても、時折見せる女性らしさの箇所がなんか間違っている。
美倉とばるぼらが一緒に逃げようとし、途中、車の故障で山を歩く際にばるぼら「疲れた」と言う台詞はすごく女の子っぽいんですが、ここで出すにはなんか違う感じだし、石に頭をぶつけ、血が出ても「へっちゃらのへ」と言う言い回しも愛嬌があると言えばあるんですが、ここでばるぼらの可愛さを出すのはなんか場違いな感じ。
また、飛び込んだ無人の山荘で石に頭をぶつけた事が原因(様に思える)で亡くなったばるぼらですが、ムネーモシュネーの黒魔術の呪いにも感じて、結局何処に解釈を持っていけば良いのかが解り難いんですよね。
ラストも原作ではきちんと描かれているのに、どうにもアンニュイな終わり方だし。
今更ですが、手塚治虫さんの作品って、映像化の向き不向きがかなりあると思っています。
アニメならまだしも実写化は結構難しい。
特に手塚治虫さんが亡くなられた以降の実写作品はちょっとその遺産を食い潰している様にも感じるんですよね。
手塚治虫さんの作品で個人的に好きな作品の「きりひと讃歌」は見応えがあって、実写に向いている様にも見えますが、“じゃあ、実写化するに相応しいか?”と言えばNO。
いろんな部分での表現や解釈が映像化するには難しいし、劇中で描かれている差別なんかも倫理を意識するとテーマがブレると思うんですよね。
それと同じでこの「ばるぼら」は正直実写化に難しい作品。
今の時代に合っているかどうかと言うよりも、実写に向いている様で実写にしてはいけない作品かな。
監督の手塚眞さんは手塚治虫さんのご子息で、様々な作品も手掛けられていますが、今作ではご自身の「ヴィジュアリスト」と言う肩書きに引っ張られる感じでやりたい事が先行し過ぎた感じがします。
「ばるぼらは天真爛漫。猫の様に気まぐれでミステリアスだけど、何処か人の目を引きつける魅力がある。」で良いじゃんと思うし、原作の雰囲気に大幅に引っ張られまくっている分、損をしていると思います。
あくまでも一意見でしかありませんが、結構期待していたのでちょっと肩透かし。
でも、何の気なしに観ると味と毒気のある不思議な作品かとは思いますので、興味があれば、書いた事は戯言程度に考えてもらって、ご鑑賞頂ければと思いますw
よみがえる性的衝動
連休だしレイトショーで何かと思ったら
予告観て気になっていたのが近所で丁度やってたので観賞
神様手塚治虫が1970年代に青年誌に連載していた
きわめてアダルトな異色作の映画化
複数国共同製作で手塚眞が指揮を執っています
感想としては
・淀みのない緊張感を保ったカメラワーク
・倒錯もながら割とわかりやすい
・名だたる俳優陣の熱演に圧倒
・遠慮無いアダルト描写
とようここまでやりましたと言える内容
名声も地位も手にした作家美倉洋介は
どこか満たされず都会を徘徊していると
地下道の傍らに酒瓶を抱いてうずくまる女が一人
ヴェルレーヌの詩をつぶやいていた
その詩の続きを洋介が言いその女「ばるぼら」を
家に引き入れグラスをあおると
不思議と小説のアイデアがどんどん湧いてきます
ですがばるぼらはその小説を一笑に付します
その後欲情にかられマネキンや犬とまぐわおうとする
洋介をばるぼらはどこからともなく現れ助け
次第に洋介はばるぼらに惹かれていき
それまで周りにいた洋介を権力で囲おうとする
政治家の娘志賀子や
献身的な秘書の加奈子にめもくれないように
なっていきます
原作は未見なんですが
・「俺」と自称する
・同じ詩を知っている
・同じように酒を呷る
と言ったばるぼらのキャラクターから
ばるぼらは洋介の性的欲求の権化で自身が書き進めたい
官能的な小説のアイデアをもたらすイマジナリーな存在
であることが割と早い段階でわかります
原作はもっと具体化した存在だそうですが
これがすぐわかってしまう点がこの作品の
評価をどうするかは難しいところ
取り憑かれたように変化した洋介の生活は
黒魔術的な作用で周囲の人々を不幸にし
ばるぼらと激しくからみ合い結婚を約束します
捨てられた志賀子は腹いせにばるぼらとの婚姻を
権力で踏みにじり洋介を社会的に抹殺
それでも洋介は姿を消したばるぼらを求めさまよい
街をさまよい遂には見つけ出し逃避行を図りますが…
洋介は山奥にばるぼらと逃げるのち徐々に
生きること自体の意欲を失っていくとばるぼらが
首を絞めてきますがそれを払いのけると
ばるぼらはそのはずみに致命傷を負い
迷い込んだ別荘でばるぼらは動かなくなります
洋介は半狂乱になりそのへんにあった鉛筆と紙で
おもむろに小説「ばるぼら」を書きはじめそこで話は終わります
平静を装いつつ自らの歪んだ性欲に負けていく洋介を
演じたのは稲垣吾郎でしたが
ぱっと見しっかりしつつ脆さも兼ね備える難しい
役をうまく演じていたと思います
ばるぼら役の二階堂ふみはまさに体を張った演技
不穏で謎めきつつ不思議な魅力を持つばるぼらと
いう女性を演じきっていたと思います
倒錯した世界の描写はエロティックでありながら
クリストファー・ドイルの技法で非常に芸術的に
感じるもので没入感も十分でした
前述のようにばるぼらの正体が早い段階で
わかってしまった事がスリルを失っている気も
しますがスクリーン映えする面白い作品だった
と思います
ミューズか、悪魔か。それとも、
グラサン稲垣を筆頭に、大人の手塚治虫作品にそのまま出てきそうなキャスティング、ビジュアルが秀逸。まさに手塚眞監督、渾身の一作。
特に、バルボラ役は二階堂ふみをおいて他にはいないでしょう。自堕落な酒乱、ヒーロー、小悪魔、妖艶な女性…様々な女性の美しさをスクリーンに映し出してくれました。
そんなわけで、二階堂ふみの美しさと演技をひたすら愛でる作品。
残念なのは、
渋川清彦の出番が少ないこと。(ともすれば、いなくてもストーリー流れてくような…。原作では、もっと重要な役の作家仲間いたよね?)
手塚ヒロインらしさのビジュアルも演技力もまったく感じられない石橋の存在。(そりゃ、バルボラの方に傾くやろという…それが制作の狙いなのかなぁ)
何よりも、後半にやや失速感が感じられるところ。
小説『ばるぼら』も出なけりゃ、バルボラの記憶の件も無いってのはムシュネーの存在が薄くなってしまうのでは。(渡辺えりの怪演あるだけに)
_φ(・_・一体何者だったのか?
一体バルボラとはとは何者だったのか?悪魔的な何かなのか?インテリ浮浪者?
よくわかんないのが狙いなのか?
二階堂ふみ熱演だが、バルボラがドリフのコントから出てきた様なリアル感なしの格好に少し引けてしまいました。稲垣吾郎、、、前より演技はマシに。
ミステリアスなバルボラが最後頭打って呆気なく死んじゃうのに吹き出してしまった。
あれも幻の話なのかな?
アルパチーノのディアボロスを思い出しました。あんな感じをえがきたかったのか?
謎が残る映画です。
いい意味で気軽に見れるB級映画
思わず笑ってしまったり、えっ⁈と声が出てしまったり、終わってみればあっという間で面白かったですよ。ばるぼらも美倉先生も、身体の線が美術館の彫刻のようで、美しすぎるとエロくならないんだなと新たな発見がありました。終盤の仮死状態?のばるぼらと美倉先生の禁忌のシーンは、さらっとこなしているけど、美しさを保ちながら尊くもあり良かったと思います。深い間柄の人と鑑賞し、あれこれ言いあいたい映画です。
芸術作品を観てるよう
映像とクラシックみたいなのが見事にマッチしてると思いました,冒頭のシャワーのシーンで酒の瓶を持ちながらシャワーを浴びてるのは驚きました
幻か現実か分からないストーリーの展開の仕方だと思いました
ばるぼらと美倉先生は二階堂ふみさんと稲垣吾郎さんで合ってると納得できます
二階堂ふみさんのヌードは中盤と後半のラストシーンにありますどちらもヌードの時間は長いと思いました
リバーズエッジよりも長かったです
濡れ場目当ての人なら観て損なしだと思います
綺麗です、でも難しいというか…
高校時代、某先生の影響で手塚治虫先生の作品を読み漁りました。
有名な『ブラックジャック』や『三つ目が通る』『鉄腕アトム』なんかはもちろん、こんな大人向けの作品も読んでるんだぞ!的なノリで『火の鳥』『奇子』『きりひと讃歌』『空気の底』そしてこの『ばるぼら』ももちろんです。
当時のませた高校生たちには後半のアダルト向けビッグコミック作品が好評で、クラス内で回し読み状態になりなかなか戻ってこないため、最終ページに美術の授業で作った『蔵書印』を押してまぎれないようにしたのを思い出します。当時はこの手塚治虫作品のほか『キン肉マン』や『北斗の拳』『こち亀』なんかも回し読み対象でした。(最近まで連載していたのはまさに驚きです。)
そんな昔話もすでに40年以上も前のことでストーリーの記憶があいまいでしたので心配でしたが「たぶん大丈夫でしょう?!」とたかをくくって臨みました。
しかしながら表題の通り非常にきれいな画像と惜しむことなく二階堂ふみさんのきれいで大胆な裸体を堪能したのは言うまでもないですが映画全体としては「???」っていうのが正直な感想です。
『キントキント』って10回叫んでいる二階堂さんがこんなにも大胆に裸体をご披露されているとは驚きです。『半世界』で「やるじゃん、ゴロちゃん!」でしたが今回も倒錯する作家の苦悩を見事に表現されていましたね。渡辺えりさんの髪形は原作に忠実だったと記憶していますがとてもマンガチックで笑えました。石橋静河さんも最近めきめきと頭角を現しておられ流石サラブレッドって感じです。渋川清彦さんはもう少し怪しい役(閉鎖病棟のごとく)で味わいを出してほしかったでですね。ちょっともったいないお化けがでそうな…
いやあ、それにしても死んだ後も綺麗な裸体を(『裸体』表現3回目!)見せてくれた二階堂ふみさんに拍手を送りたいです。きれいでした!(ただスケベな気持ちと捉えられないよう必死です)
美しい絵画を観ているような作品で全体としては私には少しはまらなかったようですが。
蜷川実花監督作品同様、きれいな画像を観る意味では満足でした。ちょっと歯切れが悪いですが。
とにかく好き
この世界観、本当に好き。
全てがはっきりしない。現実と妄想と入り混じっている。
結末は…。これもよくわからない。
己を受け入れられずに、人の愛も受け入れられない作家美倉が夢か幻のようなばるぼらを愛するようになり変わっていく…
他人は決して言えない弱さや劣等感を指摘される。救ってくれる。そして愛すると言うことを知る。
それまでに感じたことのない幸福感、幸せに満たされた瞬間に彼女の使命も消える。
絡み合うふたりの裸体も素敵な音楽がとても綺麗なシーンにしている。
主演のふたりが本当に綺麗だった。
特に稲垣吾郎さん、十三人の刺客でもすごい演技に驚いたが
この作品は彼の持つ影と光、品、が映画をより一層美しいものにしている。
現実を忘れて非日常に溺れる。それこそ映画の良さだと思う。
ゾッとするほど理性的な作品
狂気を経なければ、真理に届かない。そんなメッセージを受け取った。
愛の行き着くところに狂気があり、狂気の果てに理性があるという冒頭のニーチェのクレジットを具現化する映像は、一本のMVを観るような感覚だ。
自分の現状を懐疑する凡ての人に、イエスとノーを突きつけ続けるこの作品は、答えの無い結末を観る者に委ねる。
最期に極限状態の美倉洋介が、紙に鉛筆で書き連ねた内容は知るよしもないが、それが彼の最高傑作であることは疑いが無い。
そこに記された真理を尋ねて、人は今日も狂気の縁をさ迷う。
動物的な本能という衝動を描きながら、その先の真理を炙り出そうとするこの作品は、ゾッとするほど理性的だ。
二人だけの世界へ
原作知らず
スランプで在り来たりな表現しか出来ず悩む耽美派の人気小説家の前に、ばるぼらと名乗る都会の排泄物的女性が現れハマって行く話。
汚れた服を身に纏い、常に酒を煽る女ばるぼら。
ホームレスの様な暮らしで堕落した風体だけど、酒と文学には詳しい様子。
グレンモルトなんてゲール語と英語ミックスな名前のウイスキーは多分ございませんが「麦芽の谷」50年ものとはなかなかですね。
折角ならスニフターで飲んで頂きたいものです。という酒好きの意見はどうでも良いですね。
辛辣な感想を吐かれて一度は追い出したけれど、妄想で暴走を助けられるうちに近付いて行く。
耽美を地で行く小説家が妖しい魅力を持つばるぼらの沼にハマる世にも奇妙な…か、喪黒的なものを想像したけど、互いに惹かれ合うという自分的には意外な流れ。
何ならばるぼら「女」じゃないですか。
最後の壊れっぷりなかなか好みで、何なら本当に赤く染まって欲しかったけど、それを言ったらカルトになっちゃうからね…。
破滅的な話が好きな人にはオススメかな。
【”デカダンス風味”が横溢する、幻想的で、背徳的だが、美しくも儚き作品。】
ーベストセラー作家、美倉(稲垣吾郎)が新宿駅の地下通路で塵芥の様に、寝転がっていた”ばるぼら”(二階堂ふみ)の姿に目を止め、ヴェルレーヌの詩を口にする彼女と、”詩の会話を交わし”瀟洒な自宅マンションに連れ帰る所から、物語は始まる。-
■印象的なシーン
・上記の二人の出会いのシーン。
ヴェルレーヌの詩を諳んじている”ばるぼら”は文学の知性、素養を身に備えているが、耽美的で、刹那的で、背徳的で、快楽的な思想、性癖も併せ持っている事が、分かる。
それは、美倉も同じである。
-同族愛か・・。似た匂いを感じたのか・・。-
・美倉がどんどん、”ばるぼら”に耽溺していく様。
”愛は、血と身体で交わすもの”と言う谷崎潤一郎の言葉の如く、美倉は幻想的でエロティックな想いに駆られていく・・。
-片山萌美さんが演じた、マネキン美女の物凄いエロティック・オーラに驚く・・。-
・”ばるぼら”を演じた二階堂ふみさんが、途中から”ばるぼら”そのものに見えてしまう・・。
カールした金髪と、あの”俺・・”と言う口調。そして、エロティシズム溢れる美倉との絡みのシーンの数々。
-現実離れしたシーンの数々に”目がくらくら”する・・。ー
■突然、死を迎えた”ばるぼら”が全裸で、山中の廃屋のソファーに座っている姿。
瞬き一つせず、”死”を演じる二階堂ふみさんの、凄みを持った美しさ・・。
ー 不謹慎であるが、あんなに美しい死体の画を映画で観たのは、トム・フォード監督の「ノクターナル・アニマルズ」の中で描かれた”美しき背面死体”の姿以来である・・。ー
<映像は、美しく、エロティックで、退廃的で・・・。
ベストセラー作家が一人の不可思議な少女と出会ったために、破滅していく様を幻想的に描いた作品。>
■蛇足
・稲垣吾郎さん、二階堂ふみさん、手塚眞監督の姿が上映終了後に、“中継”された。
そこで、語られた数々の事は面白かった。
が、一番驚いたのは、何故か籤引きを夫々の方が行い、稲垣吾郎さんが引いた籤に書いてあった劇場名であった・・。その紙に書かれていた劇場は
”伏見ミリオン座”
あんなことってあるのだなあ・・。
ばるぼらだった
舞台挨拶付きを観ることが出来ました♬
二階堂ふみちゃんが、漫画そのままの、ばるぼらだった!
漫画読んでから映画を観たので、世界観が出ていたのですが、非現実的な世界観なので、少し伝わりづらいところが、わたし的にマイナスポイント。
ジャズが世界観を引き立てているのですが、わたしは眠くなってしまった。汗
稲垣吾郎ちゃんと二階堂ふみちゃんの裸の演技だけ印象残っちゃう
最後の死が迫る狂気の演技の稲垣吾郎がとても良かったです。
あと、オープニングがとってもお洒落でカッコいい✨
映画鑑賞後の舞台挨拶で、手塚監督の、父、手塚治虫もこの作品を喜んでいるはず、生きていれば92歳というコメントにグッと感情が高まりました。
🇮🇹ファンタフェスティバル最優秀作品賞🎥おめでとうございます!!
惜しげもなくふみ。更にふみ。またまたふみ。ふみふみふみ。
チラッとアリバイ作り程度の裸身かと思いきや、とんでもない、とんでもない。ガッツリです。エロティシズムと言う観点からは、物足りねーよ!と言うムキもおられましょうが、体はってるわよ、女優魂ぶつけとるがな、な感じはヒシヒシと伝わって来ました。
遠い過去に原作既読も完全に忘却済み。手塚ワールドの再現性の高さを感じる冒頭部。ばるぼらは美倉の深層心理が作り上げた幻影、的な描写は、1970年代の「汚れた都会」が如く撮られた東京の風景に溶け込む中盤。軽い狂気とオカルトにたじろぎながら、最終章に突入。美倉は「ばるぼら」を書き上げ、深層を吐露した事を示唆しながら終わります。
都会の汚物とは、三倉自身の心の底に沈んだ深層心理(憎悪・エロ・理想・プライド・自己嫌悪などなど)の事なんかいねぇ…
音楽は橋本一子さんで完全にジャズ。ベースは私が勝手に師と仰ぐ井野信義さん。個人的には大好きどした。
手塚作品の中で、何故に、よりによって、ばるぼら?ってのは有りますが、稲垣吾郎さん、二階堂ふみさんともに、難しい役どころにガッツリ取り組んでやり切った感があって良かったです。
※以下、独り言みたいな、どうでも良い話。
感想文のタイトルを書いて悩んだ。しばし。
「こりゃ、やばいで。」
結局、修正した。
ヤバイ単語は「ふみ」に置換した。
置換前は…書けないw
ヒント
鍋にする「亀」さんは何?
うっわ。やっぱり、書けねぇわ。
断じてw
スッポンポン、とか。ねぇ。
全36件中、21~36件目を表示