Fukushima 50のレビュー・感想・評価
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困難な時こそ観るべき映画だと思う!
2011年3月11日、PM2:46 突然マグニチュード9の大地震が起き、それから数十分後に大津波が襲う!
原発についての知識はほとんどない為、専門的な用語はわかりませんし、様々なトラブルの順序なども正確ではないかも知れませんがこの「FUKUSIMA 50」を観たばかりの感想を書き記します。
大津波が第一号機を襲い、電源が切れ真っ暗になった
上に破壊された原子炉建屋に圧力が上がった為、吉田所長(渡辺謙)が制御室での指示を出し、実際の現場での指揮は当直長の伊崎(佐藤浩市)が指揮する事になる,
ベントを行う為に2人1組での計3組の決死隊を募る。自ら現場での作業を伊崎が出ようとするが、他の職員は当直長は現場で指揮してくれと制す!
自分が行くと手を挙げ志願する職員! だが命の危険がともなう為若い者は残れ、ベテランが行くと言って3組の決死隊が組織される。
放射線量の高い場所での作業となる。まして足場の悪い真っ暗な場所での作業!
決死隊のトップバッターにはベテラン当直長の大森(火野正平)等が入る。終始緊迫感に包まれた作業である。
福岡原発が大地震による津波で破壊された事で総理自ら翌日の朝、現場へ駆け付ける。当然原発の事については全くの素人であるが、原発が破壊された事については「事の重大性」は十分理解できる!
総理(佐野史郎)自ら現場に行く事は吉田所長他、現場の人間にとっては大変迷惑な話しである。緊急の対応に支障が出るのは当然である。ただ総理としても原発全てが爆発でもすれば1986年に起きたチェルノブイリ事故の10倍の被害が発生し、東日本が壊滅する事になる。
時系列ではやや記憶に不明だが、2号機、3号機のトラブルなどにも対処し富岡町や大舘町などは立ち入り制限区域に指定されてしまう。命がけで現場の作業員は大爆発を食い止める為、不眠不休の戦いをする。東電本店の幹部と怒鳴り合いの戦いを行うシーンも見所であった。
緊迫感の連続であったが、取り敢えず最悪の危機を過ぎた時、吉田所長が「腹が減ったな〜」と言って賞味期限を気にしながら手に取ったパン!皆でパンを頬ばるシーンが救われた。
2014年春、桜並木を見ながら前年に他界した吉田所長を回想しながら原発事故について考える伊崎。
子供の頃での回想で原発はクリーンエネルギーであり、原発のメリットだけを周知させていた。
想定外予想もしなかった高さ10mを超す津波によって破壊された原発。
自然の力には勝てないんだと言う言葉が印象的でしたよ
今、世界的に特に日本では新型コロナウイルス感染拡大で大騒動です。原発事故と比較するのは異論もあるかも知れませんが、対応として時間的にも2ヶ月位の時間があったにも関わらず、緊急性が認識されたのは2月の23日頃になって急にバタバタし始めたと思います。
福島原発は突然の大地震での津波での破壊、メルトダウン、緊急性で一刻を争う中での職員の決死の戦い!
吉田所長や伊崎、大森他数多くの人達が戦っていました。異常な放射線量の中で自衛隊の方が「国民の為、我々は逃げる事は出来ません!」と言った言葉に目頭が熱くなりました。
今、この時期であるが故に是非観たい映画です。
全キャストの方々、本当に良い演技でした!(演技と言うのは失礼ですが)
勇気をいただきました。
映画を見てこんなに泣いたことはない。
2011年3月11日を思い出した。
震源から遠く離れた関西にいて、当時の職場は建物の1階にあったが、それでも、建物がゆっくりと揺れているのに気付いた。夜のニュースでは、津波が住宅地を襲う非現実的な映像を見て、今思うと言葉を失っていた。
我々の何が悪かったのか。
映画では、根拠もないのに10メートルを超える津波は来ないと考えた我々の慢心が悪かったということだった。
何が起こっているのかもよくわからないまま怒鳴り散らす政治家。現場から離れて刻々動く事故の実態にそぐわない判断を押し付ける本店。
「兵は勇敢だが将校は無能」と言われたのは太平洋戦争に敗れた日本軍であるが、我々はそこから進歩したのだろうか。
我々はあの大震災から学んだだろうか。
現場にいた多くの人たちそれぞれの捕らえ方があるだろうから、映画で描かれたことがすべてであるとも思わないが、しかし、毎日組織で働いている一人として、組織の中で助け合いながら、足を引っ張られながら、目の前の危機に立ち向かった人たちを見て泣きました。
映画を見てこんなに泣いたことはない。
本当に知りたいところが描かれていない
試写会が当たったので見に行ってきました。
佐藤浩一、渡辺謙、吉岡秀隆、緒方直人、火野正平、平田満、萩原直人…篠井英介、段田安則、佐野史郎、富田靖子、安田成美…もう知らない俳優さんいないんじゃないかというくらい、とにかく出演者が豪華すぎる!!
それで見たかったのもありました。
しょっぱなから、専門用語が飛び交い、そのスピード感と緊迫感に、少し乗り遅れました💦
せめて字幕で解説入れてー、外国語聞いてるみたいで、なんのことやらさっぱりわからない。
原発のことよく知らないから、当時のニュースを聞いていても、メルトダウンとか冷やさなきゃいけないとか、なんのこと?とひと事のように見てましたが、こんなすごい危機にさらされていたんですね。
放射能被曝が限界値超えるとどうなるかとかの記事も読んだことはあるけど、本当に死を覚悟しての戦いだったんですね。
そして、現場にいない人たち、官邸やら東電本店の幹部たちの勝手な言い分に振り回されて…早く原発をなんとかしなきゃいけないのに、総理大臣の対応しろとか無茶振り…。
本店の幹部がきて対応すればいいのに、と思ってしまった。その憎まれ役を段田さんや篠井さんが見事に演じてましたね。
一方、緊急対策室にたくさんの人が残っていたけど、あの人たちはどういう仕事をしていたのかがよくわからなかった。技術者しか原発の対応はできないんですよね…。
本当に見えない恐怖との戦いです。
しかも電気もない真っ暗闇、限られた人数で、映画では寝ず食わずでやっていたのか?とも思ってしまいました。
一度行っただけで、限界値超えてたのだから、二度目は行けないはず。なのでみんなが交代で行ってたら、いづれみんなが限界値超えて、誰も対応できなくなるんじゃないかな。
そういうところがうまく描かれていないなーと思ってしまった。今年福島原発から10年、そしてオリンピックで復興イアー。福島を利用した政治色濃い作品と思われても仕方ないかな。
だって、原発事故は圧力下がったからオッケー、Fukushima50は日本を守ったヒーロー!…だけじゃないよね?今もずっと作業している人たちはいるわけで、その辺のところを描いていないのが残念。
なんとなく上っ面だけをうまく描いたようにも思えます。
その後の大変さも描いて欲しかったな。
これで終わり?と思ってしまいました。
最後の桜並木は美しかった!
そういえば吉田所長が歌っていた歌は福島の地元の歌とかなのかな?
あの日あの時、守りたいもののために
ドルビーシネマで鑑賞。
原作(死の淵を見た男)は読了済み。
2011年3月11日、午後2時46分。東北地方太平洋沖地震発生の瞬間、高校2年生だった私は部室で仲間とお喋りに興じていた。関西でも震度1か2を観測したはずだが全く気づかなかった。部室のドアが開き、顧問の先生が顔を覗かせた。
「今揺れへんかったか?」と私たちに訊ねたが、何も感じていなかったので「気づきませんでした」と応え、また元のお喋りに戻った。日常の真っ只中にいた私たちは、しばらく経って再び顔を出した先生の一言に度肝を抜かれることになる。
「東北がえらいことになっとるぞ!」。大急ぎで部室のテレビをつけた私は、画面の中で繰り広げられている光景に息を呑んだ。凄まじい濁流が街を飲み込み、漁船がまるで木の葉のようにくるくると弄ばれていた。到底現実とは思えない光景に目を奪われていると「津波や…」と先生が呟いた。
帰宅を促された私たちは急いで家に戻った。自宅に着くと母と祖母はまだ何も知らない様子であった。「津波や津波!」と血相を変えて帰宅した私を困惑の眼差しで出迎えたふたりだったが、テレビ画面に映し出された光景を観て、先ほどの部室での私のように言葉を無くした様子だったのを覚えている。
東北地方太平洋沿岸地域の被害が甚大なのはもちろん、東京でも交通網の麻痺で帰宅難民が発生している様子に、この地震がこれまでに前例の無い災害であることを実感させられた。
福島第一原子力発電所で事故が発生したと云うニュースが流れ、原子炉建屋が水素爆発を起こした瞬間の映像に「いったい日本はどうなるんや」と滅びを予感したことを鮮明に覚えている。成す術が無い状況に焦燥し、どうすることも出来ないもどかしさに正直怯えた。日常が崩れ去る音が聴こえた気がした。
本作を観て、9年前の記憶がまざまざと蘇った。
すっかり前置きが長くなってしまった。
絶望的な状況でも、最悪の事態を回避しようと原発内で奮闘した人々がいたことを、決して忘れてはならないと思った。
あの時、連日報道されていた事柄の裏側で何が起きていたのかを、全く知らず理解出来ていなかったことを痛感した。
決死の覚悟で過酷な戦いに身を投じた彼らを、海外メディアは「フクシマ・フィフティ」と呼び、その行動を称えた。
彼らは何故、放射能汚染による命の危険があると分かっていて尚も原発に留まることを選んだのか。職業意識からの使命感か。事故を起こしてしまったと云う罪の意識からか。それだけではここまでのことは出来なかったのではないかと思う。
その状況に置かれた者でないと容易に理解出来ないような、複雑で、しかし一本ぴしっと筋が通っているような何か、つまりは揺るぎの無い強い信念があったのではないかと感じた。
一号機と三号機の水素爆発、二号機原子炉格納容器の圧力上昇に伴い、若手の職員や協力企業の人々、技術畑ではない部署の人たちが吉田昌郎所長(渡辺謙)の命令で原発から退避することになった。それでも残ると言い張る若者がいた一方で、年長者でありながら退避を選んだ人もいた。
あの時の現場ではあらゆる立場の人々が、それぞれの選択を迫られていた。己の命に関わる事柄であり、彼らの下した決断は他者が非難することなど許されない聖域だと思った。
ただでさえ過酷な現場なのに、本店や官邸の圧力、理不尽な命令、本質を理解していない者の横暴とも思える発言など、およそ信じられないようなことが次々と降り掛かって来る。
特に、原作を読んだ時も衝撃を受けた場面がある。事態終息に忙殺されている現場に、しかも被爆の危険性がある地に一国の元首が突然視察に訪れ、そのせいで原子炉の冷却活動が妨げられたばかりで無く、放射線管理の原則を無視し、命懸けで頑張っている人々の目の前で「私が何のためにここに来たか分かってるのか!?」とのたまう。なんと云う為体か。
視察を止めず現場に対応を押しつけた東電本店のやり方にも怒りを覚えた。他にも、素人考えの官邸からの横槍をそのまま現場に命令として伝えたり、防波堤にならなければならないはずの上層部が官邸の手先であるかのように現場を混乱に陥れるのだ。非常事態なのに上への忖度が無くなることはなかったのである。現場の苦悩は如何ばかりだっただろう。
あの時あの瞬間には、人間の強さと弱さ、苦しみ、怒り、悲しみが交錯したドラマが展開されていたことを知り、涙が止まらなかった。未曾有の大災害により、最後の砦となってしまった人々。その運命の過酷さに想いを馳せた。
故郷への想い、仲間との絆、大切なものを守るために死物狂いで戦い抜いた人々がいなければ、今よりももっと最悪な事態になっていたかもしれない。感謝の気持ちが湧いた。
しかし、事故の影響で今も苦しんでいる方々のことを考えると、そう思ったことが失礼であるような気もした。故郷や我が家が帰宅困難地域になってしまって、戻れる目処が到底立っていない状況である。過ちを教訓にして、このような人たちを二度と出さない未来を、築き上げなければならない。
「俺たちは何を間違えたのか?」。このセリフが強く印象に残っている。永遠の問い掛けだと感じた。誰もが考え続けなければいけない、胸に刻まなければならない言葉だと思った。
[以降の鑑賞記録]
2020/04/18:Amazon Prime Video(特別配信)
2021/03/12:金曜ロードSHOW!
※修正(2025/03/14)
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