Fukushima 50のレビュー・感想・評価
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本当に知りたいところが描かれていない
試写会が当たったので見に行ってきました。
佐藤浩一、渡辺謙、吉岡秀隆、緒方直人、火野正平、平田満、萩原直人…篠井英介、段田安則、佐野史郎、富田靖子、安田成美…もう知らない俳優さんいないんじゃないかというくらい、とにかく出演者が豪華すぎる!!
それで見たかったのもありました。
しょっぱなから、専門用語が飛び交い、そのスピード感と緊迫感に、少し乗り遅れました💦
せめて字幕で解説入れてー、外国語聞いてるみたいで、なんのことやらさっぱりわからない。
原発のことよく知らないから、当時のニュースを聞いていても、メルトダウンとか冷やさなきゃいけないとか、なんのこと?とひと事のように見てましたが、こんなすごい危機にさらされていたんですね。
放射能被曝が限界値超えるとどうなるかとかの記事も読んだことはあるけど、本当に死を覚悟しての戦いだったんですね。
そして、現場にいない人たち、官邸やら東電本店の幹部たちの勝手な言い分に振り回されて…早く原発をなんとかしなきゃいけないのに、総理大臣の対応しろとか無茶振り…。
本店の幹部がきて対応すればいいのに、と思ってしまった。その憎まれ役を段田さんや篠井さんが見事に演じてましたね。
一方、緊急対策室にたくさんの人が残っていたけど、あの人たちはどういう仕事をしていたのかがよくわからなかった。技術者しか原発の対応はできないんですよね…。
本当に見えない恐怖との戦いです。
しかも電気もない真っ暗闇、限られた人数で、映画では寝ず食わずでやっていたのか?とも思ってしまいました。
一度行っただけで、限界値超えてたのだから、二度目は行けないはず。なのでみんなが交代で行ってたら、いづれみんなが限界値超えて、誰も対応できなくなるんじゃないかな。
そういうところがうまく描かれていないなーと思ってしまった。今年福島原発から10年、そしてオリンピックで復興イアー。福島を利用した政治色濃い作品と思われても仕方ないかな。
だって、原発事故は圧力下がったからオッケー、Fukushima50は日本を守ったヒーロー!…だけじゃないよね?今もずっと作業している人たちはいるわけで、その辺のところを描いていないのが残念。
なんとなく上っ面だけをうまく描いたようにも思えます。
その後の大変さも描いて欲しかったな。
これで終わり?と思ってしまいました。
最後の桜並木は美しかった!
そういえば吉田所長が歌っていた歌は福島の地元の歌とかなのかな?
見る価値あり❗️
映画を観る前に読んで欲しい
試写会にて鑑賞。予告から想像できるのは、男たちが命懸けで戦った感動的な作品。日本人なら観なければいけないという使命感にすら駆られてしまうこの内容。
実際に鑑賞しましたが、良かった点と悪かった点があります。
良かった点として、まず現場の再現が忠実でまるでその場にいるかのような臨場感を与えてくれたことです。終始作品に没頭できることは間違い無いでしょう。
次に、キャストが豪華で配役がとても良かったことです。どの役も非常に印象に残りましたし、その熱演は瞼を熱くさせます。
また、影で頑張ってくれた人がいるから今こうやって生活出来ているんだと知ることができるのも良い点です。
さて、悪かった(不満だった)点を話します。皆様既に知っているはずなのでネタバレではないとして話しますが、福島原発は第一と第三が爆発してしまいました。最後は第二が爆発するかしないかの緊迫状況を描いているのですが、空から放水をした後奇跡的に第二の気圧が落ちて爆発は免れるという流れの描写があまりにもあっけない。序盤、中盤の描写が非常に細かく、感情移入もしやすかったのに、終盤のシーンは非常に物足りなく感じました。最後も細かい描写が欲しかったです。
全体的にいい話で、ぜひ一度観てほしいですが、感動できる大逆転劇の映画だと思って観に行くのはおすすめしません。あまり震災で被害がなかった人が観ても泣くのは難しいでしょう。又、震災による一般市民への被害に関する描写は一切ありません。あくまで原発で戦い続けた50人「Fukushima50」の話です。
"人"のために…尽力する背中に涙
緊迫した数日間をリアルに描いた作品で、とても衝撃的でした。震災を体...
命がけで国を救ってくれた彼らを忘れてはいけない…。
揺れる地面。
動く家具。
動揺する人々。
鳴り響くサイレン。
あの時の記憶が一瞬にしてフラッシュバックした冒頭の5分間。
開始早々のリアルな映像に、鳥肌が止まらなくなってしまった…。
そうだ、震災が起きてまだ9年しか経っていなかったんだと思い知らされました。
今回は、監督、佐藤浩一さん、吉岡秀隆さん登壇による舞台挨拶付きの試写会。
佐藤浩一さんが語る、熱い言葉一つ一つが胸を打ちました。
あの時彼らは何を想い、行動したのか?
映像化することで見えてくる、一人一人の気持ち、感情がたくさん伝わってきました。
この映画を観ることができて、本当に良かったと、心の底から思える素晴らしい映画でした。
映画では、現場のリアルな怒号が飛び交うシーンが印象的でした。
意見が対立し、ことが一刻を争う中で、的確な判断を出し続けた直長。
また、原子炉建屋の中、放射能を沢山体に浴びながら、火傷を覆いながら命がけでバルブを開こうとしてくれた人。
政府と必死に戦い、最善の策を講じてくれた現場の所長。
沢山の原発の社員が、1号機と3号機が爆発しても、最後の最後まで国民を見捨てずに働き続けてくれたことに感謝しました。
メルトダウンした原発で、彼らが必死に、国を家族を未来を、守ろうとしていたことを心から感謝したくなります。
9年という年月が経っても、あの当時の記憶は今でもリアルに呼び起こすことができる。
この映像を観ることは、もう一度あの時の真実をきちんと心に受け止め、改めて自然災害の恐ろしさというものを忘れてはいけないと思いました。
大地震が、あと30年以内に起こると言われている現代だからこそ、自分たちに何ができるのか?
また、日本の未来をどう築いていくのかを考えていかなければならないと強く感じました。
同じ過ちを2度と繰り返さないように、一人一人がしっかりと対策を立てていかなければならないと思います。
国を守った彼ら一人一人の行動に感謝すると共に、体を張って亡くなった所長のご冥福をお祈りします。
心に残る映画をありがとうございました。
2011年3月11日午後2時46分。東日本大震災発生、あの日あの時...
公開する前からなんですが、福島原発の作業員の方々の懸命な努力は聞き...
公開する前からなんですが、福島原発の作業員の方々の懸命な努力は聞きかじっております。けれども故吉田所長の会社の利益優先、安全性軽視の姿勢は評価できません。
巨大津波の危険性を知っていながら、なぜ、どうして、対策をとらなかったのか。結局後始末をするのは後世の人たちなんだから。
あの日あの時、守りたいもののために
ドルビーシネマで鑑賞。
原作(死の淵を見た男)は読了済み。
2011年3月11日、午後2時46分。東北地方太平洋沖地震発生の瞬間、高校2年生だった私は部室で仲間とお喋りに興じていた。関西でも震度1か2を観測したはずだが全く気づかなかった。部室のドアが開き、顧問の先生が顔を覗かせた。
「今揺れへんかったか?」と私たちに訊ねたが、何も感じていなかったので「気づきませんでした」と応え、また元のお喋りに戻った。日常の真っ只中にいた私たちは、しばらく経って再び顔を出した先生の一言に度肝を抜かれることになる。
「東北がえらいことになっとるぞ!」。大急ぎで部室のテレビをつけた私は、画面の中で繰り広げられている光景に息を呑んだ。凄まじい濁流が街を飲み込み、漁船がまるで木の葉のようにくるくると弄ばれていた。到底現実とは思えない光景に目を奪われていると「津波や…」と先生が呟いた。
帰宅を促された私たちは急いで家に戻った。自宅に着くと母と祖母はまだ何も知らない様子であった。「津波や津波!」と血相を変えて帰宅した私を困惑の眼差しで出迎えたふたりだったが、テレビ画面に映し出された光景を観て、先ほどの部室での私のように言葉を無くした様子だったのを覚えている。
東北地方太平洋沿岸地域の被害が甚大なのはもちろん、東京でも交通網の麻痺で帰宅難民が発生している様子に、この地震がこれまでに前例の無い災害であることを実感させられた。
福島第一原子力発電所で事故が発生したと云うニュースが流れ、原子炉建屋が水素爆発を起こした瞬間の映像に「いったい日本はどうなるんや」と滅びを予感したことを鮮明に覚えている。成す術が無い状況に焦燥し、どうすることも出来ないもどかしさに正直怯えた。日常が崩れ去る音が聴こえた気がした。
本作を観て、9年前の記憶がまざまざと蘇った。
すっかり前置きが長くなってしまった。
絶望的な状況でも、最悪の事態を回避しようと原発内で奮闘した人々がいたことを、決して忘れてはならないと思った。
あの時、連日報道されていた事柄の裏側で何が起きていたのかを、全く知らず理解出来ていなかったことを痛感した。
決死の覚悟で過酷な戦いに身を投じた彼らを、海外メディアは「フクシマ・フィフティ」と呼び、その行動を称えた。
彼らは何故、放射能汚染による命の危険があると分かっていて尚も原発に留まることを選んだのか。職業意識からの使命感か。事故を起こしてしまったと云う罪の意識からか。それだけではここまでのことは出来なかったのではないかと思う。
その状況に置かれた者でないと容易に理解出来ないような、複雑で、しかし一本ぴしっと筋が通っているような何か、つまりは揺るぎの無い強い信念があったのではないかと感じた。
一号機と三号機の水素爆発、二号機原子炉格納容器の圧力上昇に伴い、若手の職員や協力企業の人々、技術畑ではない部署の人たちが吉田昌郎所長(渡辺謙)の命令で原発から退避することになった。それでも残ると言い張る若者がいた一方で、年長者でありながら退避を選んだ人もいた。
あの時の現場ではあらゆる立場の人々が、それぞれの選択を迫られていた。己の命に関わる事柄であり、彼らの下した決断は他者が非難することなど許されない聖域だと思った。
ただでさえ過酷な現場なのに、本店や官邸の圧力、理不尽な命令、本質を理解していない者の横暴とも思える発言など、およそ信じられないようなことが次々と降り掛かって来る。
特に、原作を読んだ時も衝撃を受けた場面がある。事態終息に忙殺されている現場に、しかも被爆の危険性がある地に一国の元首が突然視察に訪れ、そのせいで原子炉の冷却活動が妨げられたばかりで無く、放射線管理の原則を無視し、命懸けで頑張っている人々の目の前で「私が何のためにここに来たか分かってるのか!?」とのたまう。なんと云う為体か。
視察を止めず現場に対応を押しつけた東電本店のやり方にも怒りを覚えた。他にも、素人考えの官邸からの横槍をそのまま現場に命令として伝えたり、防波堤にならなければならないはずの上層部が官邸の手先であるかのように現場を混乱に陥れるのだ。非常事態なのに上への忖度が無くなることはなかったのである。現場の苦悩は如何ばかりだっただろう。
あの時あの瞬間には、人間の強さと弱さ、苦しみ、怒り、悲しみが交錯したドラマが展開されていたことを知り、涙が止まらなかった。未曾有の大災害により、最後の砦となってしまった人々。その運命の過酷さに想いを馳せた。
故郷への想い、仲間との絆、大切なものを守るために死物狂いで戦い抜いた人々がいなければ、今よりももっと最悪な事態になっていたかもしれない。感謝の気持ちが湧いた。
しかし、事故の影響で今も苦しんでいる方々のことを考えると、そう思ったことが失礼であるような気もした。故郷や我が家が帰宅困難地域になってしまって、戻れる目処が到底立っていない状況である。過ちを教訓にして、このような人たちを二度と出さない未来を、築き上げなければならない。
「俺たちは何を間違えたのか?」。このセリフが強く印象に残っている。永遠の問い掛けだと感じた。誰もが考え続けなければいけない、胸に刻まなければならない言葉だと思った。
[以降の鑑賞記録]
2020/04/18:Amazon Prime Video(特別配信)
2021/03/12:金曜ロードSHOW!
※修正(2025/03/14)
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