Fukushima 50のレビュー・感想・評価
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戦争映画を観てるかのような気分
東日本大震災で被災した福島第一原発の事故を描いた実話ベースのお話。
あれからもう9年。当時、様々なメディアで報道されたこともあり、ある程度は知っているつもりだったが、こうして映画として流れで観ると初めて知ることも多かった。
驚くのは出演者の豪華さ。ちょっとした役の人でもそれなりの俳優を使っていた。だから演技に関しては文句はない。重いテーマに相応しい重厚な演技を見せてもらった。映像も臨場感と緊迫感がすごい。事実の重さにただただ圧倒されてしまった。ベントに向かうメンバーの決定、命をかけてバルブを開こうとする姿、上司や仲間との絆、疲れ果てた社員たちがぐったりしながら休みを取る姿、作戦本部との軋轢、訳のわからない作戦指示。戦争映画を観ているような気分になった。当時の原発事故に関わった人たちは戦争に赴くのと似た感覚だったのかもしれない。
彼らの決死の努力で未曾有の原発事故を防げたことは確かだ。胸が熱くなるシーンも多い。ただし、誰も死んでいないかのような描き方は納得いかない。そんな美談だけでは語れないはずだ。誰かへの配慮があったからなのか、終わり方はあっさりとしてて唐突だった。とてももったいない気がした。
この怒りと涙はどこから来るのか
劇中、人々は怒りをぶつけ合い、嗚咽する。事故現場で、対策本部で、東電本店で、首相官邸で、避難所で…
当時、その怒りや涙を全く知らなかった。
それらは、どこから来ていたのか?
それは、自分の死が突然目の前に突きつけられた恐怖、そして家族の死、故郷の死、国の未来と地球の未来の闇が一度に押し寄せる正に極限状況から来ていたのだ。
人は、恐怖のあとに怒りが、絶望のあとに涙がやってくる。
目に見えないシーベルトを映画館で感じた。
それだけで、この作品に接した意味があった。
無論、現実はこの何万倍の事態であっただろう。
当時、ニュースだけでは感じなかった極限状態。それを知らしめてくれたFUKUSHIMA50はヒーローでも犠牲者でもない。極限状況においても、奇跡を信じて最善を尽くしてくれた恩人である。ありがとうFUKUSHIMA50。これから慢心を捨て、より良い未来を描いていくことで恩返しをしていくことを心に刻もう。
福島のことを考えること
まずこの映画はやはり映画館で見てほしい。
出来るだけ、大きな映画館で大きなスクリーンで見てほしい。
二時間を通してあの日あの時のことを体感できるからだ。
もう、そんな思いはしたくないという人がほとんどだろうがそれでも今この映画をこのタイミングでまた見ることは、少なくとも私には十分に意味のあることだった。
震災を思い出して体調が悪くなってしまう人は、やめたほうがいいのかもしれない。
人を選ぶ映画だと思うが、私はこの映画に会えて感謝している。
昔NHKでこの福島第一原子力発電所のことが大杉漣が吉田所長の役で再現ビデオが放送されていたが同じスタッフなのか同じ作者なのか、わからないが、似ていた。そういえば大杉漣はシンゴジラでは総理の役をやっていた。発見だった。シンゴジラにも似ていた。既視感があった。なのでそれを同じく大画面で再び見ている錯覚にもなった。特撮だった。
大杉漣がもし生きていたのならば、もしかするとこの映画でもまた吉田所長をやっていたのかもしれないのかな、などと思った。今となってはわからないが大画面でその漣さんも見たかったなと思うのだった。渡辺謙は渡辺謙で、素晴らしかった。佐藤浩市は、年々お父さんに似てきたなと思う。
佐藤浩市、渡辺謙の存在感は群を抜いていた。
総理役の佐野史郎、ダニーボーイと米軍が印象的だった。
日本とアメリカの関係についても改めて考えた。
この映画の制作陣の心意気、そしてそれを通して映画を見ながら当時現場にいた作業員の魂を垣間見た気がした。映画というものは、見るものに想像すること、考える力を与えてくれるのだ。
福島について考えた。
追記)
二度目のfukushima50観てきた。
巷では事実と違うだの、見るに値しないだの、捏造だの、散々ボロクソに叩いている感想もかなり多く見かけます、確かにそういう面はありますがそこまで酷いかなあというのが正直なところでしてそこまで陳腐でもなかった。人によっては陳腐に思うのでしょう悲しいことですが。でも私は意味のある映画だったと思います。批判するのは簡単ですが映画の魂を見てほしい。文句だけの人には腹が立ちました。
ただの原発推進映画ではなかったし感動の押し売りでもなかった。
私はこの映画で一切泣いていません。ただ現場の緊迫した様子と過酷さがこの映画のすべてでした。劇場内に臨場感圧迫感が蔓延し泣くのを阻止します。泣く余裕はハッキリ言ってない。感動もしてない。そんなことよりも現場のことです。
感動する以前の問題で泣くことよりもどうするべきか、です。泣いてる暇があったら作業しよう、できることはないか、なんとかしよう、考えよう、現場の方たちはきっとこういう気持ちだったのではないかと思います。視聴者もまるで同じような体験をします。まさに地獄でした。
無論映画なので大胆に大袈裟にドラマチックに作ってあります。かなり進み方はドラマ的でした。演者が台本に沿ってやる芝居なのでそれは普通のことです。
まだ震災から9年ですが大きな出来事だったので映画としてのエンタメになることに拒否反応が出たのもわかります。9年という歳月が問題なのではなく東日本大震災の大きさ悲惨さが映画にするには傷が癒えていないというか時期早々だったという部分もあります。
でも私は観てよかったと思いました。
「考えなさい」、そういう映画だと思います。
観てもいいと私は思います。
「ちゃんと描かれていない!!クソ映画だ観る価値なし!!」なのではなく「みんなが覚えている記憶」なのです。描かれていなくてもみんなちゃんとわかってます。みんなちゃんと記憶にあります。ただやみくもに批判するだけの人たちは好きになれません。描かれていなかったからこそ、映画を見ながら一人一人が想像し思い出し考えることが出来るのではないのですか。その能力は人間は持っているはず。消えてしまいましたか。それとももう忘れてしまいましたか。悲しいことですが。
思い出せ、想像しろ、ということです。
あの時のことを忘れてはいないか、覚えているか、ということ。
そんなことはないはず。もしそうなのであればそれまでのこと。
物語に空白を作ることで思い出す余地を与えているのです。
そうやって自分で考えながら見てほしい。自分の頭で心で補いながら観るものではないのですか。観ながら脳内の記憶をあの頃に戻し補完出来ます。そうやって補いながら映画を見るのです。
人間はいつからただの恩恵を受けるだけの傲慢な人間になったのでしょうか。受け取るだけでは何も生まれません。考えることが出来るのです。原発にしてもそう。本当に必要だったのか、問いかける映画でもあります。原発で今まで悪いことばかりではなかったはず。いいこともあったはず。だが、こうなってしまった。恩恵もありましたがその代償は大きい。
綺麗なものだけを見過ぎたんです。いいことばかりが目につき、悪いことは見なかった。見えていなかった。見ないふりをしてきたのか。原子力への理解、いいことも悪いことも多方面から見なければならない。考えることをしなかったからです。でないと人も自然も暴走します。
全てを描き切ること、全てを映し出すことが正解なのですか。それなら現実の報道映像を見ればいい。二時間弱の一本の映画としてまとめた時にどのように視聴者の心に留まるかが大切なのだと思います。私には原発での出来事に絞った今回の映画は非常に記憶に残りました。
だから見て終わり、ではないのです。考えるのです。この映画になったということは問いかけるということ。この見たまんま受け取って終わりなのでしたら、今までと全く同じ、何の価値もないでしょう。情報だけを鵜呑みにし賞賛するだけの映画になります。違います、この先を考えるのです。そのためのこの映画です。教材です。ただのエンタメではありませんでした。課題です。
甦る現実、2号機も危なかったのかという発見
いまだに収束しない東京電力福島第一原子力発電所の事故当時を如実に思い出させ、その影響の大きさを9年たった今に改めて認識させるには十分な迫力がある。
当時は、放射性物質の半減期とか公表が遅れたSPEEDIとか、放射能の影響に関係することの報道は多かったが、原子炉建屋内は線量が高いから当然としても現場で何が起きていたかの報道はほとんどなかった気がする。
東日本大震災の犠牲者とか避難者とかの目線ではなく、事故現場の前線にいる作業員や東電社員目線での作りが、この映画の肝と感じた。原発事故を2時間でまとめるのは無理があり、あまり知られていない現場サイドに焦点を絞ったのは良かったし、爆発した1号機と3号機だけでなく2号機も危なかったというのは新たな発見だった。
ただ、首相の視察で現場が混乱したという話は聞いたことがあるが、映画であそこまで個人攻撃するのは本人もきついだろうね。今の自民を見ると民主でなくても変わらなかったかもしれないけどね。
現場
①「Fukushima 50」って何のことか、この映画で初めて知りました。当時、福島第一原発の事故中継はTVで観てましたが、あの時に発電所内に所員さんたちがいて必死に事故の対応をしていた事になど全く思い至っていませんでした。遠く離れた奈良県(災害少ないんです)に住んでいるからとは言え、同じ日本人としてホント申し訳なさ一杯になりました。②同じ時代に生きる日本人として東北大震災のことも福島第一原発の事故のことも忘れてはいけないとは思っています。いまでも完全に復興したわけでないことも(果たして元通りになるとは思えないし)、原発問題が解決出来ていないことも判っていますが、阪神大震災ほど肌感覚として身近に感じられないことは確かです。心にもないのに同情っぽいことを言うのは却って失礼だと思いますし。③福島第一原発の場合は未曾有の事故ではありましたが、私たちが肌感覚で解るのは、一番大変なのはいつも現場であるということ。東電であろうと、うちの会社であろうと、本社で椅子に座っている連中は現場の大変さが判っていないのは何処でも同じだと、それは良く伝わってきました。特に現場を知らない人間が上に立つと。④映画としては、最後まで緊張感が途切れなかった点で演出的には合格かなとは思いますが、一番山場であろう2号炉の圧が下がらないところをもっとサスペンスフルに盛り上げれば、圧が下がったところにもっとカタルシスを感じられただろうとは思います。あっ、これで終わりなんだというちょっと中途半端感が残ったので。⑤しかし、当時も思った事だけど、何で首相がノコノコ出ていくのだろう。そのパフォーマンスでどれだけの人が迷惑を被るかわかんないんだろうか。⑤力作だと思います。被災している方には甘いと笑われるだろうけど、最後に涙が出たのは確かだし。
修羅場
フクシマ69を創ってくれたことに感謝したい。 そして、すべての日本人に観て欲しい。 いや、そこで何があったのかを知る為に観るべきだ。
誰を責めるわけではなく、記録映画よりも理解しやすく事実を伝えた映画づくりの意義は大きい。
僕は最大の功労者だと考えていた 吉田元所長 が主人公になるものだと思っていたが、
吉田さんは吉田さん自身と伊崎利夫復旧班長に分身してしまったのには驚いた。
これは脚本的なテクニックなのだろう。
その代り、地震前から津波対策を訴えていた吉田さんの軌跡が薄れてしまった事は残念。
もう少し吉田元所長の壮絶な戦いぶりを描いてほしかった。
当時、お茶の間で傍観していた政府・東京電力と現場間での
「海水注入をとめろ!」の押し問答が、
長時間にわたり、何度もあったのが
描かれていなかったのは
当時の政府への思いやりだろう。
エンドタイトルに「東京電力」が出ていなかったのは
この映画のポイントです。
協力が在っては真の映画がつくれません。
火野正平さんが生理的に大嫌いだったが
この映画でいい味出しており、見直した。
大東亜戦争の最後もこの映画のようだったのでしょう。
おそらく 今の武漢でも、
他コロナとの戦いの最前線でも
この映画と同じことが起きているのだろう。
「シンゴジラ」を劇場で3回観ました。
米軍が”日本へ核ミサイルを撃つ”というところで、
毎回僕の涙が止まらなくなり、大粒の涙が 僕の脳を超えて、流れ出てきました。
そしてフクシマ50では四六時中涙が流れ続け、マスクがびちょびちょになってしまった。
美談で終わらせてはいけない
現場で最後まで戦った方々には最大の敬意を示すが、本作のような美談で終わらせてはいけないと感じた。
予想を超える事態が起きても万全だとする安全対策をせず、その時に取るべき行動を叩き込んでおかなかった東電の危機管理態勢等々、事前の準備を怠っていたのも事実である。
また、福島がなぜ原発を受け入れたのか、その葛藤と苦悩を描くのも大事だが、そこが描かれていないのは残念だ。むしろ、父親が出稼ぎせずに正月を一緒に過ごせる喜びとして描いている。もしそうだとすれば事故も受け止めるしかなくなってしまう。
賛否あるだろうが、この事故は簡単に語るものではないので、多くの人に見て、考え、感じて欲しいと思う。
当時、民主党に国は任せられないなあと思い、自民党政権を望んだが、コロナ対策を見ていると安倍政権も同様であると気づく。まともなリーダーはこの国にいないのだろうか。。
放射能とコロナウィルス。危険度は全然違うが、目に見えない危機としては同類で恐怖だ。
復興五輪と銘打ったオリパラも開催が危ぶまれる今、再び乗り越えられるのか、そんなこともよぎった作品。
風化させてはいけない重大な出来事
[作品について]
記憶に新しい東日本大震災。福島第一原発は未曾有の大惨事に見舞われた。想定外の津波というか想定できないのが自然だと思い知らされた。
見事に演じた名優の皆さん、サイコーでした。涙腺崩壊し過ぎて感動の嵐でした。多くの皆さんに見て欲しい秀作です。
是非映画館で🎦
[原発について]
今でも何も終わっていない事を思い出して欲しい。自然の想定は不可能だと思い知らされてもチラホラと再稼働云々などと言い出している。あり得ないことです。
コストは発電中は確かに低い。しかし廃炉を前提にすればとんでもなく高い。原発無くても充分に対応できる事がわかった事をもっと素直に受け止めるべきだと思う。
未来のためにももっと他にやるべき事は山積みです。
これはドキュメンタリーではない、だからこそ良い面もある
お話というのはある側面を描きたいように描けば良いのです。
桃太郎はヒーローなのか侵略者なのか視点を変えれば変わるもの。
これは現実に起きたことを描いているけれども現実を見せるドキュメンタリー映画ではない。
それを頭の片隅に置くことです。
そして、少しでも気になる人は、観るべき作品です。
決して面白い話ではないし、トラウマになるような人は観ない方が良いですが、観てみたいと思った人は観てから自分の目で判断して欲しいと思います。
この映像を目の当たりにすることで何か感じるものがあると思います。
ニュース等報道で予備知識はあるので、頭でこの件は理解している事だと思っていても、実は内部までは理解しきっていない人がほとんどだと思います。
ましてや遠く離れた他府県の人で心で理解している人は少ないかもしれないですが、心で理解することが出来ました。
お涙頂戴に仕上げるなとか桜の花で片付けるなと批判する人もいますが、そんな人はドキュメンタリー映像をを見てれば良いのです。
これは実話を元にしたストーリー性のある作品ですから、この終わり方しかなかったと思います。
彼らが命懸けで闘ったからこそ関東は壊滅せず、春が来る度に美しい桜が咲いている訳ですから。その事も紛れもない現実です。
何より、人の感情を揺さぶる名優たちの演技の数々には敬意を払わずにはいられませんでした。
吉岡秀隆の指輪のシーンで何も感じない人は心が死んでいるのではないかと思うし、渡辺謙と佐藤浩市のタバコのシーンも語らずとも伝わる絆がなんとも言えません。
常に抑えたトーンでセリフは少なくても表情で全てを暖かく包み込む聖母のような富田靖子、火野正平たちの男気、泉谷しげるならではのぶっきらぼうな明るさでフクシマ50に対しての肯定感を感じさせるシーンなど、他にも書くとキリがありませんがこのキャスティングで良かったと思いました。
ちょっと心配だった吉岡里帆もいつもより我を出さず作品に溶け込むような娘役を完璧に演じていました。
一つだけ難があるとしたら何度も出てくる安田成美のシーンは、本人のキャラが強く女優安田成美よという感じか前面に出たままで、どこもかしこも現実に引き戻されました。
旦那さんとの絆を語れば木梨憲武が浮かぶし、1人だけ作品の世界観から浮いていました。
まあ、そんなことはさておき、観てもいないのにこの作品を批判するなという事は確かです。
批判するならば観てから批判することに対しては考え方は人それぞれなので否定はしません。
私は日本人として、観ておきたい作品でしたし、実際に劇場で没入して観ておいて良かったです。
冒頭、事実をもとにしたした物語と注釈入りますが、本当ですか・・
冒頭、事実をもとにした物語と注釈入りますが本当ですか・・
初期型の1号機には電源不用の冷却装置あったのに作業員の不手際で作動させなかったそうですが触れてませんね・・・
アメリカの核の専門家が一番恐れたのが4号機の使用済み核燃料プールの底が抜けて、使用済み核燃料が大気中で燃えてしまうことだったそうですが、全く触れてませんね・・・
そもそも、効率化を図るため台地削って原子炉設置したこと触れてませんね・・・
懸命に作業された東電の作業員の方を貶めるつもりはないのですが、特定の意思が見え隠れするような・・
・東電首脳は無能だ
・当時の民主党政権(特に菅総理)は無能だ。
・現場は一生懸命やっていた
・この出来事を語り継いでいかなければならない。
多分、原発再稼働したいんでしょうね。
物語としては面白いです。テンポも良くて引き込まれます。
ただ、最後のエンドロールで平穏な日常生活に戻ったような映像はいただけない。
溶け落ちた核燃料の位置すらわからず取り出しすらできていない状況で、このような作品を作るのは時期尚早のような気がします。
☆☆☆☆ 追記 3/9 午後 映画は素晴らしかった。原作にあたるド...
☆☆☆☆
追記 3/9 午後
映画は素晴らしかった。原作にあたるドキュメントルポも読み応え充分だった。
でも…。
SNSで発信する原作者の過剰なネ◯◯ヨ振りだけが残念だʅ(◞‿◟)ʃ
↓ 以下、映画のレビューになります。
原作に於けるドキュメントルポは読了済み。
簡単に。
とくダネ!でオズラ………ゴホン💧小倉智昭が絶賛していたが、どこか信じられなかった。
その理由として…。
この監督に対して(個人的にではありますが)全く信頼をしていなかったから(´-`)
原作ルポは、最近に読んだ本の中で1番読み応えのある本でした。
もしもこの通りに製作したならば。(かなり多くのCGを加えたり等)難しい部分はあるものの、まずまず悪い作品にはならないだろう…と、思わせるくらいの本でした。
…がしかし、そんな予想の上を越える作品になるとはまさに青天の霹靂(゚o゚;;
その理由として考えられるのは。話自体はあの異常な事態の中で、命を投げうって働いた多くの人達が居たとゆう事実。
そして、映画は中盤から。その中で2人の中心的な人物にフォーカスし、バディー映画の様に撮っている事。その2人こそは、後に色々とメディアに取り上げられる事になるが。それを演じているのが渡辺謙と佐藤浩市の2人。
お互いに信頼を寄せているからこそ醸し出される、この2人による空気感。
この2人を中心として、あの原発事故による絶望の淵の中。ほんの小さな希望の光を求めて奮闘する全員の姿は本当に感動に値する。
(多少は演出的に物足りない部分がないとは言い切れないものの💦)
原作ルポには、《あの時、一体何が起こっていたのか?》原発内で起こった事象にのみ詳しく書かれている為に。映画化に際して、当時の日米間の空気感であり。近隣の避難民達の事、海外マスコミ等の報道等。いくつかの事が付け加えられていた。
その中でも、米軍によるあの【トモダチ作戦】
原作ルポの冒頭の場面を、ここに繋げるとは思いもよりませんでした。
当然、映画化に於けるオリジナルストーリーなのでしょうが、これ程までに上手く繋げるとは…。
何よりも、〝 あの山形弁男 〟でこんなにも泣かされるとは(^^;)
その様に、映画の後半で何度か泣かされてしまうとは嬉しい悲鳴。これは秀作だと思います。
2020年3月8日 イオンシネマ板橋/スクリーン8
余談ですが、映画本編を観終わって思った事を。
今年の東京五輪は復興五輪と意味付けており、日本の聖火リレーは福島県から始まります。
そのコースは、テレビ画面を通して世界中に伝わって行く訳ですが。実は今日、自宅を出発する前にその様子をテレビで放送されていました。
原発事故により避難を余儀なくされ、全く住めなくなってしまった地域のそのコース。
そのコース近辺だけが整備され、テレビ画面に映らないであろう周辺は、未だに手づかずの状態であるのを。
インタビューを受けていた住民の方々は「政府の宣伝に利用したいんじゃないですか?」「何が復興五輪なんですかね!」…と、語っていたのが忘れられない。
この人たちのお陰で今がある
吉田所長に敬意を表して
当時の無力感が伝わる映画
何が正しいかは分からないが…
この作品の出来・不出来を評価できるほど
自分には見識がないが、
個人的には映画にする意味はあったと思う。
少なくとも自分には意味があった。
映像という手法は観る側にダイレクトに
空気感を伝えてくれる。
この地震が起こった時、
福島で何があったのか表面的には知っていても、
現場がこのような状況だったというのは
全く知らなかった。
こんな風に命を張った人達が実際にいて、
今自分が関東で生活することができているのは、
この人たちが守ってくれたんだと、
疑似的にだが知る事ができた。
あの時、インフラもボロボロで
ほとんどの人が自分のことだけで精一杯だった。
その瞬間に福島では日本中を守るために
しゃかりきに命を懸けてがんばった人達がいた。
本当に感謝です。
日本を守ったおっちゃんたちに感謝
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