「最後は違うと思った」Fukushima 50 yuriさんの映画レビュー(感想・評価)
最後は違うと思った
私達はとても忘れっぽいです。東日本大震災による東電福島第一原発事故。これの映画化には賛否両論あると思います。津波の破壊力を伝える為に、被災した建造物を残すかどうかで意見が対立するのと同じ様に。でも私達が忘れないうちに、後世の人達に映画として残す事は、やはり大きな意義があると思うのです。あの事故の時何が起きていたのか、それを知って今後に生かさなければなりません。
冒頭からリアルなセットで事故を再現していて、緊迫した過酷な状況だったことが伝わりました。これは映画ならではです。東電の職員が全員現場から撤収してしまった、というデマを私も聞きましたが、そんなことが出来るわけがない、やらなければ東日本が壊滅していたのです。
一方で、描き方には不満もあります。例を挙げると、
・娘の恋人を登場させるより、もっと原発の解説をした方が良かった。
・現場の職員達が家族と連絡を取っている中、総務の女性は、「夫とは信頼関係があるから連絡しない」と言う。心配している家族に連絡しないのは、一昔前の家庭を顧みない仕事中毒の夫と同じです。必要の無いシーンでした。
・素人の(失礼)菅直人総理が突然現場を訪れると言ったのは、東電本部(本店)の混乱ぶりと、誰が司令塔かわからない無責任さにしびれを切らしたからで、のんびり視察するつもりだったわけではありません。迷惑な行為だったのでしょうが、本店はそれを説得して止めることが出来ませんでした。この不手際の原因は、そもそも原発を作った当時の政権と東電幹部が、「いざという時」を想定していなかったからだと思います。
・最後、2014年、伊崎は立ち入り制限区域に入って、桜を見上げて亡き所長に語り掛けます。でも、この美しい桜を本来見られた筈の住民は居ないのです。まだ戻って来られないのだから。この事を伊崎に語らせるべきと思いました。
原発について、忘れられないことがあります。
20年近く前、友人の福島の実家に数人でお邪魔しました。ご家族は明るくて気さくな方たちです。
そのお父さんが私に、「近くに原発があるんだけどね、そこの電気は全部東京に送られて、東京の人が使っているんだよ。」それが不満そうでした。今は千葉県民で東電の利用者ですが、実は私は東北の生まれで、父の会社が倒産して、小学校入学直前に、東京に引っ越すことになったんです、不可抗力です。そう言いたかったけれど、気まずくさせるので黙って聞きました。一方で友人は、自ら東京の大企業に就職して、都会の生活を満喫していたので、本当は言いがかりに近いのです。でも、東京の人間は華やかな生活をして、必要以上に電気を使っていると言われても仕方ないのだな、と思いました。
帰りに高台から見た原発は、後ろの綺麗な海にはそぐわない異物に見えてしまいました。
そして震災と事故です。その時のメンバーとは疎遠になってしまったので、あれが第一原発だったのかがわからず、ご家族がどうなったのかも確かめられないままです。
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3月11日追記
福島県の帰還困難区域を通るJR常磐線が3月14日に全線復旧します。
喜ばしいニュースだと思ったら、その事で帰還できる住民は居ないそうです。特集番組で現在の町の様子を見たら、地震で破壊された廃墟に草が生い茂った状態です。時間が止まったまま、というより、荒廃が進んでいるのでした。
また、この復旧についても、五輪に向けて復興をアピールする為に、駅周辺の整備だけを急いだ、という意見があるようです。物事は多角的に見なければいけないのですね。避難指示の全面解除は2023年春を「目標としている」そうで、まだ先は長いです。
マーマレードさんのおっしゃるように、「Fukushima 50」という映画のラストにこれはどうなんだろう、と思いますよね。震災の時は、「トモダチ」よりも「絆」という言葉が盛んに言われたし、世界中が支援してくれましたから、その事に触れるなら、米軍海兵隊のエピソードだけ入れるのは、中途半端な気がします。この映画をアメリカ以外の人が観たら、主題とは別の所に反応するかもしれませんね。
貧しいと言われる国からも募金や物資が届けられました。オーストラリア軍が、3機しか無い大型輸送ヘリを2機貸し出してくれた、というのは、先だっての山火事のニュースで知りました。日本に好意を持ってくれている人々について、自分は知らな過ぎると思います。
kossyさんもそう思われましたか。ドラマとしての完成度はひとまず置いて、多くの人に観てもらいたい映画ですよね。私、ちょっと文句を書きすぎてしまいました。
あの事故を知らない人が観ても分かり易い作りになっているのでお勧めします。
映画の一番最後は、復興五輪を謳いあげるような、希望に満ちた終わり方になってますが、私は東京五輪は開くべきではないと思っていました。復興に使うべきお金と人材と資材が、五輪の方に回ってしまうからです。
でも、決まったからには応援したいです。参加する全ての選手の為にも、準備してきた人たち(招致委員の事ではない)の為にも成功して欲しいです。
原発を直ちに止めるべきという意見があり、私も気持ちとしては賛成です。電気が足りなくなる、というのは噓だと思ってます。でも、福一が未だに放射線量が高くて、格納庫に近づけない現状を見ると、無理だよなあと感じます。収束までには何十年もかかりそう。それなら次の世代の技術者を育てなければならないが、一度に全面廃止と決まったら、優秀な人材は集まらないんじゃないでしょうか。
しかし、地震も心配。人類の英知を結集して解決してくれることを望みます。