マグダラのマリアのレビュー・感想・評価
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真面目な映画でした。
至極まともなキリスト教映画でした。この映画の主眼はマグダラのマリアがイエスととも歩み始めるまでの半生なのですが、その部分は史実としては大して面白くもない(すみません)。その後は一気に畳みかけた脚本で、受難のシーンはわずかで、えっもうそこまで展開しちゃう?って感じ。まあそこを見せたい映画じゃないんでしょうが.... キリスト者が観るともっと違う印象なんでしょうね。
マリアが娼婦だったというのは長い間(1,400年以上)の誤解で、ごく近年正統な使徒として認められたという説明が最後につく。これは勉強になりました。
ユダが優柔不断でナイーブな青年だったところが面白い。ペテロがちょっと頑迷で偏見があるところも、らしくていい。
イスラエルの風景は素晴らしくきれいだった。
適切な印象ワードがない。悲しくも切なくもないしかっこよくもない。
2000年もの間罪深き娼婦と呼ばれ 聖女と認められたのは つい最近...
2000年もの間罪深き娼婦と呼ばれ
聖女と認められたのは
つい最近。2016年のこと。
1945年エジプトで見つかった福音書から
イエスの妻とも言われている
聖女マグダラのマリアを描いた
伝道ロードムービー
.
罪深き人のイメージで観始めましたが
マリアがイエスを視る眼には
愛がありました
マリアの人間性が表れていて
この映画ではマリアを
イエスに使徒として付き添った女性
イエスの死と復活を見届けた証人として
描かれています
.
裏切り者ユダの
イエスの力を信じるがゆえの行動など
歴史上の人物に対する思い込みも
作り手によって見方が変わること
考えなら興味深く鑑賞しました
.
.
体型が
イメージと違うと感じたのも最初だけ
ホアキンがイエスに見えた✝️
現代の話の方が興味深い
キリスト(ホアキン・フェニックス)の使徒のひとり、マグダラのマリア(ルーニー・マーラ)が主役のキリスト教映画。
結婚させられそうになるが断固拒否したため、悪霊憑きと思われたりしたが、キリストと出会って信仰の世界で生きることに。
マグダラのマリアがイエスの使徒として認められたのが2007年というから驚く。
【”マグダラのマリア”を”多少の脚色”を含めて描いた作品。ルーニー・マーラの肌の白さ、無垢な美しさは素晴らしい。】
ー”マグダラのマリア” 古来からその存在に対し様々な解釈がされてきた女性。”罪深い女”であったり、”使徒たちと対等の立場で、イエスの死と復活の場に居合わせた聖女。-
・今作では、マグダラのマリアをルーニー・マーラが演じているので、聖女として描かれている。
・イエスはホアキン・フェニックスが演じているので、”少し誤解をしてしまいそう”な感もある。
■ストーリーとしては、マグダラに住んでいたマリアがイエスと、使徒一行と出会い、イエスから洗礼をされることにより、彼らとともに旅に出る姿が描かれる。
だが、使徒同士の関係性や、イエスとの関係性も上手く描かれているとは言えない。
又、イエスが起こす奇蹟も、あっさりと描かれているし(盲目の人の視力回復、死人を蘇生させるシーン)、ユダの行動ももう少し丁寧に描いて欲しかった。
<折角のキャスティングであるのだから、もう少し長尺で使徒も含めて、それぞれの思想の背景を描いたほうが分かりやすかったのでは、と思ってしまった作品。
それにしても、ホアキン・フェニックスはもう少し痩せていたら、イエス!と思ってしまうかなあ・・。あの風貌は・・。>
なぜか、ピーター・ポール&マリーを思い出しましたが、聖書風に言うとペテロ・パウロ&マリアなのですね!
マグダラのマリアについてはずっと娼婦だったのだと思ってましたが、その常識を覆すような内容でした。西暦591年にグレゴリウス一世が「マリアは娼婦だった」と発言したことが、これまで間違った認識を与えていたのだと・・・まぁ、仮に娼婦であったとしても存在価値は変わらないのですが、2016年には使徒と同様であると認められた。この事実を知るだけでも観る価値があるのかも。
『パッション』(2004)なんてのは映画館で観ると、圧倒的映像によって心に響くものがあったのですが、キリストについての知識が必要な作品でした。対して、この作品は知識が無くても大丈夫です。マリアが家を出る前、産婆にも認められた出産の腕前。親に強制されそうになった結婚話などを経て、“癒し手”と呼ばれるイエスと使徒たちが町にやってくる。迷わず洗礼を受けて一行と布教の旅に出る物語。
当時はローマのヘロデ朝に支配されていたユダヤ人居住地域。圧政とともに残虐な兵士による破壊・殺戮の中、愛と“赦す”ことを主張するイエスに徐々に惹かれていくマリア。ペトロ(キウェテル・イジョフォー)とともにサマリアを訪れたとき、瀕死の民を救おうとする姿にペトロが「これは慈悲だ」と呟く。敬虔な信仰を見事に表現したエピソードだった。
聖母マリアがマリア・マグダレナに「彼を愛してるのね」などと問うのですが、そのイエスをホアキン・フェニックス、マリアがルーニー・マーラ。見事にリアルで婚約しているというのも微笑ましい。まさしく神が導きたもう運命でしたね・・・
私は好きです。こういうの。
ルーニーマーラが 抑えた演技で 好演していました 。
マリアは 元 娼婦ではなく 元々神を静寂の中に感じる質素な女性 であった と 描かれています。
マリアは性的に奔放で自由なイメージがあったのですが、映画のマリアを自然に受け入れることが出来た。
ホアキンフェニックスは 怪演 してた 。
妙に人間臭い イエス。
ちょっとイメージ違ったなぁ。
イエスがあんなに感情的になって怒ってた のかな~疑問。
けど、まあそれもありかな。
ちなみに以前買った「ヴァッスラーへの予言」のキリストが一番私のキリストのイメージに近い。
復活したイエスが マリアと 別行動 したのかどうかは 聖書にも書かれてない が 、この映画では 別行動したように描かれて います。
恋のような、微妙に見える師弟関係だった。
真実を知らなかった
マグダラのマリアはずっと娼婦だったと思ってました。実は敬虔な使徒だったとは。
他の弟子の方がより真理を理解していなくて、復活されたキリストが1番にマリアにお会いになったのも分かる気がします。
また、作中のイエスの行動は本当に史実にあるのか首をかしげたくなりました。今後、マリアのことも含めて調べたいと思います。
結局?
作品の存在自体知らず、たまたまTSUTAYAで見かけて、ホアキン・フェニックスとルーニー・マーラが主演ということで借りましたが、正直、失敗でした。
題名の通り、キリストの信奉者で、彼を慕う弟子である十二人の使徒と行動をともにしていたとされる聖人、マグダラのマリアに焦点をあてた作品です。
キリスト教でもなければ、聖書を読んだこともない自分ではありますが、テレビ番組や絵画などで、彼女の存在はなんとなく知っていました。今作を観て、彼女がどういった経緯でキリストに同行するようになったのかは、知ることができました。
しかし、それだけです。
これを観て、キリスト教のすばらしさだとか、新たな発見といったものは、正直、なにひとつ得られませんでした。
十数年まえに観た「パッション」は、キリストが、ユダに裏切られて捕まり、拷問を受け、磔にされるまでを、これでもかというほどの痛々しい描写で表現しており、宗教家でない自分ですら、キリストがいかにすばらしい存在かを、教え、諭された感じがしました。
ですが、今作には、そういった、感情を揺さぶられるようなシーンは一切なく、ただただ、伝説的な存在であるマリアの、あったかもしれない過去を見せられた感じがしただけでした。
2019年の一発目に観たのですが、後悔の念でいっぱいです。
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