「闘いは◎だが忖度が見える」ゴジラvsコング K介さんの映画レビュー(感想・評価)
闘いは◎だが忖度が見える
二大怪獣の闘いを真正面から描いたことを何より評価する。〝ちゃんと〟闘ってくれた。日本映画では形だけ手合わせして引分けにし、不完全燃焼となるケースが多いのだ。私の中ではどちらが強いのか決着も見えた。バトルシーンはド派手でド迫力、かつ美しさがあった。逆に、設定やストーリーには大いに不満が残った。
宿命のライバル設定は嫌い
二大怪獣を〝ちゃんと〟闘わせるのは簡単でない。前作でゴジラは人類の敵ではなく地球環境の守り神とした。コングは元より人類に近い存在だ。よって両者に闘う必然性がない。そこで物語では、古代より両者は宿命のライバルとした。この設定はリアルでない。どう見てもゴジラとコングは異質だ。一方は核が生み出した怪物、もう一方は巨大生物である。異質なものが遭遇するから未知のワクワク感が生まれるのであって、実は古くから因縁がありました、というのは安直で興醒めの設定である。
メカゴジラは忖度が生み出した苦肉の策?
二大怪獣が〝ちゃんと〟闘えばどうしても優劣がつく。しかし当事者は世界を代表する2大スター。どっちも死なせてはいけない。負ける方の顔をつぶしてもいけない。そんな忖度が制作サイドにあったのではないか。この忖度が「メカゴジラ」登板に繋がったと推測する。A対BはAの勝ち。A対C(メカゴジラ)はCの勝ち。そしてB対CがBの勝ち。よってジャンケンポンの理屈で敗者Bも顔が立つ。正直、そこまで忖度せにゃならんかね、と思う。メカゴジラが絡むストーリーによって人間がやけにバカに見え(特に小栗旬の扱いはひどかった…)、反対に二大怪獣は妙に知性的になった。コングはもはやゴリラでなく、人徳溢れる王様の風格だ。ゴジラはラスト、全てを悟る賢者のようだ(顔はコモドオオトカゲに似て脳が小さそうだが)。怪獣が知的になりすぎると違和感が生じる。そしてよもや共闘とは。協力しないと倒せない敵の登場。バトルシーンのグレードが高いので最後まで見るに耐えるものの、メカゴジラの起用で二大怪獣は結果的に価値を下げたと思う。
対決をしっかり見せた点は◎
このようなマイナスポイントを差し置いても、本映画は極めて娯楽性が高く、面白い仕上がりだった。世紀の対決はしっかり見せたし、どっちが強いのかも私の中でははっきりした。対決物をちゃんと見せる姿勢はアメリカ映画が日本よりも優れている。日本では「仮面ライダー対●●レンジャー」も毎度ちゃんと闘わないし、ホラー界の世紀の対決「貞子対伽椰子」もひどかった。(わたしは鑑賞中、2大怨霊に向かって「お前ら、ちゃんと闘え!」と座席を蹴り上げたものだ。)アメリカはエイリアン対プレデター、フレディ対ジェイソン、バットマン対スーパーマンなど、対決シーンはしっかり描く。日本映画もこの姿勢は見習って欲しいものだ。
K介さん、コメントありがとうありがとうございます。
コングの重心の低い体型が、出っ尻で腰を落として構えるボブ・バックランドを連想させてくれました。
私は正に猪木の洗礼を受けた世代です。
だから、猪木を苦しめたライバルはみんな好きです。
バックランドも大好きです。