フロントランナーのレビュー・感想・評価
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フロリダでかかってた曲がボストン♪
アメリカの州名がいっぱい出てきて地理試験を受けているかのような感覚に陥った。ゲイリー・ハートはコロラド州出身。時代は共和党政権が続いていた80年代の話だ。主張していた政策もいくつか共感できるし、レーガン政権の空恐ろしさも当時はあった。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でも「アメリカ大統領はロナルド・レーガンだ」と言ったマーティンに対し、ドクが「俳優の?じゃあ副大統領はジェリー・ルイスか?」という会話が思い出される。
さすがに大統領候補ともなると、清廉潔白な私生活も重要になるらしい。今のトランプ大統領がどうか?といった疑問などはさておき、やはり若い男だと女性問題も沸いて出てくるのだろう。最初の時点でスパッと「肉体関係はない」と言い切れば良かったのにとも思うが、やはり別居中の妻を考えた結果だったのか・・・プライバシーにまで突っ込むな!という意見が通用しないことまで考えが及ばなかったのは本人の責任だな。
政治家に対するマスコミの態度も、もうちょっと政策に向けられればいいのに、今の世の中はおかしすぎる。まぁ、日本においても政策隠しみたいなのがあったりして、「憲法改正は争点ではない」と言い切った選挙戦が終わってみると、憲法改正に躍起になっている政権の本音が後から見えてくる。その点では日本よりアメリカの方がまともなんだけど・・・
大事な時なんだから身辺整理しとけよ
1988年の大統領選で最有力候補(フロントランナー)だったゲイリー・ハートがスキャンダルによって立候補を辞退するまでを描いた話。
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この1988年より前は政治家のプライベートと選挙は切り離されてたみたいでスキャンダルが出た当初もハートはスキャンダルについての記者会見の準備をするより、自分の演説の準備をする。
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今の感覚でいうと、不倫発覚したあとなのに全然謝ろうとしないしむしろ開き直ってる感じがして頭きたよね。そもそも選挙戦の大事な時に女と遊ぶなよ。
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おそらくこのハートの件から政治家のスキャンダルが追われるようになったらしく、この映画の言いたいことは個人のくだらないよスキャンダルよりもその人の政策とかやりたいことをちゃんと見ようってことなのかな。
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映画中にハートの政策がはっきり描かれてないのは、今のメディアの報道と同じってことなんかな。
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やはり女性問題は政治家は致命的❗
期待し過ぎてしまったかな・・・・
アメリカ大統領選挙の変化
政治家の資質って、なんだろう?
1988年アメリカ合衆国大統領選挙の民主党の最有力候補であった、ゲイリー・ハート上院議員が、女性スキャンダルが元で撤退を余儀なくされる過程を描いた作品。
この頃からでしょうかね?色んな人のスキャンダルが暴かれるようになってきたのは。これより前の、JFKの頃なんかは、まだここまでひどい状況では無かったと言われていますが。もっとも、彼よりも後の、ビル・クリントンは、大統領になった後、やはり女性スキャンダルで断崖寸前まで行きましたが、首の皮一枚繋がりました。
それと、この当時であれば、ああいう強気の対応もあったんでしょうね。いま、ああいう強気の対応を見せれば、逆に燃料投下となりかねないと思いますが。
女性スキャンダルはさておき、このゲイリー・ハートと言う政治家は、中々なビジョンを持った人であったようで、彼がこの時に大統領になっていれば、その後の世界は変ったのではないかと言う話を聞いたことがあります。「なんで今、30年も前の、途中撤退した大統領候補の事を描いた映画なんだ?」と言う疑問に対しては、それが答えなのかもしれません。
それにしても、たった3週間ですよ。1週目、2週目は、順調に支持を伸ばしていたのに、3週目に入って女性スキャンダルが明らかになって、あっという間に転落。でも、他にもスキャンダルを抱えていた様なので、この1件で持ちこたえたとしても、他の件が暴かれるでしょうから、あれで限界だったのかもしれませんね。
賛否分かれるのかな。
日本もアメリカも同じですね
その質問は…。
1988年アメリカ合衆国大統領選挙の民主党予備選挙で最右翼にいながら不 倫スキャンダルで撤退したゲーリー・ハートの3週間の話。
マスコミへのサービス精神は抜かりないながら公私はきっちりしたい、私に関する質問には不快感を示すハート。
人気があったが為かパパラッチの走りともいえる当時としては余りないマスコミによる執拗な取材に追い回されていく様子をみせるストーリー。
不倫云々やそれの是非は別として、現代の過剰なマスコミやSNSでのつるし上げや、議会での本来の議題を紛糾してまでも揚げ足をとり責め続ける政治屋につながる異常性を垣間見て胸クソが悪かった。
本人だけではなく、陣営の動向がしっかりと描かれていてそれもなかなか見応えがあった。
女性の地位が向上した証
1988年のアメリカ大統領選挙で、民主党の有力な候補者だったゲイリー・ハートに降りかかるスキャンダルを描く作品
実話の映画化
現在では、不倫スキャンダルで政治家が失脚するのは、よくある話だ
むしろ、リスキーなのがわかってて、よく不倫なんかするよなぁと思う
しかし、この映画の舞台である1987年当時は、そうではなかった
プライベートなことよりも政策で戦う時代だった
ところが、ゲイリー・ハートの不倫が明らかになると、これまでスキャンダルを扱っていなかったワシントンポスト紙までが、ハートの不倫を書き立てるようになる
ゲイリー・ハートは、女性スキャンダルによって、その資質が問われた初めての大統領候補なのだ
そんなハートの姿を見て、なぜ、1987年というタイミングだったのかと考えた
中には、ジャーナリズムの質が落ちて、販売部数を増やすために政治とは関係のないスキャンダルに手を出すようになったという見方もあるかもしれない。
しかし、それは女性たちの地位が上がった証ではないかと、私は思った。
それまでの男性社会では、不倫や女遊びは、男の甲斐性、ただの火遊びだと思われいた。
しかし、女性の地位が向上し、意見が言える立場になった人が増え
「女性を遊び道具のように扱うのは不快です」
と言える人が増えてきたということだと思った。
だから、私はこのゲイリーの件が、ジャーナリズムの質が落ちて、くだらない三面記事まで扱うようになっただけだとは思えなかった
確かに、そういう一面もあるかもしれないし、確かにジャーナリストはスキャンダルよりも政策を語るべきかもしれない
しかし、その反面で、お堅い新聞が政治家の女性スキャンダルを暴くことで、若い女性をポイ捨てする権力者の地位が落ちるのは大歓迎だと思った
人間は誰しも失敗をするもので、ゲイリーの件も騒ぎすぎだったという見方もあるかもしれない
しかし、この時、ゲイリーの女性スキャンダルが明らかにならなかったら、彼に捨てられる女性たちは、もっと増えていたかもしれないのだ
ゲイリーはただの運が悪かった男ではなく、起こるべくして起きた件だったのではと思う
なんとく、話の展開は分かっているものの、それでも、スリリングな展開にハラハラドキドキしながら最後まで見入ってしまった作品だった。
国民が国の最高権力者を慎重に選ぶべき
主人公は、1984年と1988年の米国大統領選挙の民主党の
予備選挙で負けた人です。
物語は、1988年の米国大統領選挙の民主党の予備選挙で
最有力候補「フロントランナー」となった3週間の出来事です。
1984年、米国大統領に選出されたのは、共和党の
ドナルド・レーガンです。
1988年、米国大統領に選出されたのは、共和党の
ジョージ・H・W・ブッシュです。
日本での知名度はなく、知らなくても不思議はありません。
私も知りませんでした。
このような人の映画が製作され、日本でも公開されたのかに
興味をもって鑑賞することにしました。
あまりにも知らないので、鑑賞する前にパンフレットを購入し、
読んだのは、正解でした。
なぜこの映画が製作された理由と、登場人物の人間関係を把握
できました。
登場人物は、主人公、選挙関係者、報道関係者と家族です。
選挙関係者と報道関係者の区別がつきにくいので、ストーリーを
把握しにくいです。
映画が製作された理由は、説明責任を果たさない人を国の
最高権力者にするべきではないということです。
米国でも日本でも世界中でこの問題に直面しているので、
映画が製作され、公開されたのだと感じました。
「大統領の陰謀」、「ニクソン」、「ザ・シークレットマン」、
「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」、「タクシー運転手
約束は海を越えて」、「1987、ある闘いの真実」、「共犯者たち」、
「スパイネーション 自白」や「華氏119」ほどではないですが、
このような映画に興味がある人は鑑賞しても良いと思います。
色々な立場の女性が登場するので、女性はストーリーを理解でき
なくても、一見の価値はあるかもしれません。
説明責任を果たさない人が、国の最高権力者になれば、
やりたい放題で止めることは、誰にもできません。
民主主義国家であろうと、社会主義国家であろうと、独裁者国家
であろうとたいした違いはないということです。
国の最高権力者が、やりたい放題できるのは説明責任を
果たさないからです。
報道機関が止めることができるのは、国の最高権力者になる前の
候補者たちだけです。
1970年代に、報道機関が説明責任を果たさないニクソン米国
大統領を辞任に追い込んだ前例はありますが、今は状況が全く
異なると言うことです。
報道機関も国民も、説明責任を果たさない米国大統領を止められ
ないのが現状です。
政策、法案やイベントも同じです。
国民が政策、法案やイベントを慎重に選ぶべきです。
後から、何をしても意味はありません。
日本では、根拠となるデータは捏造され、多くの法案が強行採決され、
誰も止めることができないのが現状です。
予算がオーバーし、いくらかかるかさえもわからない、
2020年東京オリンピックや2025年大阪万博を
認めた後では遅いということです。
トルコの国民は、2020年オリンピックに反対し、2020年
のオリンピックが決まる前に、止めました。
日本の報道機関は、2020年東京オリンピックの嘘だらけの
招致のプレゼンテーションを「世界を動かすプレゼン力」
と絶賛し、国民に伝えました。
日本では、嘘だらけのプレゼンテーションを絶賛する報道機関による
監視機能は全く期待できません。
日本の報道機関は、「大本営発表」を垂れ流すだけです。
開催が決定した以降のことについて、誰も説明責任を果たしていません。
開催が決定した後では、遅いということです。
権力が決定する前に、チェックする機能は必要にして、不可欠で、
「報道機関が権力に屈すれば、国民の将来はない」という
ことを再び示してくれた良い映画です。
'88年アメリカ政治実話モノ。
1988年アメリカ大統領選挙。ゲイリー・ハートはまだ生きている(しかも結婚生活が続いてる)っていうのによく許諾したな、と。
みんな忘れてるやろうにまた蒸し返されてうんざりとか思わんのか?娘も生きてるやろうに。
釈然としない…
時代を切り取った群像劇
『JUNO/ジュノ』『タリーと私の秘密の時間』のジェイソン・ライトマン監督作品らしい、つかみどころのない作品。
主人公は確かにヒュー・ジャックマン演じるゲイリー・ハートなのですが、選挙参謀や不倫相手の女性、新聞記者など、視点がくるくる変わっていき、誰にとっての話なのが見えてこない。
というか、群像劇になっている。
1984年の大統領選までは、政治家のプライベートは詮索されなかった。
しかし、1988年には、世間の目は政治家に清廉潔白さを求め、また政治家のゴシップもワイドショーやパパラッチの対象になっていった。
この映画では、そんな「時代の変化」そのものを描いていた。
「マスコミの在り方は本当にこれでいいのか?まずいんじゃないか!?」
「マスコミはこういうのものだ!これでいいのだ!」
という否定と肯定。と同時に、
「政治家は不誠実ではいけない!」
「政治家の仕事とプライバシーは別であるべきだ!」
という否定と肯定。
どちらの解釈も、本作からは読み取ることができる。
実は正義を語るのがこの映画の目的ではないように思う。
誰の視点で見るか、ということ自体を観客に委ねる作りになっているのではないか。
1988年以降、今も連綿と続く「大統領選が人気取りイベント化」したことへの疑問と、言動の怪しい自己利益優先のビジネスマンが大統領になった現代において、アメリカの有権者一人一人への「政治というものはどういうものなのか考えてほしい」というメッセージではないか、と思った。
ゆえに、日本じゃこれ受けないだろうし、これを面白いと思える文化的土壌はないんじゃないかな、とも思ったりもし。
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