朝鮮戦争下でのトルコ国連支援兵と戦災孤児のふれ合いを描く。
トルコと韓国の合作で、実話をもとにしているが、短絡しながらサクサクと進む。すこぶる演出がうまく、絵も明解で人も景色もきれいで、暗くせず明るく描いてある。
映画に先立つ2010年、韓国テレビ放送局MBCにより、孤児の捜索とふたりの再会を描くドキュメンタリーがつくられており、その映画化という位置づけのようだ。
imdb8.3、トマトメーターはなかったがオーディエンススコアは84%だった。
トルコの朝鮮戦争への派兵は、国家戦略的には申請を拒絶されてしまったNATO加盟を目的としたもので、結果的に西側諸国の信頼を得てNATO加盟が認められている。
国家はもくろみがあって事をおこす。親韓だから行ったわけじゃない。
しばしば日本ではエルトゥールル号遭難事件やイラン・イラク戦争時のトルコ航空機による邦人救出などをもってトルコは親日だ──と言われることがある。
しかし親(国)とはなんだろうか。
たとえばこの映画には主人公スレイマン(Çetin Tekindor)たちが休暇中に訪れた(50年代当時の)東京の描写がでてくる。
そこは筒井康隆の色眼鏡の狂詩曲と化した、あるいはカウリスマキの希望のかなたに出てくる和食レストランみたいなヘンな東京であって、それはそれで絵として楽しいが、もしトルコが親日というほどに日本の理解者であるなら、いい加減な描写を避けるのではなかろうか。
カウリスマキにしたって親日じゃなくて小津安二郎が好きなだけだ。そういうことを勘違いしちゃいけない。
そもそも韓流エンタメがヨーロッパを席巻しているからこそ、応答せよ1988(2015)に出ていた子役キム・ソル(アイラ役)がキャスティングされているわけで、親日か親韓かをくらべたらトルコ庶民は親韓ととらえたほうが自然だろう。
というより他国人はたとえば宮崎駿が好きであろうとも、宮崎駿が日本人なのかそれとも他のアジア国の人なのかを頓着していない。たんに宮崎駿がすきってだけだ。
すなわちたんなる“お気持ち”を国家間の「親日であるという希望的観測」に拡大解釈するのはやめろという話。お花畑すぎる。
この地球上に親日の国なんか存在しない。
わたし/あなたが、どこかの国を親しく思っていないのなら、ほかの国の庶民がわれわれを親しく思っていない──という相対的で常識的な判断ができるはずだ。ピザやパスタが好きってレベルの話を親伊へもっていくな。
どこどこの国が親日とかって言うのほんとやめれ、あほすぎるから。ヤフコメ民だけにやらせとけ。
時事として興味深かったのはマリリン・モンローの慰問。モンロー似の女優が慰問時の衣装も再現していた。
当時モンローはジョーディマジオと結婚したばかりで、読売ジャイアンツに招かれた彼に同行し、新婚旅行を兼ねて日本に来ていたという。
『日本滞在中の2月16日(1954年)からの3日間、モンローは朝鮮戦争休戦後も韓国に駐留する国連軍兵士を慰問するUSO(米国慰問協会)主催のショーに参加し、(10ヶ所以上の駐屯地を訪問し)60,000人以上の海兵隊員の前で出演作の劇中歌などを歌った。』
(ウィキペディア、マリリン・モンローより)
モンローは慰問で風邪を引いたそうだ。