惡の華のレビュー・感想・評価
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思春期の中学生そのもの!
誰もが通ってきた思春期、もしくはそれに似た何かの感じ方を、ボードレールの悪の華を通してとてもリアルに描いていたところがとても良かったです。
教室での事件や、あの街で唯一の“向こう”であるあのテントや、夏祭りのシーンは絶対にありえなくて、自分には関係ないように見えるのになぜか共感してしまうし、とても身近なように感じました。
漫画は読んだことないのでわかりませんが、この世界観が素晴らしい。きっと原作に近いものになっているのだろうと思います。
そしてこの作品に見合ったキャスティングも見どころの一つです。
多分あの仲村さんを演じられるのは本当に玉城ティナさんだけだと思います。1人の仲村という役の中であんなにも色々な目をできるのは素晴らしいです。少し中学生はきついようにも感じた伊藤健太郎さんもだんだん中学生に見えてきますし、3年A組、賭ケグルイで知った秋田汐梨さんの魅力も知ることができました。
玉城さんと秋田さんは本当に体当たりで、よくやったな、よく言ったなというセリフや演技が沢山あってより作品にのめり込むことができました。
時制があっちこっち行くので一回だとわかりにくかったですが…
この閉塞感と生きづらさに共感できるかどうか
原作漫画は序盤しか読んだことないから前知識はないに等しい。
もっと屈折した変態の物語って印象があったが、田舎の閉塞感と生きづらさに苦しむ若者がもがく話だった。この閉塞感と生きづらさに共感できないと面白みは半減してしまうのかもしれない。自分はあまり共感できなかった方。
それでも演じている俳優たちは皆いい。オドオドしてたり、冷徹な眼差しを向けたり、激昂したり。そして、3年後のちゃんと成長してる感じとか。
惜しかったのは仲村さん役の玉城ティナ。冷徹な感じや罵る様は素晴らしいのだが、中学生なのにたまにおばさんっぽく見えてしまった。最後に出てきた仲村さんの方が若く見えたくらい。
さようなら、さようなら。すべてのクソムシどもよ。
「僕を理解できる人間がこの街に何人いる?」と、自分は特別な何かと勘違いしている文学少年の春日は、まるで厨二病そのものだ。そこに突然のように悪魔に変貌した仲村が現れる。人に明かされては一大事の秘め事を黙っているかわりに”契約”を交わす二人。
はじめ、随分と度を越した、変態中学生の学園コメディだと思ってた。ド変態のSに課せられたミッションをこなすうちにド変態のMに変貌していくお笑いだと思ってた。
しかし、見落としていた。原作が押見修造だってことを。「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」なんて素晴らしかったもの。だから、やはり最後には泣かされていた。前半の時点では、まさか涙が流れるラストなんて想像ができるわけがない。快楽的なベチョベチョの変態女子が、糞まみれの生ごみみたいな男子を弄んでるイジメでしかないのだから。だけどなあ、だんだん切なくなっていくんだよなあ。いままで仲村は、どんな気持ちでこの町で暮らしてきたんだろうって想像したときに。一緒に”向こう側”に行ってくれそうな春日を見つけたことが、どれほどの喜びだったんだろうって想像したときに。
たぶん、ほんとうは春日はずっと普通人間だったのだ。仲村に毒されてタガが外れただけなのだ。もしかしたら仲村を憐れんで、アムステルダム・シンドロームのような心理状態になっただけなのかも知れないのだ。だけど、夏祭りでの二人は、間違いなくシンクロしていた。春日は仲村と一体だと信頼していた。だけど。仲村はそうじゃなかった。ある意味、彼女は冷静だった。だから春日を・・・。
ああ、かつてあんなトランス状態を共有した二人と、それを理解できる常盤とのラストシーンは、なんて美しくも儚いのだろう。相手を分かり合える嬉しさと、一緒にはいられない悲しさとが、三人の意識の間を、刹那刹那で交差していくのが見えるのだよ。だから、泣いてしまうのだ。そしてまたどこかで人知れず、小さな惡の華は咲き続ける。傑作だよ、この映画。その証拠に、さっきamazonで漫画全巻とボードレールの詩集を買ってしまったもの。そのくせ満点ではないのは、端正な伊藤健太郎じゃ感情移入しきれないってとこか。岡山天音あたりなら良かった気がするなあ。
はたと思いだす。
そういやクラスにいたなあ、何考えてるんだかわかんない女子が。ほとんど声を聴いたこともない。いつも、本を読んでるか教室の隅で外を眺めていた。あれは「仲村さん」だったんだろうって今はよく分かる。男子は皆、彼女を変わった奴って敬遠してたけど、たぶん当時の青臭い僕らは、彼女から変態の認定を得ることさえもできない程度のクソムシだったのだ。もしも僕が真性の変態だったなら、彼女に”向こう側”へ行こうと誘ってもらえてたのかな。あの子、今どうしているんだろう。どこかの寂れた町の食堂で、普通のおばさんの振りをしながら店員をしていてもおかしくないかもな。やる気のない態度で、不愛想に。そうあの子、何て言ったかな名前。あれ?ヤバいな、覚えていないじゃないか。
残念ながら
残念ながら、とても面白いとは思えなかった…
どうもテーマは、人生が空っぽだということに気付いてしまった中学生たちが奮闘・苦闘・暴走する、ってことみたいだが、人生が空っぽなのは分かってることだし、みんなそこからなんとか生きているのであって、登場人物たちの苦悩をみても「まだそこ?」という感想しかない。だからなによりも台詞が陳腐だし、まぁ厨二だもんな、としか…
まぁこれは原作由来なんでしょうが。
あとこれは好みの問題かもですが、玉城ティナがそれほど絵になる女優とは思えませんでした。
ちょっと褒め所が見つからなかった…
いやーブルマって本当にいいものですねー
原作の漫画も詩集の方も読んだことがない
詩集の惡の華は近いうちに読んでみたい
井口昇作品は昔から好きだ
クルシメさんとか特に好き
玉城ティナ演じる仲村佐和ありきの映画
たらればは禁物だが仲村佐和ぬきでは平凡平凡&平凡な話になっていたことだろう
ブルマってだいぶ前に無くなったがこれはこれで良かった
僕が現役の頃にはあったが年の離れた妹の代では廃止になった
妹がブルマ姿で晒し者になるのは嫌だったので本当に良かった
女子でもないのに春日くんがブルマの匂いを嗅ぐのを見てて本当に気持ち悪くドン引きした
チラ見して視線を逸らすのが青春の1ページ
絶対に盗んではいけない
春日くんも仲村さんも絶叫しすぎ
これが若さか
あとクズネズミってなに?
いつまで続ける青い理想思考
漫画も詩集も未読。他人との比較の上に成り立つ劣等感や自己否定、その反動での他人を認めたくない意固地な浅はかな思考。すべては承認欲求から来るもの。
そんな個人の考えを他の人に求めること自体、弱さの現れ。自己完結できないからとはいえ他人を巻き込み、巻き込まれた方も簡単に承認するあたり、共感できず。
誰しも10代には自己否定や羨望は多かれ少なかれ経験するであろうが、正直それで最後まで押し通すのは、数多の辛酸をなめた大人には退屈すぎて、つまらない。
変態という概念すら、解釈によっては、誰しも持っている要素でしかない。
期待したタイトルすら陳腐に思えるほど。
唯一惡の華の目が、玉城ティナの目と同じところが共感できたところかな。10代向けの映画かな。
予定調和なしに驚き
原作全く知らず。何となくいわゆる普通のヤンキー系の不良が今風の悪さをする話かと思ってたのでびっくり。こじれこじれてひねまがった思春期の物語。山内まりこ的な内容をベースにしてるだけに地域的にも年代的にも共感できる人も少ないだろうけど、がっつり来ました。こういうの本当にあり得るんだろうね。
良く再現されてる
物語の舞台は原作者の生まれ故郷である群馬県桐生市。
渡良瀬川が流れる絹織物が名産の土地です。
あの山の向こう側は栃木県日光市辺りでしょうか。
そして物語の終結の地、千葉県銚子市は千葉県と茨城県との県境に当たる地で、両県の間には日本三大河川の1つ利根川が流れています。
この利根川ですが、銚子から流れを辿ると茨城県古河市辺りで渡良瀬川と合流しているんですね。
おそらく原作者が子供の頃は、地元の渡良瀬川を見る度に「この川は何処まで続いているのか?」なんて思いを馳せて生きていたのではないでしょうか。
そんな思い出から渡良瀬川(利根川)の終点である銚子を物語の結びの地に選んだのではないかと想像します。
月がぱっつんぱっつんに膨らんでるね。
青春?共感?変態?
中高女子校のわたしにとって、春日くんのような人は正直出会ったことがないし、そういう自分の内に孕んだ変態の感情ってものには出会ったことない。と思っていた。けれど、そういう腹のなかのグチョグチョできったない感情を、閉塞的な空間で、どう処理したらいいかわからなくて、間違った爆発をしてしまった感じ、今しか見えない、先のこととか周りのことの想像なんかできない、中学生特有の感じ、なんとなく思い出して、ちょっとむず痒かった。こういう子達を、意味わからないしありえないしくだらないって思ってしまうのは、つまらない大人になってきてしまってるってことなのかなって、墨汁ぶちまけるシーンくらいで気づいて、こういう感想になってます。
仲村さんと春日くんの契約は、二人の必然的な関係性が薄く感じられたので、もっと細かいエピソードとか感情とかを足した方が強くなるんじゃないかなと、原作未読なので思いました。
玉城ティナちゃんも伊藤健太郎くんも、このありそうでぶっ飛びすぎているこの作品に、真摯に向き合って真剣に春日と仲村を生きているのがとても伝わってきて、将来有望な新人さんたちだなと思いました。感情を作るのが大変そうなセリフも多々あったので。
ティナちゃんは、dinerの時は可愛い子の印象が残ってしまっていてオオバカナコとして凡庸さが欠けているなあと思ったけど、今回はいい意味でヒロイン感も消えていて全部クソムシだって思ってる感じがひしひしと伝わってくるキャラクターで最高でした!
セリフがめっちゃ好きだったので原作読んでみようと思います、あとボードレールの悪の華。どんなことが書いてあるのだろう。
現代の古典
人生にはいくつもの終わりがある。
旅のように短いながらも濃密な時間を共有したことでその後の人生が変わる。
三四郎
銀河鉄道999
セクシーボイスアンドロボ
これらの作品と同様に、のちに青春の幻影となる「あの人」との出会いを描いたこの映画は、自意識を葬るために互いを傷つけあう少年少女の物語である。
大人になることに失敗した中年には痛々しい物語である。
それでも主人公が迎える結末が、何も経験できなかったわたしたちの過去を遡って救済してくれる。
井口昇監督の最高傑作。
躊躇しないで観て欲しいです。
普段はメジャーな映画しか観ません。
原作は中学生編を少し読みましたが、共感はできませんでした。
万人受けしない題材を、キラキラ若手俳優さん達がどう演じるのかドキドキしながら観ましたが、若手俳優さん達の演技に圧倒され、想像していたよりずっと刺さる青春映画でした。
高校生編をやることによって救われる。納得しました。
一人でも多くの人に観てもらいたいという監督の原作への強い愛を感じました。
仲村さんのような中高生はいます(いました)
私が中高生だったのは40年以上前ですが、仲村さんのような女の子が同級生にいました。頭が良くて、孤立していて、時々、狂ったようなことをする人でした。結局、大学生の時に灯油をかぶって火を付けて自死しました(映画を見てゾッとしました。このような人の死に方なのですね)。
その同級生のことを思い出してしまいました。
多分、評価の分かれる作品だと思います。高い評価をする方は、同じような経験をした方、低い評価をする方は、そのような経験のない方だと思います。
ちなみに、原作は呼んでおりません。
原作未読で監督の井口昇作品もほとんど見てないが・
憧れの同級生の体操着を盗んだ、伊藤健太郎が、そのことを変わり者の同級生の玉城ティナにネタに変態行為を強要される。
そこから、妙な三角関係になり、嫉妬や逆レイプ、焼身自殺騒動などを経て、想像以上に、爽やかなエンディングへ。
ともかく主役3人の熱演で、伊藤・玉城ともに痛い役柄を熱演して好感が持てる。
特に体操着を盗まれる同級生の秋田汐梨が最初は清純な雰囲気と行動を見せるが、変態二人に引きずられるように、ダークサイドを見せ、最後の表情も実年齢16歳で結構エグい熱演。
井口昇の演出は、変に陰湿にならずユーモアもあり爽やかな感動的な、ところも押さえて巧み。
注目は脚本の岡田麿里で、アニメ界での仕事がメインだか、ちょっと変わった視点とテイストでとても面白い作品を連発しているが、今作は、癖は少ない方で、破綻せずに上手くまとめている。
個人的には、玉城ティナ扮する仲村が何故あそこまで世の中の偽善をクソムシとなじるようになってしまったのが、彼女の家族を見ても今ひとつ理解出来ない。
思春期特有のドグマなのか?原作を機会があれば読みたい。
桐生市の街中に散見される錆びついた建物や寂れた風景を画面に入れることで、人物たちの燻んだ心情を表現している撮影とロケハンは、中々だと思う。
ダークな面もあるが、良質な青春映画として楽しめました。
自分の中ではおもしろ物語
誰かしらの青春時代と重なるところはあるのかもしれないけれど、自分とは無縁のお話だった。
4、5回絶叫するシナリオには苦笑しかなく、かなり引いてしまったけれど、色々と仕掛けめいた設定などは結構おもしろかった。有り得ん!と思いながらも、変わった物語として楽しんだところもあった。
変態先人を超えて行け
変態というものにおける持論について。
メディアやSNS、会話や創作物の中で「変態」という言葉を聞く時、さてその定義って何だろう、と考える。
少し変わった性癖を変態と呼ぶのか、明らかに人道を外れた性癖を変態と呼ぶのか。
そもそも何が変わっていて何が普通なのか。
おそらく人によってその捉え方は違ってくるだろう。
私は、すでに名前の付いている性癖は変態とは言えないんじゃないか、または名前が付いて分類された性癖の中でもさらに狭く個人的な嗜好に到達しないと変態とは言えないんじゃないか、と思っている。
例えばネクロフィアはまだ変態ではなくて、その中でも「腐った肉体じゃないとダメ」とか「自分が死んでから犯されたい」となると変態である、的な。
「人のウンチ喰いてぇ!」じゃなくて、「3人の人間の口と肛門を繋げて観察してぇ!」的な。
要は発想力の問題だと思う。
変態先人が今まで拓いてきた道をそのまま進んでいくだけではただの変態後輩ないしは変態見習いでしかない。
そこから更に奥を行くオリジナリティや、本気で理解できない意味不明さが欲しい。
安易に性欲などと直結させないで、対象と絶頂の間に何かもっと理不尽で回り道で苦痛にも近い欲望の形が欲しい。
ただそうなると犯罪を伴うものが多いだろうし、リアルにそんなの暴露されても普通にキモいし、欲を満たした結果で人が傷付くなら許せるわけもないしで、やっぱり私の持論に沿う変態性など無い方が幸せなのかもしれない。
それか全て本や映画などの創作物に起こして私にぶつけて欲しい。全部全部美味しく頂くので。
と、長々と書き連ねてしまった「変態」へのこだわり。改めて読むと本当キモいでしかないな。
これを持つようになったキッカケが他でもないこの「惡の華」の原作漫画だったので、つい。
高校生の頃に読んで「体操着や下着ごときで変態だなんてお前ら変態舐めてんのか!?」と思った時から、変態について考えて考えてやっと一つの答えを見つけた次第だったので、つい。
.
映画について。
原作既読、なんだけど、途中まで(おそらく6巻か7巻辺りまで)しか読んでいないので、「あのシーンが実写で!」という感激と「この後どうなるんだ!」というドキドキをどちらも楽しめた。
「私は今何を観せられているんだ?」という困惑もプラスで。
改めて原作も最後まで読みたくなる。
クソムシだのクソだるまだのまんじゅうだのの単語が人の口から出るとダサさが際立つな。パンチ強いけど。
長年持ち続けた、その程度で変態って言えるかよ!?という疑問は映画で観るとスッと解決した。
なんといっても中学生なんだよな。
子供から大人になる最初の一歩の頃。
どんな人でも心の奥底に持っているであろうドロドロしたものの象徴が仲村さんで、それを総称して「変態」と呼んでいたのか、と。
皆んなの中でも特別になりたい、異質な人の特別な人になりたい、失望されたくない、というごく普通の望みが絡みぶつかり合ってなんだかとんでもないことになっていたんだなと。
誰もが持つぐずぐずぐちゃぐちゃしたもの。
そのまま形にして外に出すのは難しくて悩むものだけど、臆せずやってしまう春日と仲村。
二人を痛々しく感じつつ、とにかく嬉しくて嬉しくて泣いてしまった。墨汁塗れのシーンがやっぱり大好き。
佐伯さんがただの純粋無垢なミューズから嫉妬や拗らせを含んだ汚い人間になる、その変遷も大好き。
しかしあれだけのことを経験しておいて、女子に対する羨望や姿勢が全然変わっていないことに笑った。
高校生になり一皮剥けたように晴れ晴れとしてみせていたけど、本当の地獄ってここからだよね?
23歳になっても未だにグズグズぐちゃぐちゃしてるけど、でもまあそんなもんだよね?
とにもかくにも玉城ティナが良かった。
ずば抜けてぶっちぎりの美少女だし声も可愛すぎるけど、口を大きく開けると顔全体が歪んで少し変な顔になって、その変な顔の絶妙な気味悪さが完全に仲村さんにハマっていた。
春日役はもっとヒョロい身体の人の方が合ってるかなとは思ったけれど。
みんな中学生にしては無理があって、無駄にエロく見えるのが若干のノイズ。
田中偉登はいつでも何しててもバチバチに光ってやがる。
何だかんだで想像以上に楽しめた。満足。
変態というものについてこれからも考えていきたいし、私のグズグズぐちゃぐちゃがいつか昇華される時を想って生きていきたい。
"Life Is Unfair"な映画①
苛めにあった者のトラウマと、そこから抜け出そうともがき、苦悩する者の姿を描く…。
玉城ティナ演じる仲村佐和の姿を見ていると、色んな感情が起こってきて、つらく痛ましかった。
もっと復讐を!
人生とは不公平ですな…(笑)①
共感があまり出来なかったが
世の中に窮屈さを感じながら日々を過ごしていた春日はクラスの中でも浮いている仲村に秘密を握られてしまい…。
原作未読であまり共感出来る内容ではなかったものの、拗らせた者同士の触れ合いによって厨二病が昇華していく様がドギつい内容に反し爽やかな後味で描かれていました。
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