劇場公開日 2019年9月27日

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「変態先人を超えて行け」惡の華 KinAさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0変態先人を超えて行け

2019年10月4日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

変態というものにおける持論について。
メディアやSNS、会話や創作物の中で「変態」という言葉を聞く時、さてその定義って何だろう、と考える。
少し変わった性癖を変態と呼ぶのか、明らかに人道を外れた性癖を変態と呼ぶのか。
そもそも何が変わっていて何が普通なのか。
おそらく人によってその捉え方は違ってくるだろう。

私は、すでに名前の付いている性癖は変態とは言えないんじゃないか、または名前が付いて分類された性癖の中でもさらに狭く個人的な嗜好に到達しないと変態とは言えないんじゃないか、と思っている。
例えばネクロフィアはまだ変態ではなくて、その中でも「腐った肉体じゃないとダメ」とか「自分が死んでから犯されたい」となると変態である、的な。
「人のウンチ喰いてぇ!」じゃなくて、「3人の人間の口と肛門を繋げて観察してぇ!」的な。

要は発想力の問題だと思う。
変態先人が今まで拓いてきた道をそのまま進んでいくだけではただの変態後輩ないしは変態見習いでしかない。
そこから更に奥を行くオリジナリティや、本気で理解できない意味不明さが欲しい。
安易に性欲などと直結させないで、対象と絶頂の間に何かもっと理不尽で回り道で苦痛にも近い欲望の形が欲しい。

ただそうなると犯罪を伴うものが多いだろうし、リアルにそんなの暴露されても普通にキモいし、欲を満たした結果で人が傷付くなら許せるわけもないしで、やっぱり私の持論に沿う変態性など無い方が幸せなのかもしれない。
それか全て本や映画などの創作物に起こして私にぶつけて欲しい。全部全部美味しく頂くので。

と、長々と書き連ねてしまった「変態」へのこだわり。改めて読むと本当キモいでしかないな。
これを持つようになったキッカケが他でもないこの「惡の華」の原作漫画だったので、つい。
高校生の頃に読んで「体操着や下着ごときで変態だなんてお前ら変態舐めてんのか!?」と思った時から、変態について考えて考えてやっと一つの答えを見つけた次第だったので、つい。

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映画について。
原作既読、なんだけど、途中まで(おそらく6巻か7巻辺りまで)しか読んでいないので、「あのシーンが実写で!」という感激と「この後どうなるんだ!」というドキドキをどちらも楽しめた。
「私は今何を観せられているんだ?」という困惑もプラスで。
改めて原作も最後まで読みたくなる。
クソムシだのクソだるまだのまんじゅうだのの単語が人の口から出るとダサさが際立つな。パンチ強いけど。

長年持ち続けた、その程度で変態って言えるかよ!?という疑問は映画で観るとスッと解決した。
なんといっても中学生なんだよな。
子供から大人になる最初の一歩の頃。

どんな人でも心の奥底に持っているであろうドロドロしたものの象徴が仲村さんで、それを総称して「変態」と呼んでいたのか、と。
皆んなの中でも特別になりたい、異質な人の特別な人になりたい、失望されたくない、というごく普通の望みが絡みぶつかり合ってなんだかとんでもないことになっていたんだなと。

誰もが持つぐずぐずぐちゃぐちゃしたもの。
そのまま形にして外に出すのは難しくて悩むものだけど、臆せずやってしまう春日と仲村。
二人を痛々しく感じつつ、とにかく嬉しくて嬉しくて泣いてしまった。墨汁塗れのシーンがやっぱり大好き。
佐伯さんがただの純粋無垢なミューズから嫉妬や拗らせを含んだ汚い人間になる、その変遷も大好き。

しかしあれだけのことを経験しておいて、女子に対する羨望や姿勢が全然変わっていないことに笑った。
高校生になり一皮剥けたように晴れ晴れとしてみせていたけど、本当の地獄ってここからだよね?
23歳になっても未だにグズグズぐちゃぐちゃしてるけど、でもまあそんなもんだよね?

とにもかくにも玉城ティナが良かった。
ずば抜けてぶっちぎりの美少女だし声も可愛すぎるけど、口を大きく開けると顔全体が歪んで少し変な顔になって、その変な顔の絶妙な気味悪さが完全に仲村さんにハマっていた。
春日役はもっとヒョロい身体の人の方が合ってるかなとは思ったけれど。
みんな中学生にしては無理があって、無駄にエロく見えるのが若干のノイズ。
田中偉登はいつでも何しててもバチバチに光ってやがる。

何だかんだで想像以上に楽しめた。満足。
変態というものについてこれからも考えていきたいし、私のグズグズぐちゃぐちゃがいつか昇華される時を想って生きていきたい。

KinA