惡の華のレビュー・感想・評価
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中学生の物語であることを忘れないで観る
押見修造のこの原作に、岡田麿里が脚本、監督が井口昇というのは面白い組み合わせだ。実際、この座組みの妙がしっかり出た作品だったのではないか。押見修造は少年の痛々しさを描くのが上手いし、岡田麿里は女性の欲を生々しく描くのが上手い、井口昇は変態的なものへの感性が鋭い。少しでもこういう題材に対して、冷笑的になったり、斜に構えた態度で描いてしまうと、とたんに薄ら寒い作品になってしまっただろうが、そういう素振りが一切なく原作の魅力を映像にきちんと定着させることに成功していると思う。
伊藤健太郎と玉城ティナも良い芝居をしている。ただ、一点残念だなと思うのは、やはり中学生に見えないことだ。この作品は中学生の物語であることが決定的に重要なので、そこは脳内で「これは中学生なんだ」と言い聞かせないといけない。しかし、それさえ除けば非常に良い実写化だったのではないか。玉城ティナは今後女優としてのかなり期待できると思った。
いつも最後は「ありがとう」
中二病の心を体現化したような作品に感じた。
「思春期に苛まれるすべての若者たちに捧ぐ」とオープニングに示されるとおり、この作品は彼らの心の中を解放したものだろう。やるだけやるということがどんなことなのかを描いた作品。
そしてこの作品は、思春期に苛まれていない「クソ虫」どもには関係ないのかもしれない。
好きな女子の体操服を持ち帰ってしまうという出来心から始まるこの物語は、春日少年の心の闇をひとつひとつ表に出しながら大騒動にまで発展する。
仲村という女の子
反抗期だと見ればどこにでもいるタイプだが、物語だけに究極にデフォルメされている。
その彼女を慕おうとする春日には、中二病特有の思想が見られるが、本人は至極真面目に悩んでいる。
何が正しいのかがわからない。一つの出来事に対する思いがいくつもあって選択できない。
今まで教え込まれてきた認識や常識では仲村の言動を受け入れられないが、どうしても彼女の思想に傾倒してしまう自分の存在を否定できない。
それは父からもらった「悪の華」という本やその他の読書で学んだことで、教え込まれたものではない「新しい根源」を見つめることでしか生きる場所はないと、春日は本気で信じられるのかどうか試されている気がしてならない。
それを試しているのが仲村だ。彼女によって解放されていく心が、春日には心地いいのだ。
「僕は彼女に付いて行きたい」「でなければ、クソ虫連中と同じになってしまう」
昔も流行ったオールオアナッシングやデッドオアアライブ的発想。
中学生が荒れていた時期があった。それは金八先生の時代で、社会問題化していて、地方に広がって、若者たちは自分自身を探し回った。
心の中から社会に対する叫び声が湧き上がる事実があった。
女子に対する些細ないたずら 校舎のガラスを割ったり、教室をめちゃくちゃにしたり、性への目覚めや自分は他人とは違うという思い込み。
当時との違いは、むやみに人を傷つけないことで、問題の核を自分自身の中に見出そうとしていること。
ただそれが自分自身というよりも、出ることのできない「この街」の向こう側に答えを求めている。
家出
できなかったこと 行けなかった 無力感 いくら別の町に行っても変わることのない「自分」
佐伯は段ボール小屋で春日にフラれ火を放ったことや仲村と言い争ったことで鬱になる。彼女は病院のTVで見た夏祭りで、春日と仲村が盆踊りのやぐらを占拠し灯油を被って火を放とうとする光景を見る。
佐伯の涙は、そこまで行きつくほど真剣に生きている二人に対する羨望だったのだろうか。
「どっちの方が好き」とか言っている小便臭いガキの概念はそこには一片たりとも見つけられない。この街に対する鬱憤への報復。
そしていざというとき突き落とされた春日、一人で火だるまになろうとした仲村も、父によって阻止された。そこですべてが終わった。
高校でも当時の時間は止まったまま。出会った常盤にほのかな恋心を抱くものの、心の中を占拠しているのは仲村だ。
その事を見透かされる。見透かしたのは佐伯もだった。
佐伯は春日を好きだったが、そこまで行くことができない自分を受け入れた。だから仲村の居場所を教えたのだろう。あの日のままの春日を見てあえて「彼女も不幸にするつもり?」とけしかけ、会って話し「私からも、町からも、仲村さんからも、一生逃げていくんだね」と言ったのは、彼女なりの声援だったのだろう。
このままじゃいられない春日は、常盤と一緒に仲村を訪ねる。
波打ち際でずぶ濡れになりながら思春期の最後のあがきをした。
仲村は言葉にしなかったが、あの光景はいつも彼女が言っていたような「クソまみれのドブのような生ゴミみたい」な夕日ではなかったはずだ。
「二度と来んなよ、普通人間」 仲村の最後のセリフ
消え去った悪の華の象徴的な「目」
大人の言うことを黙って聞いても、春日と仲村のような行動をしても、結局は同じ場所にたどり着くのかもしれない。
最高に遠回りしながらたどり着いた場所は同じでも、心の赴くままに行動して経験したことは小説を書けるくらいの内容になっていた。
無駄なことなど何もない。思春期に思ったことすべてやってみろ。その経験値こそ人生だとこの作品の作り手が言っているような気がした。
電車の窓に映っていた「ありがとう駅」
それは、心の衝動を与えてくれた思春期に対する言葉なのかもしれない。
荒々しくストレートな青春物語
荒々しいが、青春というものをしっかり捉えた面白い作品だった。題名からシリアスな作品だと思っていたが、青春時代を経験している者なら誰でも、心に刺さるシーンが多い、異色ではあるが純粋な青春物語である。青春時代の閉塞感、抑えきれない感情の暴走、未熟な自己表現、異性への想い、など、青春のエッセンスを荒っぽく詰め込んだ、見応えのある作品である。
主人公は中学生の春日高男(伊藤健太郎)。彼は、刺激の少ない街での中学校生活に閉塞感を感じていた。ある日の放課後、彼は、教室で、クラスのマドンナである佐伯奈々(秋田汐梨)の体操着を見つけ衝動的に盗んでしまう。それをクラスメイトの仲村佐和(玉城テイナ)に見られ、黙っていることを条件に、佐和の言うことを聞くように迫られる・・・。
いつもオドオドしていて、背伸びしてボードレールの『惡の華』を愛読書にしていることを自慢している春日、暴言を吐き、暴力的態度で問題児の佐和、見かけは清楚だが内に秘めたものがありそうな奈々。三人の個性がぶつかり合いながら物語は展開していく。
佐和がとんでもない問題児に見えるが、そうではない。何もかもが納得できず、逆らっていく佐和は、既成概念には飽き足らないが、目指すものが見つからず彷徨している。青春時代の若者の心情をストレートに激しく表現している。当時、色々なものにぶつかっては跳ね返され続けていた自分と重なるものがあり、胸に迫るものがある。
一方、春日は、理性、プライドで本当の気持ちを覆い隠していたが、佐和に刺激され、導かれて、彼の心は開放されていく。春日には佐和の思考、価値観が分からない。やがて、それは未知なるものへの憧れとなり、佐和への想いとなっていく。
ラストが素晴らしい。佐和の想いが切ない。春日は佐和を乗り越えなければ次に進めない。大人になれないことを強く示唆している。
本作は、青春の激しさと彷徨をストレートに表現した良作である。
私は押見修造が好きで映画も好き
私は押見修造が好きで映画も好きだがこの映画はなんか違う。はっきり言うと役者に中学生感がない。別に約束のネバーランドの実写版みたいな容姿のことじゃない。発言や行動に中学生感がない。ここのせいで違和感がすごかった。中学生特有の人間ぽさがない。ゆえに映画を見てても同じわように緊張しない。漫画はもっと面白かったのに。まぁ大体実写化するとこうなるよな。
ティナちゃん可愛いが中学生とはちと無理があるような
春日君も中村さんも考え方が特異過ぎてちょっと理解はしかねる。春日は佐伯さんが好きではあったんだろうが、きっと,春日と中村さんはお互いに物事の考え方が似ている事に気がついて惹かれあっていたんだろう。夏祭りでの二人の考えた向こう側は行けずに済んでやれやれ。何故あそこまで極端な発想になってしまったのか、やはり理解は出来ない。
玉城ティナはやはり可愛い。でも中学生にはちと無理があるのでは?健太郎君も中学生はかなり無理があったと思うが。
胸クソ悪くも、共感できるところはあるはず
原作の概要は知っているものの、読んだことはない。
仲村と春日の言ってることもやってることも気色悪いが、それでもこの「中二病」(と一言で片付けてはいけないかもしれないが)とでも言う厭世的な感覚は、誰しも経験したことはあるはず。
だからこそ、作品がおもしろいともひとに薦めたいとも思わないが、わかってしまう自分がいたことも確か。
玉城ティナをキャスティングした事がデカい
正直言って、嫌われ者の仲村さんが可愛い過ぎます。でも、それがこの映画の一番の魅力だったような。原作でも、別にブスには描かれてはいませんが、映画ではちょっと魅力がありまくりですね。玉城さんも「ダイナー」では、「悪の華」とは逆のキャラだったので、幅広く演技が出来る女優さんではないでしょうか。
私は大好きな作品です。
仕事が忙しく・・仕事ばかりしてきた。
本来好きな映画も、漫画を楽しむ事も減っていた最近見ました。
一般的には、なかなか受け入れられない内容。
この作品の言葉でいえば、「普通人間」には理解できないと思いました。
私は、ドンピシャではまってしまった。
この作品の仲村さんは異常かもしれないが、私は仲村さんのようになりかった。
結局、私も中二病だったし、変態だし・・
だから、100%楽しめた映画だった。
SMの関係程はげしくない描写、思春期ならではの性や変態行為
私には、ちょうどいい作品だった。
久しぶりにブルーレイで購入したいと思いました。
多くの人には理解できないかもしれないけど、
仲村さんと春日の関係を羨ましく思いました。
強い描写を意識しすぎて土台が緩め、キャストが強いだけに設定に限界を感じる
バックボーンが見えてこないのが残念。なぜ彼が、衝動に駆られたのかが入っていないため、どうも置いてかれるような印象に。「だれでもない自分」を追い求める様は確かに理解できるが、いまいちその背景を描ききれていないように映った。
クラスの人気者の体操着を嗅ぎ、それを見られたことで始まる服従の関係。次第に突き動かされるように非行していくが、どうも掴めない。「なぜ?」なのだ。腹を括った理由はどこにあるのか。分からなくなりつつも、衝撃たる描写でねじ伏せる。思春期でもそんなことあるか?的な、行きすぎた行動が続く。そんな序盤の鬱陶しさを払い除けてくれたのが、秋田汐梨の演技。クラスのマドンナ的存在でありながら、醜く落ちてく春日にハマっていく。中学生の時にはあどけなさを、高校生のときには大人らしさを使い分けるように躍動する彼女は結構びっくり。むしろ彼女しか中学生に見えなかったくらい。キャストがそれなりの存在感を放っていただけにちょっと内容の構造が残念。
私はピカソの絵を見たかったのであって、ラッセンが見たかったのではない。思春期の混沌とした感情をテーマにしておきながら、その描写を大胆に描きすぎたことで、結局は後悔を美化しているだけではないか。惡の華がもたらした意味すらあんまり感じなかっただけに残念。私欲が垣間見えるような映画だった。
向こう側って。
何故。春日が悪魔のような中村さんの言いなりになるのかが分からない。玉城ティナの狂気的な演技が凄い。春日はミステリアスな中村さんまたは自分にないものに惹かれたのか。まさにSとMの世界。そして佐伯さんもまたふたりの世界に関わり心療内科を受診することになる。
時々。意味深な言葉が出てくるけど。全然、意味なんてなく春日は完全に中村さんに洗脳されていると感じた。
中村さんの向こう側っておかしな世界だった。クソムシが合言葉。これって宗教?私は共感できなかった。
春日は変態ではないし逃げているとも思わなかった。飽きずに観られたけど。何処か。わからない映画だった。
まじもんの黒歴史
原作をちょこっと読んだ程度で観ました。
いやぁ、中学生全開やな、、自分が何をしたいのか分からないまま心の中のもやもやが爆発した人たちのお話ですね。
伊藤健太郎と玉城ティナが大人すぎてエロに寄ってたからガチの中学生を起用してた方が気持ち悪くて良かったかも。
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