「女性が書いた話だと思った…」映画クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン 失われたひろし BBさんの映画レビュー(感想・評価)

1.5女性が書いた話だと思った…

2019年4月20日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

誤解がないように先に言うと、
私は女性ということもあり、
クレヨンしんちゃんの「女性=セクシーであるべき」「三十代以上はおばさん」「デブに価値なし的なセクハラ」描写は嫌いです。

でも、クレヨンしんちゃんは好きで、これまでの映画も全て見ていますし、クレヨンしんちゃんの独特なユーモアが好きで、唯一無二のコンテンツだと感じています。

そして、結論から言うと、
「クレヨンしんちゃん」というコンテンツそのものから、ともすれば女性蔑視ともとれる描写を一切排除すると、もはや「クレヨンしんちゃん」ではなくなってしまうんだな、と感じてしまいました。

とにかくこれまでの「クレしん」から良くも悪くも「母親受けがいいクレしん」を目指した感じに仕上がっています。
そしてそれは正直失敗だと感じました。

クレしんといえば、「若くて美人で細くて、でもおっぱいは大きな女性が良し」とされていて、
そうではない(といっても30台前半?で、言うほど太ってもいない)みさえをとにかくデブでブスなおばさん、と取れるような「イジり」がもはやお家芸となっています。

でも今回はみさえをとことんフォロー!
身体的なイジりはなく、イジりがあっても、とにかくフォローが入ります。
正直、これまでのクレしんを知っている人が見ると違和感が拭えません。え?そこしんのすけがフォローする?みたいな…。

いつもの「きれいなおねえさん」ポジションのヒロインも、「きれいで若い」といった描写は、登場シーン以外ほぼなし。
ただただ「運が悪い」と定義されるヒロインは、クレしん銀幕ヒロイン史上初めてではないでしょうか。

いつもと(ヒロインの造形の)絵自体は似てるんですが、
きれいともおっぱいが大きいとも、若いとも言われず、今回はただ「運が悪い」推し。
ヒロインにひろしとしんちゃんがメロメロになってみさえに怒られる、みたいなシーンもありません。

特に違和感を感じたのはしんのすけでしょうか。
ぶりぶりーぶりぶりーとか、お約束の下ネタも一切ありません。
きれいなおねえさんに鼻の下を伸ばしてナンパすることもないです。
せいぜい水着の人が歩いているのを見てデレっとする程度。

セクシーなおねえさん達とのダンスシーンでも、
ひろしもしんのすけも、これまでならメロメロになって一緒に踊るところですが、今回は、ただただストイックにそれぞれが踊り続けます。
ひろしはみさえのためだとしても、しんのすけは??とそのキャラ設定のブレに驚きます。

いつも意外と活躍しちゃうひまわりも、
今回は「普通の赤ちゃん」になっています。
高速ハイハイとかないです。

「それ必要?」というくらいオムツ換えのシーンや授乳のシーンが冒険の最中に差し込まれ、
リアルな赤ちゃんはこんなものでしょ、とばかりにただ寝転がり、動かず、背負われ、簡単なおしゃべりもしません。

きっと「今までのクレしん銀幕に出てきていたひまわりの描写に不満があった。赤ちゃんはこうではない。子育てはこういうもの」というリアリティを盛り込みたかったのだと思いますが…
みさえの授乳シーンって…スクリーンで見たいですか…?
ただ転がってるだけの赤ちゃんって、クレしんという作品に必要でしょうか…?

ひまわりのオムツも一回の映画で何回かえるのかな、とか。
もちろんリアルには1日も何回も変えるものですが。

飛行機に乗ると赤ちゃんって吐いたりするよね、とか。
子育てあるあるなんですけど、それ、クレしん銀幕で敢えて今描かれること…?みたいな違和感が終始つきまといました。こういうリアリティって、はちゃめちゃギャグ(特に銀幕版で冒険アクションファンタジー)に必要かな…?ってぽかーんとしてしまいました。

「多少恋愛していた過去の自分とは変わろうが、変わってしまった自分と、そこまで共に過ごしてきた歴史ある自分をありのまま受け入れてほしい」という世の中のママたちの理想を体現するのが、今回の映画の1つのテーマ。

なので、あくまでも主役はみさえです。

母親は愚痴を子どもに聞かせるべきではないと思っている、
というシーンとか…え…そんなポリシーこれまでの野原家にあった…?みたいな不自然な「子育てシーン」にもげんなりしました。
当然、そういう理想に基づいて行動しているのが今回のみさえなので、
「おバカ!」としんのすけを殴るシーンもありませんし、
ヒロシにビンタもありません。
今までだったらされててもおかしくないな、みたいな流れではありますが、とことんそういう「世の中の母親が見て眉をひそめるような子育てシーン」は排除され、
「理想的な母親像をしっかり守るみさえ」が描かれています。

正直、終始、脚本家のエゴを感じました。
誰のために書いた脚本なのでしょう?
作家である以上、作家性は確かにあっておかしくないし、出したいというエゴは否定しませんし、
女性だからこそのしんちゃんを描きたいと思う気持ちもわかりはしますが、
それは原作をお借りしているクレしんで、これまでのキャラや作風を曲げてでもやるべきことなのかな…?とか。

「しんちゃん」が活躍しないのも気になりました。
しんのすけの良いところが出て、
ひろしの意外と頼れるところが出て、
みたいな銀幕特有のカタルシスもあまりなくて…。
ラストもあっけなく、拍子抜けです。

ラスト含めて今回は基本的に「話し合いで解決」です。
みさえの敵の倒し方も暴力ではなくて「話し合いましょう!」です。
動物相手だろうが、未知の言語を操る異民族相手だろうが、
「話せばわかる!話し合いましょう!」と主張し続けるみさえ…。

カタルシスがなくて当然ですね。

今さらそんなこれまでのキャラ設定をぶち壊すような設定を入れ込んでくる必要ある???と終始気になってしまって、小ネタしか楽しめませんでした。
要所要所感動させるようなところもあるんですが、
キャラ変が激しすぎて違和感が勝ってしまいました。

木南晴夏さんの演技は良いです!
あと、新しいしんちゃんの声優さんもほぼ違和感ないですね!
たまに「あれ?」と思ったりしましたが、娘は気づいていないと思います。

追記:MISIAとか福山の歌突然流すの、ダサい演出だな…と思いました。全てが違和感しかない…。

HB