メモリーズ・オブ・サマーのレビュー・感想・評価
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少年が大人になる瞬間?っていうのか 女子と遊んだり 上級生に立ち向...
少年が大人になる瞬間?っていうのか
女子と遊んだり
上級生に立ち向かったり
大好きだった母に反抗したり
父と母の関係を疑問視したり
…
寂しさ故に、自分から扉を開いていく
その思春期の心情を細かく描いてて、それがポーランドの景色、チェス、海水浴、自転車など素朴な習慣が尚一層引き立てる
勝負服はワンピ!
職場(多分)の人と不倫して夜の商売を始めたかのように濃い化粧してワンパターンな男受けワンピース着て、不倫相手の嫁が乗り込んできて、旦那バレして、不倫あるあるを全て盛り込んだ映画。
救いも何もなくて、ただただ息子さんが不憫。ついでに、出稼ぎ父ちゃんも不憫。(まあ、もしかしたらこの父ちゃんも出稼ぎ先で何やかんやしてるかもだが)
「僕のことなんか構うなよ どっか行っちゃえ」
ポーランド版『是枝作品』との印象を持ってしまったのは自分だけだろうか。一夏の少年のジュブナイルな作品である。年齢的には13~15歳という感じを受けたが、劇中には一切年齢のことを想起させるものが描かれていないので勝手に想像してみた。
そんな少年が夏休み中に起こった出来事を少年の目線や、極近い範囲のアングルで描かれる映像である。なのでアップも多用しているし、あくまでも少年に寄り添った視点を貫いている。ストーリーのテンポが速いので余計な心象カットも少なく、ストレスは感じずに鑑賞できる良作である。単身赴任で母子2人だけで暮らす環境からの母親の浮気、プールで知り合った親しくも無い男の子の溺死・・・とみせかけての実は後半生きていた事が唐突に分り、喜びもつかの間、その男の子の父親が実は母の浮気相手だということが分ってしまう振れ幅の広さ、近くに里帰りなのか急に現れた女の子との淡い恋心からの、自分の母親と同じような行動をすることで、女性の見方に戸惑いを覚えてしまう件、そして出張先から一時帰省した父親に浮気がばれてしまう修羅場。単純にクズ母と言ってしまえば簡単だが、そんな弱い母親だからこそ、愛憎がより深く心情を揺さぶる演出として上手に機能している。決してドラマティックに派手な演出はないが、その手に取るような心の機微を丁寧に描いているところに、監督の手腕の高さを窺える。男は単純で女はズルイ。そんな表面的な決めつけでも、少年にとっては自分の無力さを完膚無きまでに思い知られる、ショッパイ夏休みだったに違いない。そしてアバンタイトルでの踏切に残って自殺を意識させる少年の態度からの、ラストでその続きを繫げる構成も上手だ。母親、そして女の子と一緒に訪れた秘密の入り江っぽい、隠れた池からの帰りの線路端の道路での汽車の汽笛に負けない位の雄叫び、そしてその汽車に轢かれようとなるも、実はその手前で止まっていたので、ギリギリ轢かれていない。それは、母親に対するささやかな復讐なのか、それともちっぽけで無力な自分への罰だったのだろうか、多彩な想像を掻立てられる仕上がりとなっている。とかくポーランドとなるとどうしても第二次世界大戦中の過酷な状況、そして戦後の東西冷戦といった暗い影を帯びた印象を持ってしまうが、今作品の時代背景が何時なのか不明とはいえ、こういう世界観でのジュブナイルが描かれることに、いっそうの親近感を覚える内容であった。子鹿を出現させる演出や、ガキ大将的な年長の男の不気味な佇まい、何と言っても母親の脆弱な精神、大人になれない幼稚性を表現しつつの、それでも憎めない可愛さを纏った演技に感嘆を覚える出来であった。
喪失の夏
主人公の少年ピョトレックは母と仲良し。しかし、母の不倫により、突然の母離れを余儀なくされ、母の愛を失う。
次に夏休みのあいだ、都会からやってきた少女に一目惚れする。おそらく初恋。まるで母の愛の代わりを求めるように、母との秘密の場所に連れて行く。しかし、彼女との関係もなんだかうまくいかなくなる。少年は母の愛にも少女の愛にも満たされることはない。
母の浮気を知った父も、母と話し合いすらすることなく、また出て行ってしまう。家庭の崩壊。
夏休みが終わり、少年は母と共に出かける。最初のシーンに戻るラストシーン。歩いている間も暗い雰囲気。少年は警報の鳴り響く踏切のなかに立ち止まる。それに気づかない母。母が気づいたときにはもう手遅れ、電車は側まで来ていた。
少年はぎりぎり轢かれない位置にいて命は助かったが、母との絆は修復不可能なことが暗示される。踏切越しに見つめ合う母と子。ここでは、少年としての死が象徴されているのではないかと思う。彼はもう二度と、無邪気な少年時代には戻れない。彼は大人になっていく。メモリーズ・オブ・サマーとは、ピョトレックの少年としての最後の夏の苦い思い出、喪失の夏。
母ちゃん、しっかり!!
尾行する間、真実を描写せずバンビ?が現れる幻想的な世界観に印象的な母親と寝そべる映像が女の子になり、彼一人になり。
理不尽な言葉を浴びせる母親に、父親までもが負けずに子供に怒りをブチまけるような。
まるで八方塞がりでどちらも傷付けたくない想いが健気に伝わり、恋愛で落ち込む少女のような素振りの母親に、面と向かって立ち向かわない父親と、精神的に幼い両親に振り回される息子。
そんな彼も相対する女の子には酔っている?勢いはあるが、傷付ける言葉を浴びせてみたり。
説明を省いた演出が心地よく感じる反面、無事だったメガネ君!?そして、親かよ!?ってマトメ過ぎ。
母好き勝手やりすぎでは
ポーランドの田舎で母と息子2人で仲良く暮らしてたら(お父さんは単身赴任中)、お母さんが不倫始めて、ついでに好きだった女の子も不良に取られて散々な男の子のひと夏の話。
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元々お母さん結構子供っぽい親なんだけど、男ができた瞬間にわっかりやすくソワソワするし服の好みも変わって、これが親なの恥ずかしすぎるわ。男の趣味に合わせるタイプな。
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さらに息子が不倫相手のところに行かないように部屋の鍵を隠し持ってたら、2人で本気で取り合う。ただの子供の喧嘩やないかい。
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とりあえず母がメンヘラ女っぽくてそれを傍から見てるだけでも楽しい映画でした。
物理的な刺激
苦い。
苦虫100匹、センブリ茶100杯、正体不明の野草100本をぎゅっと濃縮したエキスを飲むのと同じくらい苦い。
冒頭、気まずい闊歩とショッキングなピョトレックの行動で幕を開ける物語に、これから心が重くなる映画を観るんだと覚悟を決めた。
毛穴や肌の質感までよく見える接写のカメラが印象的で、感情よりも物理的で触感に迫ってくる。
肌が触れ合った感触や硬くて冷たい水面に叩きつけられる感覚、女の香りと煙草の匂い、口内に広がる血の味など、とにかく五感が刺激される。
国も時代も違うのに、生活感が強くてすごく身近にこの映画を感じた。
ママとマイカ、二人の女性と対するピョトレックの一夏。
仲良しのママからは色めき立ったテンションや苛立ちをストレートにぶつけられる理不尽と不快感。
心惹かれるマイカの移り変わる女心に振り回され、何が起きてるんだか何考えてんだかわからない不透明感。
常に心地悪さと惨めさがつきまとってくるのでもう堪らない。
ピョトレック、何も悪いことしてないのに…。
おそらく唯一の友達は夏休み中は親戚の方に行っているらしい。かわいそうに。
麦畑を自転車で駆け抜け、湖で思う存分飛び込み、水際で仰向けに寝転び、汽車と競うように爆走する。
一緒にいる人が変わりながら数回繰り返される、このピョトレックのとっておきの遊びのルーティンの対比が完璧だった。
微かな不安を孕んだ一度目、眩しくかわいい青春の二度目、心に重石がのしかかった三度目。
明るい恋の歌に合わせたダンス。
はしゃいだママと地の底に落ちたママ、先導する人の交代。
楽しさも甘酸っぱさも寂しさも心地悪さもすべて詰まった、これらのシーンの対比と変遷が大好き。
眼鏡のひょろい少年のくだりが一番好きかもしれない。
独りと独りが合流する惨めさから逃げ出したその結果の残酷さ。
謎の再会ではきちんと目と目を合わせて向き合い、ひたすらに遊べたことが心から嬉しかった。
天真爛漫で色気があり、きっと男性が横に居ないと気が済まないタイプのママ。
「母親であることより女であることを選んだ」みたいな言葉をよく目耳にするけど、「母」と「女」が別物のように扱われるのは何故だろう。
子供を産んだら女じゃなくなるのか?
一切の色気を捨てて生活に浸らなければならないのか?
そんなことは絶対にないと思う。
とは言いつつ、子供目線になるとこの映画のママの「女」感にはちょっと引いてしまうしなんなら嫌悪感も不快感も強い。
子供からしたらたまったもんじゃない。
息子とママの上昇と下降を繰り返す人間模様には、思わず自分と母親とを重ねたりして。
噛まれる痛みが蘇ったり、男との逢瀬にキャピキャピしてる姿とか、やっぱりヴッとなるじゃない。
あの掴み合いなんて、私だったら殴り返してる。
そもそもシングルマザーの恋愛ならまだしもがっつり不倫(おそらく相手も妻子持ち)なのがネック。
しかし共感はできないけど完全否定もできない。
私があのママだったらきっと同じことをすると思う。
もう少し上手く隠したいけれど。
マイカの移り気も同様に。だって歳上のちょっと不良兄さんの方がかっこいいじゃない。
追い詰められたのか、自分を見てくれないママの気を引きたかったのか、最後の彼の行動と選択はなかなか胸に突くものがある。
もうどうしたって元には戻れない悲しさが辛い。
希望的な未来も絶望的な落ちも想像できず、ただひたすらのお先真っ暗。
無音のエンドロールも示唆的。
ダンスシーンのあの曲がまた聴きたかったな。
一人称ではないけれど、ピョトレックの主観のような描き方が印象的。
彼が知らないことは私たちにも見せず、時には彼の体験も見せてくれない、もどかしさすら感じる表現。
ピョトレックの日記を映画に起こしたようなつくりだった。
飛び込みしすぎ。回転ブランコ上のキスに憧れる…。
波の国から
父親は出稼ぎ中で母親と2人で暮らす友達の少ない12歳の少年の夏休みの話。
数少ない友達は夏休みでお出かけ中、母親は毎晩の様に着飾ってお出かけという状況で淋しさを募らせていく主人公というストーリーに同年代の女の子が現れ仲良くなって行くけれどという展開。
12歳にしては母親との関係性が幼く感じるのはお国柄の違いか、友達が少なく外の世界をまるで知らないからか、まあ微妙な年頃だよね。
母親のクソっぷりに対する始めての反抗感や不甲斐ない自分への憤り等はなかなか良かったけど、彼自身が何か変わったかというと、それは大してみられず残念。
琥珀少年のことも折角ならもっと後悔や苦悩をみせてくれれば良かったのに。
終始もやもやする流れで最終的にももやもや…ある意味それが正解なのかも知れないけどね。
この歳のこの気持ちわかる
夏休みの退屈さ、出会い、喜、悔など、この時代とこの年齢のことが良く分かる。
自分が抱いたことのある思い出が、心の奥から出てきそうな感じ。
母親も女なんだとおもわされた。恋を出しているときは、妙に色っぽかった。
少年役の子もカッコよかった。
ママとの関係が終わってしまった夏のこと
1960年代、70年代の田舎町って言う設定の日本映画にしても、ドンピシャ嵌りますわ、これ。既視感、有り有りです。まるで昭和の日本映画。
ピョトレックの母と少女マイカの行動に類似性。二人に対するピョトレックの想いも平行して同時に進みます。二人は少年の心の中で重なって追い越し、離れて戻り。一夏の体験は、ただそれだけの出来事。それでオトナになった訳でもなく、一皮剥けた程度の夏休みの話。
母親が完全に「オンナ」なんですよね。それを見つめながら少女マイカに接する少年の物語は、文学的と言う表現しか思い浮かばない、静かな映画でした。
ポーランド映画祭の5作目。これが一番の期待作だったので、少し肩透かし食らった感じ。悪くないけど、心には長い時間は残らないと思う。
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6/15 追記に伴いネタバレに変更。
原題「Wospomnienie lata」をgoogle翻訳してみると「夏を彷彿させる」。「夏の思い出」という邦題は、ほぼその通りの様です。監督のアダム・グジンスキは1970年生まれで当時46歳。
映画は、古典的な要素で溢れています。
ルーティーンを繰り返す中で「状況の変化」や「内面の変化」を映し出す。一番目立ったのが、緑色の湖畔に寝そべる姿を天から写す構図。母子、一人、マイカと二人と情景が変化していく。また、喧噪・会話を聞く人物を撮り続けるという心象表現の手法。音楽と無音楽、動と静、おしゃべりと無口の対比。しかも、一つ一つが丹念だし、陰影を美しく使う撮影とか、かなり好き。なんだけど、今、2019年なんだよねぇ、ってのがある。少しはチャレンジ無いですか?してくれ、頼む、と思っている間に映画は終わってしまった。
「自分のせいでおぼれ死んでしまった」と言う罪悪感から救われるピョトレック。しばし共に遊びますが、その後、彼には気まずい劣等感を抱くことになります。この流れの苦さなんかは、もっと強調して欲しかったかなぁ。
夏休みが終わり最初の登校日。ピョトレックは踏切の中で歩みを止めて立ち止まります。知らずあゆみを続けるママ。警笛が鳴り、下りる遮断機。踏切内に、わが子を取り残した事に気づく母親。
「僕は去ろうとしてるよ。どうするの?これで良いの?ママ」なのか。単に「サヨナラ」なのか。「あなたの醜さに気づいてしまいました」ってのもあるかもしれないし。このシーンに「語らせる」ために、それまでの90分だかがある訳ですが、語り尽くせてない気がしてしまう。
二次性徴期に発する反抗心は、往々にして不合理な行動=自分でも説明のつかない行動を「子供達」に取らせる。遮断機の向こう側から叫ぶ母親。でも決して中に踏み込んで我が子を助けようとはしない。電車が通り過ぎて行った時には、ママとの関係は終わっていた。
やっぱり、父親を「失った事」というか「家族が変になってしまった事」に対する苦さ、その事態を引き起こした母親に対する非難を際立たせるためには、例の少年(名前忘れた)とのエピソードはガッツリ強調して欲しかった、って思いました。
良くも無く、悪くも無く。美しいけどココロを引っ掻くって事はありませんでした。
次は、もっと良い脚本で撮って欲しい監督さんでした。
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