バーナデット ママは行方不明のレビュー・感想・評価
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天才だろうか凡才だろうか生きるのはつらいよ。
なんなら人並み外れた天才の苦悩を描いた作品なのに、凡人であるわれわれ庶民からしてもまったく他人事ではない普遍性が宿っているのは、もちろん社会における女性の問題を中心ではあるけれど、同時にパーソナルな生きづらさの物語でもあるからだと思う。バーナデットが家の外で感じるプレッシャー、ストレス、内弁慶さみたいなものが丹念に描かれていて「自分は人間嫌いである」と思いこんでしまう心理が伝わってくる。
個人的には、やり甲斐が目の前にぶら下がっていたら、パン食い競走か人参をぶら下げられた馬のように飛びつかずにいられないバーナデットの興奮状態にも共感しきり。
そしてケイト・ブランシェットだけでも目が話せないのに、クリスティン・ウィグ、ジュディ・グリア、ローレンス・フィッシュバーンみたいな天才級の演技者がぞろぞろと出てきてその贅沢さにも目を瞠りました。
名匠ならではの有機的な物語の紡ぎ方
僕の中でリチャード・リンクレイター監督は、有機的なタッチで物語を紡ぐ人というイメージがある。各々のキャラをこうあるべきと型にはめず、ガチガチに作り込むこともない。俳優同士が化学反応を巻き起こせる余地を十分に残しその空気感を大切に醸成しながら、最初から結論ありきではなく、主人公がどう生きるのか、どこへ向かうのかを観客と同じ目線でじっくりと見守っていく。ベストセラー小説を原作とした本作でも監督のそんなスタイルは一向に変わっていない。独特の個性を持った天才を演じさせれば並ぶ者がいないケイト・ブランシェットの演技も決して紋切り型にならず、キャラの感情といい、家族や友人同士の関係性といい、「今いる現在地を更新していく」というスタンスが貫かれているのがとても良い。その分、ストーリー的な浮き沈みはあまりないので作品としての好き嫌いは分かれるかもしれないが、何か心の中に清々しさの残る一作に仕上がっている。
挫折した気鋭建築家という設定を活かしきれず
リチャード・リンクレイター監督の情感豊かな恋愛物やアメリカの若者らしさがあふれる青春映画が大好きで、ケイト・ブランシェット、ビリー・クラダップ、クリステン・ウィグといった演技派が揃うこともあり、期待値は高かった。原作は米国人作家マリア・センプルが2012年に発表した小説。
ブランシェットが演じる主人公バーナデットは、かつて気鋭の建築家として斬新な設計が業界の賞を受賞しメディアにも取り上げられるほど成功していたが、ある事情で引退し、今はマイクロソフトに勤務する夫(クラダップ)、15歳の娘とワシントン州シアトルの古い一軒家で暮らしている(ちなみにマイクロソフトの本社はシアトルの郊外に位置するレドモンド)。
家族仲は悪くないが人付き合いが極端に苦手で(原作では社交不安障害から発展した精神障害である「広場恐怖症」と説明されている)、娘の希望により南極旅行を約束したことでプレッシャーを募らせる。さらにボスママ的存在の隣人(ウィグ)とのトラブルなども重なってパニックになり、自宅から逃げ出して行方不明になってしまう。
小説では娘が物語の語り手になり、家族旅行の直前に母親が失踪したのち、手紙などの記録から彼女の過去を知り、父親と一緒にバーナデットの行方を追うという構成。ところが映画では、冒頭でいきなり南極の氷壁に近い海上でカヌーを漕ぐバーナデットを映し出すほか、バーナデットの視点と父・娘の視点から交互に語る構成に変更されたことで、観客がバーナデットの行動を見守り続ける格好になり、行方知れずの家族を案じる父・娘の心細さや南極にいる可能性に賭けて追いかけるハラハラ感を共有しづらくなったのは惜しい。なお資料によると、南極のシーンは当初グリーンバックで撮影して合成する計画だったが、ブランシェットの「海と氷山は本物であるべき」との希望により北極に近いグリーンランドでのロケ撮影に変更されたそうで、これはなかなか良い逸話(製作陣はロケ費用の大幅増で大変だっただろうが)。
建築家という仕事についても、住む人と土地に応じて望ましい住居を創造するクリエイターの側面と、土木工学の専門知識に基づき安全で快適な住居をミリ単位の正確さで設計するエンジニアの側面を併せ持つユニークな職業であるはずだが、建築家という設定がバーナデットのキャラクターに十分に活かされてない。過去の受賞作が動画で紹介されたり、設計する前に現地を訪れて調査するといった流儀が語られるほかは、南極に着いてからの盛り上がりに都合よく利用される程度。バーナデットの人物描写に建築設計という仕事のユニークさを有機的にからめることができれば、もっと面白くなったのでは。
エンドロールと一緒に映し出されるユニークなデザインの基地も、最初に見たときはおおっと驚かされたが、実際には2013年に建設された英国の観測基地「ハリー第6基地」(ちなみに設計も英国人チーム)。これを映していい感じで終わらせるのも、「人の褌(ふんどし)で相撲を取る」ようでなんだかなあ、という気分になった。
本作は米国公開が2019年8月、他の多くの国でも同年から翌2020年にかけて公開された(DVDスルーや配信スルーの国もちらほら)。4年もたって日本で劇場公開されるのは、2022年製作の「TAR ター」でケイト・ブランシェットがベネチアの主演女優賞など数多く受賞して注目度が上がった効果だろうか。
井の中の蛙大海を知る
何気なく見始めたがバーナデットに感情移入してしまいしんどくなる映画やった。以下長々とした感想になってしもた💦
芸術家って感受性が強い人が多いんやよね。バーナデットも感受性が強すぎるがゆえ色々なところにこだわり生きづらいんやろうなあと共感。悪いところばかりに目がいくのもそうなんやろうなあ。
完全にうちに籠り、事務的な連絡すらスマホを通じてやり取りをし、社会との関係を遮断している。あれだけ色々なことに神経を使う人やと確かに人付き合いしんどいよね。(周りの人もしんどいやろうが)
私はバーナデットみたいに芸術家ではないし、外では明るく振る舞うが、感受性が強いところは似ているので、ふとした出来事で感情が揺れ動くし、色々なことに自己嫌悪しながら生きている。意図せず相手を傷つけてしまうこともあるやろうし、傷つけられることもあるし人付き合い面倒やよね〜わかるわかると思いながら鑑賞。
自分のウチこそ自分の世界と思っていた彼女が、南極という未知の地へ一人で行き、自分の生きがいを再認識し、家族にも背中を押してもらえ爽やかなラスト。やりたいことを見つけるって人生において重要やよね。
クリエイターは創作をし続けるべきだ!
*
〇〇するべき!という「べき思考」は
あまり好きではないけれど
この作品に関していうと断言できてしまう
失敗の理由を咀嚼しきれなかったが
過ちによって彼女は建築という創作を放棄した
好きなことをやらないでいると
その不満をどうにかカバーしようとして
どんどん歪んでいってしまう
それが心の病につながってしまった
自分が好きなものを蔑ろにしない方がいい
建築にまた携われると分かったとき
彼女は息を吹き返したようだった
瞳の美しい輝きに飲み込まれそうだった
嫌なことがあったり失敗をしてしまったとき
逃げることもひとつの方法ではあるが
自分が心から好きだと思えるものに対しては
あくまでも一時的な対処法に過ぎない
逃げっぱなしではだめだなと思った
自分からは決して逃げられないのだ
その「自分」とは彼女にとって「建築」だった
*
ある天才女性の再生の物語
私にとっては、ケイト・ブランシェット主演『TAR/ター』同様、
ある天才女性の再生の物語でした。
主人公バーナデットは、
かつて建築界を席巻した天才建築家として活躍しながらも、
夢を諦めて家庭に入り、日々鬱屈とした生活で、精神的に疲れてしまいます。
ただ、娘が最大の理解者で娘との関係性と
ローレンス・フィッシュバーン演じる昔のバーナデットを知る人との
再会から、客観的に自分を見つめ直すことができるようになります。
ここが転機となり、
南極旅行に行ったと思い込んで娘と夫を追うつもりが、
娘と夫は出発しておらず、バーナデットだけ南極を向かってしまっており、
娘と夫がバーナデットを探しにいくという、
実によく練られている脚本だと思いました。
夫が精神科医を自宅に連れてきて、バーナデットと対峙する重要な場面が
あるのですが、バーナデットは犬猿の仲であるお隣のオードリーのところへ
逃げ込みます。知人は貴方だけなのというセリフが実に深いのですが、
さながら、身内から襲撃を受けた石田三成が、徳川家康のところへ逃げ込む
エピソードを想起しました。
主人公のメンタルとフィジカルの乖離の複雑さを抱えながらも
自分自身の得意なこと&好きなことの仕事を通して、
家族との絆を取り戻していくラストシーンが、実に感動的でした。
それのみならず、車中で娘と一緒にシンディ・ローパーの
「Time After Time」を熱唱するシーンが私のお気に入りです。
やはりケイト・ブランシェットの演技力と存在感は圧倒的&圧巻で、
それだけでも観る価値のある映画です。
尺八
こじらせママは人生迷子。
かつて最年少で賞を受賞し、天才建築家としてその名をとどろかせたバーナデッドは二十年前に突然業界を去り、現在は教護院として使われていた建物を自宅として改修しながら主婦生活をしていた。
一人娘は成績優秀、夫もマイクロソフトに勤めるエリート家族。何不自由ない暮らしのはずだが、彼女の目下の悩みはママ友たちとの確執と娘へのご褒美となる南極旅行だった。
彼女曰く自分は人間嫌いでとにかくご近所づきあいは苦手、大勢の観光客と同じ空間に閉じ込められる旅行を何とかキャンセルしようと考えていた。
とても子供じみた彼女、さすがに度重なるご近所トラブルやその奇行に夫は心配になりカウンセラーをつけようとする。また同じ時期に彼女が唯一頼りにしていたヴァーチャル秘書がロシアンマフィアのダミー会社によるものだとして財産を乗っ取られそうになる。
周りから攻め立てられた彼女は行方をくらまし、向かった先は南極だった。彼女を追う父と娘。
彼女は南極での新基地建設計画を知り、長年眠っていた創作意欲が蘇る。そして家族は南極で無事再会して、壊れかけた家族の絆を取り戻しちゃったのでありましたとさ。
大まかにそんなストーリーだったと思う。土砂崩れで隣の家が汚泥に襲われるシーンやヴァーチャル秘書のくだりなんかは見ていて面白かった。でも肝心の物語には全くはまらなかった。
そもそもこの主人公が掴みどころがないというか、まったく好きになれず、それどころか登場人物誰にも感情移入できなかった。たとえ作り話であっても見ていてリアリティが少しも感じられないと物語には入り込めない。ましてやこの主人公は人間嫌いと言ってるけど単に周りを見下しているエリート意識の強い人間のように感じられた。
昔の恩師に自分が業界から去ったのは受賞した建物を解体されて、腹立ちまぎれにケツをまくったみたいなことを言っている。自分の価値がどれほどのものだったか思いしれみたいな半ば当てつけのような理由で業界を去ったと話していた。それに加えてママ連中をハエ呼ばわりしたり。正直こんな人間を全然好きになれない。観客を笑わせようとしてるのかケイトブランシェットの芝居もちょっと過剰気味で、その演技力が逆効果だったとも思える。
また生意気マザコン娘も何かと父親にかみついてきて本当にかわいくなかった。お父さんもあまり主体性の感じられない人だし。すべてが作り話の域を超えてなくて、ほんと見ていて苦痛だった。時折挿入される娘のナレーションもあまり心に響かなかった。
前作の「ター」はケイトブランシェットの演技が素晴らしかったので、今回も期待して見たけどまったく個人的に駄目だった。「ギフト」の頃の自然な演技が懐かしいな。
ちなみに最後のスタッフロールの基地建設のシーンは実際の建築風景を撮影したのかな、それともわざわざあれだけのためにセット組んだのかな。
シンパシーmax
Genius
うん。良かった。
ケイト・ブランシェットが風変わりな専業主婦バーナテッドを演じていました。人嫌いでご近所さんとも仲良くできず、トラブルを起こしがちだが、夫のエルジーを愛しているし、娘のビーとは母親というよりも親友のように仲良し。
ジーニアスというのは人と違うものなのだ。天才的な建築家なのに才能を発揮できず、専業主婦をしているが、頑張って普通の主婦らしくしようとしてもできる訳がないのだ。普通の人には理解し難いものなのだ。
だからあの風変わりなバーナテッドは何もおかしくないし、努力もしているが、普通に出来なくてもそれがバーナテッドなのだ。
なのに夫のエルジー、その秘書になったビーの同級生のママ、FBIの捜査官、精神科医の女医のがおかしくないか?
突然消えたバーナテッドだが、そりゃあ消えたくなるわ。分かり合ってると思ってた夫が、周りに感化されて自分を異常だと決めつけるのだから。
でもそうすることで、今まで閉じ込められていた殻からやっと脱出でき、自分らしくなっていくバーナテッドがとてもかっこよくて良かった。
そして本来の家族の姿になれて本当に良かった。
うん。良かった。
車の中でビーとバーナテッドが
シンディ・ローパーのTime After Timeを熱唱してるシーンが良くて、バーナテッドがいろいろ辛いのだろう泣き出したら、こちらまで目頭熱くなった。
エンドクレジットでもシンディ・ローパーの
Time After Time流れて、めちゃくちゃ素敵すぎて、シンディ・ローパーのアルバムをポチッた。
これは良い作品。個人的に
さすがケイト・ブランシェット
ファミリードラマ
一人の旅は 自分探しの旅
転職とか、転居とか、
あなたにとって必要ならば どんどんやりましょう。
・ ・
レイトショーの今夜の東座。
館内はとても暖かです。上映中は暖房機を静かにさせるために、事前にしっかり館内を暖めて下さっている。
たった一人、僕のためだけに映画をやってくれました。
= 4分早く予告編を始めて下さり、
= 4分早く本編が終了。
12月10日の深夜でした。
で、
映写が終わっても 真っ暗な館内のまんまで、ずっと 電気が点かないんですよ。シーンとして。
しばらく待ちましたが、
「映画の余韻を噛みしめて下さい」的な "演出”ではなさそうです。
おやー ?
社長もお母さんも、二人とも寝ちまったかなぁ?(笑)
ホントに寝落ちかな、映写室で?
耳を澄ませてみますが、足音も何も聞こえません。
デジタル映写機をセットしたまま、お宅で、お風呂でゆっくりリンスをしてるのかもしれません・・
それか長電話かも。
ま、それでもいいや と座っていたら、4分経ってようやく、天井の電球が黄色い光で、ぼんやりと灯りました。
ロビーに出てから、東座の母娘と僕は顔を見合わせて大笑い、
「みんなバーナデットと一緒に南極に行っちゃったのかと思いましたよー!」
ここ塩尻市の小さな映画館「東座」は、
先代のお父さんが亡くなったあと、お母さんと二人の娘さんでなんとか守っている古い小屋なんですよ。
投影終了時に館内の電気を点けるのは、今夜はお母さんの役目だったようでした。
「真っ暗事件」のこと、平身低頭なさっていたけれど、常連客も娘さんたちも、このお母さんのことが大好きです。
母と姉と妹で守る、
男の出る幕はない、
東座は、女たちの映画館です。
・・・・・・・・・・・・・
【こじれた女】
建築家として新星のごとくに現れ出で、その世界で目覚ましく活躍していたというバーナデット。
「ルルドの泉」の聖人「聖Bernadette (聖ベルナデッテ)」のように、バーナデットもその名にちなんで17の奇跡を辿るという筋書きですね。
彼女の人生における「奇跡探し」の旅を、もう一度再開するというお話なのでした。
強迫神経症やら、対人関係障害やら、鬱病やら、妄想性パーソナリティ障害やらで、
「瓶の薬」が凄いことになっている。
治療仲介のやり取りの中で、やっぱりバーナデットはアスペルガーで、どう見てもちょっと正常ではなくなってるよなァーって事が、あの様子から有り有りなんです。
夫婦関係も、そしてご近所の付き合いも、彼女の破壊願望で満ちてしまってます。
母=バーナデットが唯一語り合えるのは娘のビーだけでした。
配役キャスティングでは
ケイト・ブランシェットも、夫役のビリー・クラダップも芸達者でした。なりきっていましたね。
精神科医のカーツ先生には、いつもは病人の役が多いあの人、「ファミリー・ツリー」でもいい役どころを演じていたジュディ・グリアでした。
病者との関わりを、その重荷を、見守りを、
家族や地域が、そして同僚たちも、四苦八苦しながら共に担うというこのシチュエーションが、たいへんに秀逸でした。
カウンセリングの会話劇としても、とても素晴らしいものを感じました。
病んでいる一人の人間を、そのままのキャラクターで主役として立てる、
この企画のユニークさです。
・・・・・・・・・・・・・
【建築家のパーソナリティ】
・「AALTO・アアルト」、
・「ル・コルビュジエとアイリーン」
に続けて、僕はこの建築家バーナデットの映画を三作目に観たわけですが、
わかったのは ―
奇人で変人で、人生に不足を感じていて、世の中とは折り合えない、そういうビョーキの人々だからこそ、彼ら、彼女らは他者とは違う《ARTIST》たりうるのだ、ということ。
それは彼らが持って生まれた天性の《ギフト》なのだろうということ。
それが肯定の第1点目。
そしてもうひとつ、第2点目は
結婚や子育てを否定しなくても良い。どれもこれも面白い人生の選択。
したいことをまた都度 再発見すれば良い。
時期が来たら動いて、また旅に出ればOKなのだということです。それは性別や役割を問わずです。
だから
本作のメッセージの比重としては、
・結婚や夫の転居に従っての転居、
・建築家としてのキャリアの停止、
そして
・子育てや病弱だった娘に没頭した母としての日々など、
これらミセスとなったバーナデットの諸々の件は描写されてはいるけれど、作中ではそれらはまったく否定はされておらず、けっこうポジティブな取り扱いでした。
「女の生きづらさ」=男尊女卑社会への告発とか、妻になり母親となったバーナデットの人生を「負の歴史」として 捉えるよりも
この映画は、一歩進んで、バーナデット自身のパーソナリティの特異さとか、面白さの面が、より前面に強調されていて、(数年前までの告発映画の傾向とは少し変化して) 《前進し続ける"個”》の、新しい時代の映画として撮られていたように思います。
つまり
バーナデットの《決断》は、休職も結婚も子育ても、いずれの時期においても彼女の《ベストの決断》として描かれていた ―
そういう面白いコンセプトだったように思うのです。
・・・・・・・・・・・・・
【女、母、娘、ママ友、女医】
そして
【うちの母についての個人的なメモ】
「バーナデット、ママは行方不明」
この題名「ママは行方不明」と言えば、
うちの母のことも忘れないうちに記しておかなくてはなりません。
50代で運転免許証を取得しましたが、
・
・
その日は彼女は帰って来ませんでした。
翌日
「あー、楽しかった」、
「遠くまで走った」、
「車の中で寝た」、と
笑顔での帰宅。
父も僕ら子供たちも 変わり者の母ゆえ、さもあらんと彼女を迎えたわけですが。
70代で大型運転免許取得、
(理由は運びたい仲間がいるからと。レビューが削除されるので詳細は割愛)。
次に
80代で2級船舶免許です。
(洋上で何やら他の船と闘いたかったようですが、この理由もレビューが削除されるので具体的な内容は割愛)。
画家としては絵筆を折った母ですが、結婚も子育てもずっと面白くて夢中だったと。
でもその生い立ちを振り返れば、彼女は、古い父系血族から逃れるために「逃げた」前科があるのです。「女子大に行くのならば許す」との父親を欺き、嘘をついて、おばあちゃんの手引きで田舎町を脱出した人でした。
その行為は、祖父から見れば母の行動は「逃亡」のように見えたかもしれない。
しかし母は自分のしたいことをするために生涯通して《前進》していただけでした。
何物かからとにかく逃げて、南極へと行ったバーナデット。その冒険と充電、発見と復活のドラマを見ると
男もあれこれから逃げたいけど、女も全てのしがらみを捨てて、拒絶して、自分のために旅に出る必要がある。
自分を取り戻すために、です。
僕ですか?
母からの遺伝でしょうかね、
「自分の捜索願」を取り下げに、警察署に行ったことはありますよ。下駄履きのまま学生寮を出て、ふとブルトレに乗って、西の最果て=長崎まで逃げて行方不明になったので。
旅が楽しかったのでお巡りさんの前で笑ったら怒られました。
相当な事になっていたようです(笑)
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【逃げ道としての、突破口としての映画館】
映画館東座は、
切符もぎりの窓口の横には、ドアが開いています。
お住いの、住居部分の小さな台所がちょっと見えています。(てか、開いていると丸見え)。
職住一体で、"堂守”のようにして映画館を守るという事は、つまり、結果どうしてもこの建造物に縛られていて、経営者一家はこの土地からどこにも逃げられないという"足かせ”でもあるのですが、
でも
この古い映画館は、今夜の僕を、バーナデットを追いかける旅=アメリカ・シアトルから〜南極の観測基地まで連れて行ってくれました。
それどころか東座は、不思議な「どこでもドア」なのです。乗組員を世界各地へ運んでくれる魔法の絨毯です。
そして
時空を超えて、過去へと未来へと、縦横無尽に行き来する「タイムカプセル」と言えるかもしれない。
そして東座は哲学と人生の、ゼミ教室でも有ります。
「本当は女優になりたかったんです」とおっしゃる社長さんの、この映画館の建物は、今夜は南氷洋を渡る「砕氷船」になりました。
彼女の羅針盤に従ってついて行くと、この映画館は「世界の窓」になります。
ケイト・ブランシェットにちょっと似て、クールビューティの社長さんなのです。
バーナデットが南極に建てた観測基地は、生きていて動きます。
箱物なのにキャタピラーが付いていて、氷河の上で移動し続ける南極点を、あれは追い続けるんです。
人間が生まれて生きて、育って移動をしていく様子を、じっと温かく見つめて撮影した「6歳のボクが、大人になるまで。」の監督リチャード・リンクレイター 。
かれの眼差し ならではでした。
面白かった。
ありがとうございました。
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◆ 〽そうよ母さんが好きなのよ
バーナデットの娘が歌った まどみちおの「ぞうさん」には驚きましたね。
夫も頑張ってはいるんだけど、女たちの物語になるとどうしても野郎は存在感が薄いですよね、トホホ。
でもこんな彼がそばにいてくれたことも「奇跡」でしょ?バーナデット?
◆今週は僕はケイト・ブランシェット週間です、
レビューは指揮者の苦悩の物語「TAR ター」に続きます。
こっちも主人公は精神安定剤のお薬、飲みまくりですが。
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