「「今度のワイルドスピード楽しみ^^」」バイス いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「今度のワイルドスピード楽しみ^^」
メタ表現とブラックコメディ、そしてプレゼン要素を盛り込みながら、歴史映画としての意味合いを込めつつ事件を紐解く独特の様式としての監督作である。
日本で視ていれば、あくまでもテレビのニュース番組でしかお目にかかれないアメリカの権力者の面々が、その本音を余すところ無く吐露しながら活躍というか暗躍している。勿論、ノンフィクションではないし、エンドロール後のシーンでもリベラル側からの視点が色濃いので100%純度のファクトではない。しかし鑑賞後のこの陰々滅々さ、暗澹とした気分はなかなか拭えないのも事実である。コメディ的要素もここまで来るとサッパリ笑えなく、皮肉さもすんなり受け取れない鬱屈な心持ちなのである。それにも増して今作の余りに沢山の専門用語、とりわけ何度も登場した『一元的執政府』という概念が中々飲み込めずにストーリーを集中して観る事を困難にさせた。法解釈を駆使し、とりわけダブルスピークを持ち出しながら、その巨大なる権力を行使することに取憑かれる男達にはまさに“理念”なんてものはジョーク以外のものではないのである。否、男だけではない。チェイニーの妻でさえもその権力の魅力に取憑かれ黒幕としての役割を嬉々として行なっていたことも同罪である。能力がある人間が権力を行使するのは当然という思考はいつまで経っても逃れられない“煩悩”であり、だからこそ人間たらしめている要素の一つなのであろう。その多くは間違った道に向かうのだが、結果に至りそこで歴史的判断が成される。しかし、過ちは何度も何度も繰り返される。あれだけ映画『1984』で警報を鳴らしたディストピアを誰も止めることなどできず現実となって襲いかかる。そうして人々は政治から益々距離を置くようになる。本来ならばその権力に取憑かれた人間を排除できる権利を有している筈の市井の人々なのに・・・。チェイニーは言う。「私は謝らない」。そりゃそうだ、選んだのは国民なのだから、天に唾する喩えを出すまでもない。
残念ながらAIに政治を一任するしか選択肢がないなんてディストピアがリアリティを以て結論に流されてしまいがちになる程の負のパワー全開の作品であった。