「大衆の「凡庸な悪」を告発してもいるような。」バイス だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
大衆の「凡庸な悪」を告発してもいるような。
構成が面白いと思いました。冒頭からの軽快なナレーションが一体誰なのか、という軽いミステリー要素もあり、映像のリズムもスタイリッシュです。
ナレーションの人は、顔も出します。ええ?だれだれ?って感じです。
無粋な人間なのでさっさとネタバレしておくと、ナレーションの人は、ご近所をジョギング中に事故にあって、脳死状態となり、望んだがどうかは不明だけどその心臓をチェイニーに移植された人です。つまり、チェイニーの”新しい心臓”がチェイニーの人生を俯瞰しているという物語です。
彼は、チェイニーが自分の心臓を”誰かの心臓”ではなく”新しい心臓”と呼ぶことに不満そうでした。そらそうだ。
息子ブッシュが似すぎなので、写ってるだけで笑えます。
息子ブッシュはだいぶあほの子っぽい描写で、面白かった半面、あほの子が曲がりなりにも大統領になってしまうってあんた、というあきれを感じます。
こうして政治家という人々を毛嫌いする感情だけが肥大していくのは良い傾向とは言えませんが、それはおいといて。
チェイニーさんは特段思想もなさげな人です。乱暴者で、飲んだくれで、無為な感じでした。恋人に捨てられそうになって何とかワシントンDCで議員関連のインターンになって、そこで世渡り上手さを発揮し、ほぼそれだけで権力を増大させていったように見えます。おそらく彼のモチベーションは妻と子を食わせる事、ビッグになる事、くらいなんだと思います。マイルドヤンキーのメンタリティと似通っているように感じました。ビッグになる事、つまりある種の権力を握って好き勝手にすること。なんか出てくる政治家たちの望みは、すべてそれに見えました。
チェイニーさんは、妻リンの言いなりです。妻の望みをかなえようと頑張ってきました。妻は優秀だけど女だから進学もいい就職もできなかった人です。全然毛色の違う映画ですが『ギフテッド』の祖母イヴリンを思い出します。
能力を発揮する機会が与えられず、そのうっぷんを夫を支配することで、自分を慰めているんでしょうね。父親から母親が殴られるのを見て育ち、自分の努力は全く報われない。そら、つらかったろうと思います。
チェイニーさんが出世を極めてからは影が薄い感じでした。
いろんなことを思い通りに、自分の好きな人に便宜を図り、嫌いな奴には不利なように(あるいは得をしないように)計らう。仲間内でそういうことをするのが、経験ないわけではありません。こすいことをしてええとこどりできてラッキー!という気持ち、わからなくもありません。とっても下品だけど、ちょっとした万能感ありますもんね。
ほんとはそんなことを目的にしてなかったとしても、そういうおいしい誘惑がいっぱいあるし、激務だし、政治家ってだけでわたしみたいなのには嫌われるし、どうしようもなく利己的な感じに落ち着くのかなって思いました。
また、最後のほうで、うろ覚えだけどナレーションの心臓くんが、だれが彼(ら)を選んだのかということを言っていたように思います。
まじめな問題提議に対して、若い女子2名がそんなめんどくさいこと考えたくなーいって顔で、ワイルドスピードみにいかない?と私語をする描写がありました。
政治家たちだけではなく、彼らに権力を握らせてしまった責任は確かに私たちにあります。
世界のそこここにある不正・不平等・危機etcに対して、私は何をしたか。自分の快楽を優先せずに何かをしたか。
そういう問いかけがあったように思います。
それを放置しているのは、お前だ、と心臓くんは言っていたように感じました。
そして、問題から目をそらしてワイルドスピードで盛り上がるかんじって、まさに”凡庸な悪※”やん、あ、あたしがいわれてるんじゃとおもい背筋が寒くなりました。
※凡庸な悪(第二次大戦中に起きたナチスによるユダヤ人迫害のような悪は、根源的・悪魔的なものではなく、思考や判断を停止し外的規範に盲従した人々によって行われた陳腐なものだが、表層的な悪であるからこそ、社会に蔓延し世界を荒廃させうる、という考え方。ユダヤ人の政治哲学者ハンナ=アーレントが、親衛隊中佐としてホロコーストに関与したアドルフ=アイヒマンの裁判を記録した著書の中で示した。©デジタル大辞泉)