ビール・ストリートの恋人たちのレビュー・感想・評価
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重い
非常に重い気分にさせられる映画。
これはこれで、価値のある一本だと思うが、どんな時にこの映画を見るべきか、ためらいを感じる。少なくとも今はその時じゃない。とても打ちのめされたときに、寄り添ってくれるような、そんな優しさと癒しを感じる。
アメリカの黒人たちが、空気のように感じてきた差別をあぶり出し、普通に恋愛して生きていくことすらままならない現実を描く。いや、1970年代らしいから、今はどうか知らないが、そう変わらないのだろう。白人に搾取され虐げられてきた黒人の、怒りというよりはあきらめの感情が読み取れる。
ただし映画としてはどうか?それほどの出来には思えないのだが、申し訳程度に助演女優賞あたりで取り上げられ、ロビイスト辺りが勝ち取った枠を死守した印象だ。
ふたりが街を歩くシーンは、いろんなパターンで撮られている。それぞれに美しく意味のあるシーンに思えるが、興が分散して狙いがはっきりしない。少女の回想に違いないのだから、ぜんぶ過去のイメージに違いないと思うのだが、時々は未来を夢見て、こんな風に生きたかったという幻想のようにも見える。その時には、男の子が一緒にいるはずだからやっぱり過去の回想なのだ。
編集も残念だ。収監された恋人に会いに来る少女の悲しみから始まって、切れ切れに何が起きたのか語られていく。時間軸が過去と現在を行ったり来たり。語り口は穏やかで、時に激しい慟哭を伴う。そこに、白人の警官に着せられた濡れ衣を晴らせない恨みがつきまとい、映画のタテ軸になっている。
ネタバレになってしまうが、このタテ軸は解決されないままだ。この不幸な恋人たちは救われないまま映画は終わる。だったら無実の罪で収監された男の子供を身ごもり、家族も必死で頑張る様子を、どんな目で見守ればいいのか。
「今日あったことを忘れて、子供が育っていくのを見て俺たちは生きていくのさ。さあ一杯やろう」。みたいなメッセージを受け取った。
日本の冤罪事件よりも生々しい
映画を観てる者には、ベン巡査ってのが逆恨みででっち上げ捏造して、ファニーをレイプ事件犯人として投獄したことがわかるストーリー。
それにしても無実の罪で投獄された憤りをどこにぶつければいいんだ?!と、報われないが深い愛を感じるティッシュとファニー、そして彼女の母。弁護士も何とかしたいと奮闘してる様子は伝わるし、自腹でプエルトリコまで飛んで被害者女性に人違いであることを認めさせようと努力する姿に感動すら覚える。しかし、裁判さえ開かれなく、ずっと刑務所暮らしとなる司法制度の矛盾。たった一人の巡査の証言だけで投獄できる恐ろしさ。
怒りで身が震える人、愛情の深さに感動する人、色んなとらえ方ができるようハッピーエンドにしないところも上手い。こんな現実もあるんだということを観客に叩きつけるだけのことはある。アメリカの人種差別を知る上でも必見の作品だと思う。
幸せな恋愛ものと思いきや人種差別問題が・・・
予告編を観た時は時空を超えた奇跡のラブストリーのような作品なのかなと
思わせるような宣伝でした。
ところが蓋を開けてみれば、人種差別問題のお話で驚きました。
最近は観ませんが、ニュースで警察官が黒人を暴行したり
無抵抗な黒人をひどい目にあわしたりとテレビを賑わしていましたが
この作品もそのようなことが 繰り広げられます。
この映画を観て「デトロイト」と言う作品を思い出しました。
警察官が恐ろしい。黒人憎しと顔に書いてあって、この映画に出てくる警官も
とても恐ろしかったです。
お互い愛し合い 子どもも身ごもり 2人で家庭をつくり
新しい一歩を踏み出そうとしていた恋人たちが、彼が言われのない
レイプ犯にされ警察につかまってしまう。
黒人でなければ、平凡に幸せに暮らせたろうに。
なぜ 同じでないと相容れないのだろうか?
お互い違いをみとめ 受け入れあうということは
永遠に不可能なことなのだろうか?
邦題も予告も犯罪的に酷い
中途半端なんですよね、映画そのものが。凡ゆる点で。結局は「ビールストリートがモノ言わば、ファニーのアリバイを証言出来たのに」と言う意味が掛けられています。要は、冤罪問題。
テーマが「こんにち的」であるか?と言う観点からはブラック・クランズマンよりも、こちらの方が切実。いかんせん、脱線し過ぎで主題が柔らかくなってるのは惜しいと思いました。が、良い映画だとは思う。
キキ・レインが、とにかくキュート。バービースタイルが素敵です。オスカーを獲ったシャローナ・キングについては「漁夫の利感」は否めず。レイチェル・ワイズに行って欲しかったぁ、と思わずには居られません。
黒人公民権運動の旗手の作品
「二グロルネッサンス」と、アメリカ文学史上呼ばれる時期がある。1920年代のことで、黒人でも「歌ったり踊ったりするだけでなく、芝居も出来るし物も書ける」ことが白人社会に認識されるようになったことが、ルネッサンスだという、白人が白人のために作り出した極めて原始的な規定だ。しかし現実にそうした時期を経た後で、1940年代になって、やっと本格的な黒人作家、リチャード ライトや、ジェームス ボールドウィンが華々しく登場する。
Richard Wright リチャード ライト(1908-1960)は、小説「アメリカの息子」(Native Son)が新聞に掲載されてベストセラーとなり、一躍流行作家となるが、早くから黒人差別社会で知に目覚めた者として,キリストの受難ごとき、差別と苦渋に満ちた人生を送る。彼はミシシッピーの開拓地で,水車小屋で働くシングルマザーの子供として育ち、貧困から基礎教育を受けられず、読み書きの能力を自力で身に着け、黒人は入れない公立図書館の前で、親切な白人が自分のために借り出してくれる本をむさぼり読み、知識を自分のものにする。理由もなしに黒人が白人に嬲り殺されるような南部から、北部に出ることを夢みて、意を決してシカゴに移るが、そこでも「私の毎日は一つの長い静かな、たえず抑えられた恐怖と緊張と不安の夢の連続だった。」(ブラックボーイ)と、言わしめる差別にさらされた。
そこで彼は、全世界の労働者が肌の色に関わりなく団結できる、という呼びかけに魅せられて共産党に入党する。しかし自分がいかに黒人差別をテーマにした小説や論評を書いても、共産党は人種差別問題に関心を払わない。自分の課題とする人間の解放、自由と権利の獲得といったものは無視され続行け、ライトは共産党を去る。マルキストは社会を変革するが、人間を解放しない。ライトは、アメリカ社会に絶望してパリに移り、ボーヴォワールなど実存主義者などと交流しながら、「アウトサイダー」として生き、パリで52歳の若さで亡くなる。
何故リチャード ライトについて書いているかと言うと、彼の存在なしにジェームス ボールドウィンが作家としてこの世に出ることはなかったからだ。
James Baldwin ジェームス ボールドウィン(1924-1987)は、リチャード ライトの支援を受けて、作家として世に出たが,ライトより16歳若い。ゲイでもあった。ライトと同じように流行作家になり、やがて行き詰まりフランスに渡り、そこで亡くなった。
彼はニューヨークのハーレムで生まれ貧乏人の子沢山、9人兄弟の長男として家庭内暴力と街中でのポリスによる暴行を受けながら成長する。暴力にさらされても、筆で抵抗を試みて、13歳のころからエッセイや小説を書いて、学校が発行する雑誌や新聞に投稿した。公民権運動にも積極的に関わり、マルコムX,マルチンルーサー キング牧師や、ハリー べラフォンテ、シドニー ポアチエ、マイルス デビス、画家のビュフォード デラ二などと交流した。代表作は、「山に登りて告げよ」、「アメリカの息子ノート」、「ジョバンニの部屋」など。
ボールドウィンもライトも、全米に沸き上がり広がりつつある黒人の公民権運動に積極的に関わっていたが、1970年までに、FBIが調査したファイルが、ボールドウィンのは1884ページ、ライトは276ページ、トルーマン カポテが110ページ、ヘンリー ミラーがたった9ページだった、という興味深い数字もある。いつでも拘束して締め上げられるように準備しておくのがFBI長官エデイ フーバーの趣味だったんだな。
ところで、ここでやっとボールドウィン原作の映画の話になる。
前置きが異常に長くなったのは、映画の看板に、「ボールドウィン原作のロマンテイックドラマ」と説明してあったので、え、、待てよ、ボールドウィンってそんなに有名で誰でも知っている作家だったっけ、と疑問に思ったからだ。特に1960年代の公民権運動に関心のある人でないと、増してアメリカ以外の国の人だと、そんなに知られていない作家なのではないだろうか。それにロマンテイックドラマなど書いていない。血を吐き出すように、自分が体験してきた黒人差別の痛みと疼きを表現してきた作家だ。映画の「ロマンチックドラマです」という宣伝だけ見ると、ボールドウィンって、ロマンス物ばっかり書いているハーレクインシリーズの作家か、と間違われるかもしれない。別にそれでもいいけど。
ストーリーは
1970年代ニューヨーク
デパートの売り子をしている19歳のテシュと、22歳の大工フォニーは、父親同士が仲が良かったので、子供の時からいつも一緒に遊んで育って来た。テシュが美しい女性に成長し、フォニーが真面目な働き手として独立するころには、二人が恋人同士になるのは、ごく自然な成り行きだった。二人は一緒に暮らすためにアパートを探す。70年代のニューヨークで黒人カップルに、快くアパートを貸してくれる大家は余りなかったが、ユダヤ人の大家は二人の初々しい姿を見てアパートを貸すことにする。
ある夜、白人の経営する食品店でいつものように買い物していたテシュは、白人の若者にしつこい嫌がらせを受ける。怒ったフォニーは、この男を店からたたき出す。それを見たパトロール中に警官ベルは、白人青年に暴力をふるった黒人フォ二ーを逮捕しようとする。そこをテシュとフォニーを子供の時から知っている店主が出て来て、二人は真面目なトラブルなど起こしたことのない子供達だ、と間に入ってその場を収める。しかし、これを根に持った警官ベルは、フォニーに執拗に付きまとうようになる。
じきにフォニーは、ビクトリアという娘をレイプした容疑で逮捕される。被害女性は暗がりで連れ去られたので加害者を見ていない。しかし警察署でこの男だ、と言われて信じて、その通りの供述をした。その時間フォニーはテシュと他の友達と食事をしていたが、事実よりも、現場でフォニーを見たという警官の証言が、採用された。テシュは妊娠していたので、意を決してテシュは両親と姉に告げる。家族はテシュを祝福する。
その後、被害者の女性はプエルトリコに帰国してしまい、裁判は無期限に延期され、フォニーの拘留は長引くことになった。テシュの母親シャロンは、希望を失いそうになる娘とフォニーのために、お金を集めてプエルトリコに飛び、被害女性に会って裁判で証言するように頼み込むが、拒否される。被害者不在のまま裁判は長引き、フォニーは出所できる予定が立たない。裁判で刑期が言い渡されないまま、何年も あるいは死ぬまで刑務所に不法に入所させられている黒人が沢山いた。そういう時代だった。
テシュには元気な男の子が生まれる。以前はテシュ一人で刑務所に面会に通ったが、いまは二人して通う。刑務所の面会室で、自動販売機で買ったサンドイッチを、いまは親子3人で手をつなぎ合ってお祈りをしてから、分け合って食べる。つかの間の家族の小さな幸せの時間が過ぎていく。
というお話。
派手なカーチェイスもなければ、激しいい殴り合いや、喧々囂々の争いの場面もない。激しく笑いこけたり、泣きじゃくったり、怒鳴り合ったりすることもない。
人種差別が当たり前の社会で、意味もなく黒人の若い女が嫌がらせをされ、理由もなく黒人の青年が、白人にヘビのような目で地獄に落とされる、白人中心のいびつな社会だ。そんな中で人々が懸命に生きようとしている。大声を出すことをせず、静かな怒りを胸に秘めて、黙々と耐えて生きている。
映像の光と影の使い方が秀逸だ。色彩が鮮やかで、美しい。
この監督バリー ジェンキンスは、2016年アカデミー賞で作品賞を獲った「ムーンライト」を作った監督だ。これは作品賞だけでなく、助演男優賞にマハシャラ アリが、助演女優賞にナオミ ハリスが獲得した。「ムーンライト」も映像が美しく、海岸のシーンや光の中の木々や風に揺れる花々などの映像美に魅せられた。登場人物の顔の大写しもこの監督の得意技のようだ。役者の心の動きを、表情の変化で上手に捉えている。
「ムーンライト」も、この映画もストーリーはあまり重要ではない。前者は少年の成長がただ淡々と描かれており、とくに筋といったものはないし、この映画も劇的なストーリーなどはなく、ただ幸せなカップルの顔の大写しと、刑務所で面会する二人の心の動きが描かれる。とても抒情的な映画だ。
ドラマチックなストーリー展開が好きな現代っ子だったら2時間余りの映画に、みごとに寝てしまうだろうが、私は好きだ。
作曲家ニコラス ブリテルの音楽が とても心地良い。ジャズとブルースが、静かに嘆きの歌を奏でている。
眩く美しい詩情と人種差別への憤りの対比
冒頭でティッシュとファニーが手をつないで公園の階段を降りてくる。
カメラが斜め上から2人を捉えはじめ、2人を中心にカメラは回転、頭上から見下ろし、やがて背中を捉える。
このシーンでわたしの心はぎゅぎゅっと掴まれました。
切なくて美しくてささやかな目には見えない何かが、画面に見えた気がして、一気に引き込まれました。
あぁ、見に来てよかったと思いました。
その後夢中で見ました。
この作品について、苦手との声も聞こえてきます。
眠い、なに言ってんのかわかんない、シーンが冗長etc
そっか、わたしにはどストライクでしたし、そこがいいんじゃんよって思いますが、好みはいろいろです。
ジェイムズボールドウィンを読んだことはないけど、彼を材にしたドキュメンタリー映画『わたしはあなたのニグロではない』を見てます。その時の印象は、ボールドウィンは怒れるペシミストやなってことでした。わたしも自称怒れるペシミストなので、シンパシーを感じました、勝手に。
ですからボールドウィンなのできっとファニーが釈放されるとかってゆう、観客が喜ぶ筋は絶対ないと思ってました。ええ、その通りです。
めちゃ悲劇で終わるわけでもないけども、始まりから終わりまで、いわれのない罪をなすりつけられたまま、ファニーは生きている。囚われたままで。
そんな結末にげっそりする気持ちもわかります。
が、無実で誠実な若者が、濃い色の肌をしていたというその事だけで卑怯な罠にはめられる、そんな(アメリカ)社会を批判している作品なんで、観客は気持ちよくなってはいけないんだと思います。気持ちよくさせては作った甲斐がないんです。特にボールドウィンが怒ると思う。
『ムーンライト』でも映像が雄弁で、登場人物の瞳から感情が見えて、光も印象的でした。そういった作家性がより強く感じられ、バリージェンキンスは今後の作品を必ずチェックする監督リストに入りました。
彼の作る映像は見ていると切なくなります。併せて悲しみと怒りも甘さと共にあるというか。
常に鼻の奥がツンとして、目が潤むような気がするんですよね。
作家の山田詠美が好きなんですが、彼女の文章と似た印象があります。彼女の描くアメリカの恋人たちとファニーとティッシュは重なりました。
ファニーのお母さん、なかなかの曲者でした。ティッシュのお母さんとの対比が辛かった。
ファニーのお母さんも、ああなりたかったわけではないんじゃないかな。
ティッシュのお母さんはたしかによかったし、プエリトルコでのシーンはどれもよかったけど、オスカーとるには影薄い気がしました。
愛情あふれる映画
差別による酷い仕打ちと逆転劇の映画だと予想してしまっていたが、全く違う。
映像は美しく、差別による苦しみは表現しても、卑劣な映像は無かった。
恋人同士の深い愛情と家族愛の映画です。
ただ、テンポが良く、結末のはっきりするアメリカの映画を期待していたせいか、全体的にゆったりとしていて、仕方がないのだけど、スッキリせず、考えさせるものであったので、ちょっとガッカリでした。
私の勉強不足のせいかな
呪縛
随分と偏った映画だった。
人種差別が横行してる時代の話。
主人公は冤罪というか、白人警官の横暴で投獄され6年ぐらい収監されていて、解放される見込みもなさそうだ。
とんでもない理不尽に翻弄され続けながらも純愛を貫く黒人の恋人達の話。
といえば、聞こえはいいが、果たしてそうなのだろうか?
俺には何代に渡っても晴らせない怨みつらみの話しにも思える。
あまりに描き方に差がありすぎる。
黒人サイドは息を呑むほどに高潔に描かれてる。彼らが初めて1夜を過ごす無言のベッドシーンなどは名シーンだと思える。
一言の会話もないのだが、彼や彼女の想いが手に取るように伝わる。
自分の過去に懺悔する程だ。
「ああ、これがLOVEって事なんだ」と映画を観ながらに初めて思えた。
対する白人サイドの酷い事ったらありゃしない。キャスティングされた役者も最高の仕事をしてたと思う。
存在自体にもう嫌悪感を感じる。
彼が投獄されたであろう理由は「俺にたてついた」からとかそんな理由だ。
そんな事で6年刑務所へ。
この先も刑務所で。
いつ出られるかも分からない。
ありえないだろ。
ありえない事が普通に起こってた時代なんだろう…。
時折挿入される時代背景も、いかに黒人が理不尽に虐待されていたか、だ。
もう、物語の随所に迫害の爪痕が刻まれてる。
コレは誰の為の映画なのだろうか?
歴史を語るにしても、双方の為にはならないような気がする。
そういう歴史を繰り返してほしくないからって言うよりは、この歴史を絶対忘れるなって脅迫めいたものを感じる。
そしてこの脚本家はこおも言う。
「生まれてくる命に罪はない。」
…この作品から、罪を背負い続けろ的なメッセージを受け取った俺からしたら反吐が出る。
白人社会に対する払拭しきれない憎悪に満ち満ちているように思えてしょうがなかった。
俳優陣はホントにいい仕事をしてた。
絶妙に生っぽかった。
この母親の人が助演を取ったらしいのだが、そこまで突出していたようにも思えず…相変わらず大人の事情が横行してる賞レースに落胆したりもする。
いったいぜんたい、どの口が「新しい命に罪はない」なんて綺麗事を吐くのか?
人種差別を扱った映画を色々観たけど、この切り口はないわ。
片方だけを美化しすぎ。
ラブストーリーとしては、純度が高いと思うけど、作品としては気持ち悪い。
後味がすこぶる悪い。
つらすぎた
・冤罪で逮捕される
・家を貸してもらえない
・手につけた香水の匂いを嗅がれる
黒人に対する差別は見ていてつらかった
さらに報われない結末
ティッシュのファニーに対する愛がとても尊かった
じめじめと忘れられない映画だと思う
美しく悲しい
まず、この若きカップルが美しい。造形的にも美しいんだけど(顔もスタイルもファッションも!)、心が、魂が美しい。こんなピュアに愛し合う二人にもたらされる悲運、それを描くことで、黒人差別、そのアンフェアさを炙り出している。目を背けたくなるような題材を、この美しい二人とその家族を見せることで直視させるそんな作品。ファニー側のちょっと狂った母とシスターたちに毅然と立ち向かう主人公やその母(助演女優賞おめでとう!)や姉がめちゃめちゃカッコイイ!
よかった
冤罪で投獄された黒人男性とその恋人の話で、黒人が虐げられていた歴史を物語る映画であった。
彼のお母さんと妹を自宅に招いて、妊娠を告げる場面が本当にひどくて笑えるほどだった。あんなに意地の悪いお母さんや二人の妹は滅多にいない。彼のお父さんが思わずぶったたいたのはすっきりしたのだが、その後、お父さん同士で出かけてしまって、残されたお母さんと妹のことを全く気にしていない無神経ぶりもすごかった。きちんと問題を処理してから飲みに行ってほしい。
ただ、テーマ自体が自分とは疎遠な問題であり、特に関心がなく他人事であった。
怒りも嘆きも全て現実で全てが詩
「ムーンライト」の時にも思ったことだけど、バリー・ジェンキンスの映画は本当に詩的である。特に前半部分。映画を見ながらまるで詩集を読んでいるかのようだな、と思ったほど。恋をした若く美しい男女の姿が映される回想シーンなど、どの瞬間を切り取っても額に入れて飾って置きたいほど綺麗で、映像そのものが詩そのもの。そして詩のように美しい回想から呼び戻された現実の厳しさに胸を打ち抜かれる。その連続。
この映画は、物語が後半へ進めば進むほど、バリー・ジェンキンスの怒りがどんどん明るみになってくるようでもあった。黒人であるということや、アメリカで黒人として生きるということがどういうことであるかを克明に描き出し、その不条理を真正面から訴え嘆きそして憤怒しているのが伝わった。「ムーンライト」でも黒人へ向けられる目の冷たさや同性愛者であることの過酷さが描かれていたけれど、この「ビール・ストリートの恋人たち」はもっとあからさま。ストーリーを飛び越えて露骨に白人をディスっている節すらあったほど。切ないラブストーリーに見せかけてかなりタフな社会派のメッセージを力強く投げかけていた。
原題を直訳すれば「ビール・ストリートが話せたら」となる。アメリカに暮らすすべての黒人の故郷である(とジェームズ・ボールドウィンが綴った)ビール・ストリートがもし口をきけたなら、だれにも聞き入れられることのなかった黒人たちの切なる思いを代弁し、主張し、証人にもなってくれただろうに・・・という黒人たちの嘆きがこの映画には込められていると感じた。
それでもやっぱりこの映画は「詩」だと思う。「怒り」さえも詩であるし「嘆き」さえも詩。映像を使った壮大な詩。メッセージも詩。決してロマンティックという意味ではないし、夢想的と言う意味でもない。ただ美しいだけではなく、現実をしかと見据えた奥深い詩。
加えて、主人公ティッシュ役のキキ・レインが纏っていた衣装が時代性も含めてとてもお洒落でキュート。いつどのシーンでも洗練されたレディのファッションをしていて実に素敵だったので、そこにも注目されたい。
切ない!やるせない!
犯人は、黒人やったら誰でもいいん?
突然恋人が、レイプ犯に
妊娠中の彼女は?
家族の中はめっちゃ悪い!
裁判はまともに行われない。
原題のビールストリートが話せたらが
シックリいきます。
キキレインが不安を持った女性をうまく演じてました。
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