「ソリッド・ステイト・プレイヤー」蜜蜂と遠雷 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
ソリッド・ステイト・プレイヤー
とても荘厳で、重力、重圧のかかるクライマックス迄のコンテストの舞台設定と、そこからの解き放たれるピアノの迸りのダイナミックさ、鋭さが、今迄のこういうピアニスト作品の中で群を抜いて表現力の高さとして具現化できた実例として掲示されたものはないと断言できる程素晴らしい。原作未読なので、あくまで映画での感想だが、この緊張と破裂をここまで緻密に厳しく突き詰めた構築は邦画では表現できてなかったかも知れない。そう思う程の作り込まれた出来である。
比較として引合いに出すものではないだろうが、例えばアニメ『四月は君の嘘』のような、ピアニスト達のそれぞれの内面や環境、境遇、そして関係性を丁寧に描くことで、ピアノ自体に疎い素人の自分でも楽しむことが出来る手法が主だと思うが、今作は出来る限りその内容は匂わす程度で、全てをさらけ出さず、あくまでも個々人の内面の思考を顔の表情、動き、等演技の力のみで駆動するレベルの高い展開なのである。それは安易にヒューマンドラマに落とし込むことなく、天才たちの苦悩、邂逅、共鳴という常人では理解出来ない言語の交差をまざまざと見せつける力強い表現がスクリーンに繰広げられているのである。
ストーリーとしても、原作が大変ヒットしているからであろう、ユニークな構図が取られていて、ここからもこの作品の希有な内容が見て取れる。母親を亡くし幼少期に演奏が出来なくなった主人公、師匠のロボット的教えに苦悩する男、努力により市囲の自分を証明したい男、そんな登場人物達の苦悩を、まるで風の如く吹き飛ばしてくれる神童。この音楽の天使が動くことで、本来持っていた才能を目覚めさせてくれる事になった主人公の圧巻なクライマックスの演奏は、恥ずかしい事に、ドンドン自分の躯がリズムを取って動き、自然と音楽に浸りきってしまう事に驚く。凄まじいパワーが、自分の躯の核を揺さぶり、響かせる事により、難解なクラシック曲でさえ、ビートを刻んでしまうのである。この圧倒的な映画力と、スタッフロールでの、途中の欄に見落としてしまいそうに差し込まれている監督名の奥ゆかしさのギャップも又、大変興味を抱くのだ。
今作品の高次元のレベルを嫌と言うほど感じたところで、今後の邦画の行く末を安心して胸をなで下ろす自分がいる。制作陣、俳優陣の資質の高さに惚れ込む作品である。