「高潔」蜜蜂と遠雷 U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
高潔
度肝を抜かれる。
彼らは俳優のはずなのだけど、天才的なピアニストにしか見えない。
どんなトリックを使ってるのか?まさか研鑽と修練の成せる業とでも言うのか?
音の洪水に圧倒される。
物語はとあるコンクールの一部始終だ。
夢とかあやふやなモノは介入できない。
明確な才能や非情なまでに区分けされた世界の話だ。そこにはある種の人間しか立ち入る事はできない。
そのはずだ。
なぜ、俳優が介入できてんだ?
お前ら何者だ?
その空間の再現率も、その纏う空気感にも雑味を感じない。
まるで音楽特番のドキュメントを見てるような錯覚さえ感じる。そんな開き直り方が出来てしまうのが凄い。
物語の核は地味な感じがするのだけれど、実態の無い「音」というものを追求する事への葛藤や、その高みのような事が描かれる。
「刹那的に消えていく音符に触れながら、実は永遠の時間を感じているのです。」
とかなんとか。
クラッシックの存在意義ってのは、そんなとこにあったのかと思う程カチッと音を立ててハマった台詞だった。
そして、そんなモノを表現していく役者達。
その表現の根本にさえも、今まで日本映画には無かった文法を感じる。
松岡さんの空虚な感じもさる事ながら、鈴鹿央士…あなたは何者だ?
台本を読み込んでもアレは出来ない。
演技を追求してもあぁはならない。
技術を極めてその後、削ぎ落としてもあそこには到達出来ないように思う。
透明感なんて生易しいもんじゃない…無味無臭だ。まるでその時々、観る人の感性によって変わる「雲」のような存在に思う。
この役がハマり過ぎてただけなのかもしれないが、この作品だけでも今年度の俺的アカデミー新人賞は、彼一択だ。
冒頭の無音の雨に、ラストの拍手喝采の音がリンクしていくのも小憎らしい演出だと思う。俺には届かなかったけど、あの黒い馬にも何かの暗喩があるのだろう。
作品としての質感も、その演出の手法も、俳優陣の芝居への直向きさも、今までのモノとは一線を画すように思えてならない。
石川慶監督が踏み出した一歩の功績は大きいのではと思う。
お見事でした。
いや、そんな言葉では収まらないかな…映画がもたらす奇跡を感じました。