「二次元から三次元、そして四次元へ…」蜜蜂と遠雷 野々原 ポコタさんの映画レビュー(感想・評価)
二次元から三次元、そして四次元へ…
音楽と文学、共に造詣がおありの方なら
《音楽を文学で表現すること》また
《文学を音楽で表現すること》が
いかに大変か… お分かりのことでしょう。
文字も音も、それ単体であれば
平面的な【二次元】の存在でしかない。
だがひとたび羅列に置き連ねると途端に
立体的な【三次元】の輪郭を持ち始め
さらに、それらに意味合いや解釈を求めると
ついには空間や、時間をも
超越した【四次元】の世界が広がり
わたしたちの住む世界に寄り添い
そして溶け込む…
そんな音楽 ≒ 文学を映像化しようと言うのだから…
人間の、なんと表現力の豊かさよ…
人間の、なんと表現への貪欲さよ…
本作『蜜蜂と遠雷』で語られる
ピアノを媒介とした表現者たちの飽くなき挑戦。
コンテスタントたちの、その先の人生にも及ぶ
喜びと苦悩、栄光と挫折
それは、時に残酷なまでに儚い…
だから、尊く美しい…
わたしたちはいつも、心を強く惹きつけられる。
そんな人間たちの放つ一瞬の閃きに、輝きに…
どんな言葉を取り繕っても、言い表せない
音楽の真理を探し続ける、求道者たちの物語。
…と、ここまではわたしの原作に抱く感想を鑑みた
文学論、音楽論、芸術論、そして表現論。
「音楽を外へ連れ出す」
「永遠は一瞬、一瞬は永遠」
「わたしは音楽の神様に愛されているのだろうか」
転じて「あなたが世界を鳴らすのよ」
などの副題はあっても
本作の主題を言いあらわすならやはり、
“ カデンツァ ”〈自由に、宇宙を感じて。〉
の一言に尽きるだろう。
宇宙にも繋がる森羅万象のことわりを音楽で表現
さらに映像で魅せる、ないし鑑賞者の想像力に
働きかけることが出来れば
この作品は「勝ち」であろう!と、
その事に留意して本作を視聴しました。
マーくんは自身の理念に裏打ちし作り込んだカデンツァ
明石くんは宮沢賢治の世界観をより再現したカデンツァ
塵くんは強弱のイメージを譜面に記した即興カデンツァ
アーちゃんは白紙の譜面、そのとき感じたままの即興…
これぞ本当のカデンツァ!
…と、及第点は押さえてくれてあってひと安心!
今回のわたし的ベストシーンは
アーちゃんが一度は本選の舞台から
逃げようとしましたが、母との遠い日の約束を
思い出して舞台に戻ってきたときのあの表情!
音楽をする意味と、決意と覚悟が据わったあの表情!
「おかえり」と迎える塵くん!
このシーンで鳥肌と涙とで交互に襲われました!
映画ファン目線 ★★★★☆
クラシックファン目線 ★★★☆☆
原作ファン目線 ★★☆☆☆
原作とは切り離して、
あくまでもひとつの作品として考えるという
スタンスで映画を鑑賞するわたしなので
今回は星3つでご勘弁!
※備忘録:原作との改変部分
①人物の省略化
アーちゃんとマーくんのピアノの恩師を
アーちゃんのお母さんに変更
いち審査員だった三枝子(斉藤由貴さん)を
審査員長に変更
②第三次予選の廃止
原作では物語のピークとなる部分で
本選はいわば最後のご褒美程度の位置付け。
映画ではより分かりやすくするため
本選をピークに持ってきた意図は理解できる
③本選での演奏曲の変更
アーちゃんがプロコフィエフ協奏曲第二番→三番
マーくんがプロコフィエフ協奏曲第三番→二番
それぞれの楽曲を入れ替えて演奏
原作ファンは戸惑うぐらい重要な改変!
三番の方がドラマティックな曲調なので
最後に持ってきたのは演出的には正解
でも単にそれだけの理由だとしたら
わたしは石川監督を信頼できないかも…
④塵くん、明石くんの出演比率
明石くんは最初から最後までより多く出演
塵くんは最初の方の出番がない
個人 対 コンクール から
四人 対 音楽 の構図に置き換えた感じは好印象
塵くんをミステリアスな存在にしたかったのかな?
個人的には練習している彼をみたくなかったし
彼の“ギフト”たらしめる才能のすごさがちっとも
伝わってこなかったし…
奏ちゃんもでてこないし…
原作に思い入れが強すぎるのも考えものだなと思いました(笑)