「フェルミのパラドックスと言う異説論者であり。」映画ドラえもん のび太の月面探査記 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
フェルミのパラドックスと言う異説論者であり。
月は地球に同じ面を見せて回っている。だから、月は自転している。
そして、自転と公転のスピードが一致している。不思議な話である。スピードが一致しない限り、必ず違う綿を見せる事になるが、同じ面を見せ続けている。つまり、物理的に公転が止まっているのだろうが、月と地球の関係を考えると、地球と月が出来たばかりの頃は、スピードが違っていたはずだから、違う面を見せていた事になる。従って、今の月と地球関係は宇宙の歴史の中では一期一会の偶然なのかもしれない。そんな事を考えると
『月に生き物がいるとロマンチック』って言葉に『どうして?』と思ってしまう。
僕はフェルミのパラドックスを信じる者。だから、そのパラドックスが通用するくらいに宇宙は広く、人類ごときの科学力では計測は不可能で、それが神だと思っている。不可思議なものを幽霊、UFO、天国と短絡視する方がロマンが無い。
さて、
かりに10歳の子供がこのアニメを見たとして、現在、その子どもたちは高校生。さて、今の子供たちは僕の時代と比べて、所謂、不良、ツッパリと言った類の子供が少いと思う。でも、しかし、考えて見れば、以前、月にアメリカ人が行ったのは1969年だから、僕が小学校6年。まぁ、あと10年位の内にまた月に行くのだろうから、鉄腕アトムで育った子供たちとドラえもんで育った子供たちは同じ環境なのかもしれない。つまり、昔のツッパリや不良は別に原因があるものと理解しなけりゃ駄目だ。
ストーリーはとどの詰まり、平成をまたいで昭和になってしまっている。良し悪しは別にして『幻魔大戦』じゃん。すごく懐かしい。
追記 結局悪者は人工頭脳だった。このアニメを見た者たちは愛の無いAI神話は捨てるべきだと思う。少なくとも『百害無くとも一利なし』と思うべし。機械に自発的な自己表現は出来ないし、自発的な創造も出来ない。お猿さんが源氏物語を書ける確率って誰かが言っていたと思うが。数学的に源氏物語をお猿さんが偶然に書けてしまう確率は文の文字の数の50乗である。仮に文字の数が100文字であっても、
10に0が50付く位は無限大だろうね。猿の惑星で人間を虐げる事が想像できた猿でもそう言った現実なのだ。例え人間が考えた物でも、機械で猿以上の事が出来る訳が無い。
でも、猿から進化した人間は源氏物語を書いた。だから、それがロマンだと思うが。
神が宿っているとしか考えられない。
追記
確か?1969年7月20日だかに
『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』したわけだがあれからコント55◯年なんだね。フェイク映像かそうじゃないかつう映画があるようだが、そんな事はとうでも良い。
つくづく、思うのは人類の現在の叡智では火星には行けないって事。イヤイヤ、行けても帰って来れないつう事。物理的にピンポイントで帰れても、秒単位で外せば、宇宙の藻屑と化すと言う事。従って『火星に行ける』はフェイク情報なので行かされる事の無いように。ロシアの人工衛星はライカ君を最初に犠牲にした。自由と民主主義のアメリカと言えども、火星に行く時は最初にチンパンジーちゃん位乗せるでしょう♥最初から人間は人道的にもあり得ない。
つまり、火星に行けるのは22世紀だと思うよ。
2024年7月22日19時17分成田にて