ディリリとパリの時間旅行のレビュー・感想・評価
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絵本のように美しい映像と 微笑ましい少女の冒険譚。 フランス、ベル...
絵本のように美しい映像と
微笑ましい少女の冒険譚。
フランス、ベル・エポックと呼ばれる時代の
著名人、芸術家が次々と登場し共演する豪華さ。
なんて楽しいファンタジーなのでしょう!
それを楽しんで観ていただけに、
悪役の悪行を象徴する光景として人間椅子が出てくるとは!
物語が絵本の世界から一気に江戸川乱歩の淫靡なイメージに
変わってしまいました。
何というギャップでしょう。
ディリリと一緒に19世紀のパリを満喫しました。
ボスターに一目惚れしました。
どんな世界が描かれるのか、観るしかないので鑑賞。
19世紀のパリを自分の足で訪ね回っている、
そんな感覚になれる素敵な作品でした。
日本のアニメーションとは違った味わいのキャラクターですが、
とても滑らかで自然な動きにびっくり。
ディリリちゃん
礼儀正しく、かしこい女の子です。
フランスとニューカレドニアの血を引くハーフの少女。
この娘が、少女誘拐というパリを騒がす事件に立ち向かうというお話。
ところが自分もさらわれてしまい大ピンチ。あらー。
ディリリに最初から好意的な、若いイケメンのオレル君
ゆったりとした雰囲気の美人オペラ歌手、エマ・カルヴェさん
一度はディリリをさらったものの、取り戻し作戦に協力したブタ似の男さん
その他たくさんの、どこかで名前を聞いたことがあるような歴史上の有名人たち
みんなの協力で
誘拐されていた少女を全員助け出して大団円。
悪人はいましたけど、ハッピーエンドでめでたしめでたし。
登場した歴史上の有名人のみなさん
本当に同じ時代にいたのかな。
(たくさん登場しましたね)
そういえば
ちっちゃな女の子が探偵になって事件解決
日本のアニメにもあったような気がしたので脳内検索 ういーん
プチアンジェ?
…
うーん。ちょっと違いますかね…
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
女性差別への痛烈な風刺
上映前に、作品とコラボしたユニセフのプロモーションが流れた。望まない早すぎる結婚、強いられる労働で、少女達の未来が不当に奪われている、という内容。
本作の主題は正にこれである。ストレートに、これでもかという位、その主題が観客にぶつけられる。ブレなく、解り辛さも全くない。
また、ハーフの少女ディリリの純粋な目線から、社会の不条理や人間性の是非を痛烈に風刺している。
CGで描かれた、芸術華やかなりし時代のパリの街並みは立体的でリアル、対してそこで出会う名士達は、絵画から抜け出たかのように時に平面的。
グラデーションに暮れる空に聳えるエッフェル塔のシルエット、オペラ座の地下から水路に漕ぎ出す白鳥の船のシーンなどは、余りの美しさにウットリと見入ってしまった。
その、昼は色彩豊かに、夜は灯りを灯してきらびやかなパリの街を、ディリリと観客は、シャンソンやオペラの調べと共に、配達人の自転車や白鳥の小舟、半人力の飛行船で駆け抜けていく。
様々な芸術家や名士達と出逢い、あれもしたい、これにもなりたいと夢を膨らませるディリリは、何でも出来る、何にでもなれる、可能性に満ちた世界中の少女達の姿そのものだ。
その夢や自由を奪い、地下へ閉じ込める男性支配団の描かれ方は、フアンタジックなタッチの世界の中で、吃驚するほど直接的で露骨だ。
男性の持ち物として、結婚という名の元に家畜同様に少女が売り買いされ、召し使い同然の境遇に置かれている現実がある。婉曲さのない表現に、大人でも衝撃を覚えるが、どうなんだろう。意外に子供の方が、誘拐していじめる悪い人、と、素直にフェアに受け止めるのかも。
この映画では、虐げられる少女と、立ち向かう女性に焦点があてられ、それを助け、或いは立ち塞がる大人の男は多く登場するが、少年達の姿は殆ど見られない。
世界には、例えば、拐われ、洗脳され、兵士として戦場へ送られ、自爆テロの要因とされる、少年達の現実もある。
それらが取り上げられる事はないが、作品中何ヵ所かに、女性問題に止まらない、全ての不公平へのメッセージが感じられる。
男性支配団の活動を目の当たりにし、改心してディリリの救出に加勢するルブフの台詞。「あまりに酷い。それに、【彼ら】も暗く哀れでね」
エドワード皇太子の言葉。「私が望むのは、多様な者が互いに協力し合う事」
支配する者、される者。差別する者、される者。どちらもが闇から解き放たれ、皆が助け合って幸せを目指す世界。
「昼と夜、彼女と彼、子供と大人、貧しい人とお金持ち、皆一緒に」自由になった少女達と未来ある青年が歌い、幕は降りていく。
Belle Époque
まずはフランスの歴史を少々知っていないと飲み込みの悪い作品だということを予め知らしめて置く。19世紀末から第一次世界大戦勃発(1914年)までのパリの繁栄で絢爛豪奢な時代が舞台設定なので、どこかで聞いたことのある偉人が多数ゲスト出演しているので、実は同じ時期にこんなにも濃密にそれぞれが活躍していた時代だったのだと改めて驚く背景である。逆にこの前後はさほど有名人が出現していなかったことを考えるに、神は均等にその才能を送り込む力はないのだなぁと思ったりしたのだが・・・
本作はテーマとして『人種差別』、『ミソジニー』といった偏見を打破するという明快な内容であり、それをアニメーションで表現する手法で制作された作品である。前述の時代に果たしてこういった思想が存在していたのかどうか不明だが、現在の発想を過去に遡って当てはめていく方法は、確かにストレートで気持が良く溜飲が下がる。それを稀代の偉人達がヘルプしながら事件を解決してゆくなんてのは古今東西同じような発想が世界に発生する一つの世界観なのだろう。実際は連帯なんてものは存在していないが、ファンタジーとしてお互いが知り合いだったならばという設定はワクワクせずにはいられない。そもそもが本作はかなりセンセーショナルなパンチを観客にお見舞いしてくる。『人間動物園』なる事実は今の時代当然人権問題化することを、人間は当たり前の様にやっていた訳だ。そう思うと“人権”というこのあやふやな思想は、常に訴え続けないと直ぐに消え去ってしまう脆い思考なのだと考えさせられる。そして次に出てくるおぞましき思考は“四つ足”。頭の狂った男共の思考は、現代であってもアメリカの五大湖辺りのラストベルトでは当然の思想であることに愕然とするし、教育の限界に力尽きる思いが支配してしまう。本作ではそれをお抱えの運転手の思想転換によって形勢逆転するのだが、果たしてリアルの男達は決して転身しないのだろうなぁと、ヤフコメのミソジニー住人たちを寂しく感じたりする。ラストはファンタジー色に終わり、それなりのカタルシスを得られるような作りになっているのだが、その物語を飾る様々な画作りは、どこかでみたようなイメージが頭を過ぎり、あぁ『紙兎ロペ』のそれだと気が付く。背景画は本作では写真画像なのかそれとも精密な風景画なのか分らないが、人物とのマッチメイクが悪く、それを逆手に取って面白味をだす演出の“ロペ”と違い、あくまでも観光ガイドのような引き出し方をしている今作は違和感が拭えない画である。しかし評価すべき点は劇伴を含めた音楽、特にラストの飛行船を降りる前のエマ・カルヴェ役のオペラ歌手の歌声には痺れっぱなしであった。
確かに色々な要素が詰め込まれすぎる感を大いに持ったし、もう少しシンプルに、具体的に言えばあんなに偉人を沢山出す必要があるのか、まるであの多数の出演は、ディリリが誘拐された後に居場所を知らしめる為に下水に流したメモの紙片の為だけなのかと、穿った見方をしてしまったりするので、そもそもが物語のテーマ性である“人権”問題に集中させたほうが感情移入しやすいのでは思うのが、今の時代、それだけじゃ足りないのだろうか・・・ “天気の子”の背景画の美しさみたいのも一つの個性だろうから、こういう作りも又構成されたオリジナルなのであろう。
オシャレな映画
パリが最も華やかだった19世紀末、そのベルエポックの時代を彩る様々な人々。ロートレック、ルノワール、ロダン、ゾラや科学者のジュールベルヌ、パスツール、キュリー夫人まで綺羅星のような才能が画面に現れる。
オペラ座やルーブル美術館、バスチーユ広場が驚くほどの精密画で描かれ、その芸術的な絵画背景に目を奪われました。その絵画のような世界で少女ディリリの冒険が始まる。
なんとも素晴らしいオシャレな映画。アニメは影絵のような平面的に描かれ背景が精密な絵画、その対比がなんとも面白い。ベルエポックの象徴である女性サラ・ベルナールがディリリを助け、少女誘拐事件をディリリの活躍で解決する。フランス文化の香り満載のオシャレな映画でした。
にゃんこスター
ニューカレドニアから来た少女が、パリの少女連続誘拐事件に挑むというフランス製のアニメーション。少女がパリでうろうろするあたりは「地下鉄のザジ」みたいだが、なわとび少女と男性のコンビという点では(最近見ないが)にゃんこスターのようでもある。
洗濯船時代の画家や彫刻家、音楽家があれこれ出演しており、いつぞや映画で見た黒人芸人のショコラもダンスを披露する。配達人の部屋には、広重の「庄野白雨」が貼ってあったり、とにかくにんまりするような小ネタが入っている。彩色もアメリカのアニメーションとは一味違ってよりアートな感じだ。
とは言え、犯罪の真相がいくら何でもおぞましすぎる(まるで“人間椅子”だ)。もうちょっと楽しげな事件にしてほしかった。
あと、邦題の「〜時間旅行」って何なんでしょう。SFと勘違いされそうで、意味不明です。「〜パリ大追跡」ぐらいでよくないですか。
ベル・エポックとは無関係なドタバタ劇にがっかり
字幕版で鑑賞した。
「ミッドナイト・イン・パリ」のような、パリの黄金期の風情を楽しめる映画を、自分は期待していた。
確かに、街中のポスターやアイアンワーク、建物の壁面、最後の方で出てくる豪華なサラ・ベルナール邸などでは、アール・ヌーヴォーの香り高きアートを見ることができる。オペラ座も新しい。
だが、残念ながら、たったそれだけだった。
ベル・エポックと何の関係もないストーリーには、正直がっかりした。本作においてベル・エポックとは、単なる小道具にすぎない。
ラストの電飾された飛行船も、取って付けたような印象だ。せっかく飛行船を使うなら、「魔女の宅急便」くらい、しっかりとやって欲しい。
ごく普通に、当時の様々な人々とふれ合う展開だけで良かったのに、よりによって架空の“誘拐団”を持ち出して、表社会に背を向けて地下に潜るとは・・・。
なぜ残酷なテーマを、中途半端な形で持ち込んだのか理解に苦しむ。海外のレビューを観ると、「子供が見るにはふさわしくない内容」という批判が、意外にも目立つ。
それだけでなく、主人公ディリリの、ニューカレドニアとフランスの混血という出自が、(冒頭以外は)ストーリーと関係がないのは疑問だ。
確かに、「今度は私が観光する番よ」と、パリの何もかもが目新しい少女という設定が欲しいのは分かる。また、普通の子とは反応が違うという、面白さもある(紳士の服装を見て「喪服なの?」と尋ねるシーンは微笑ましかった)。
しかし、フランス系カナカ人に対する人種差別に触れるのならば、もっと掘り下げるべきだろう。結局、話としては、アメリカ人でも誰でも良かったように思える。
当時の文化人が、お約束のように、多数登場したのは、予想通りだった。
キュリー夫人、プルースト、レイナルド・アーン、サティ、コレット、アンリ・ルソー、マティス、シュザンヌ・ヴァラドン、ルノワール、ドガ、ロダン、カミーユ・クローデル、サントス・デュモン・・・。
その存在が明示されていなくても、「ウォーリーを探せ」的な楽しみ方もできるだろう。自分は、バーでディアギレフを見つけた。
また、ディリリのニューカレドニア時代の先生というのは、ルイーズ・ミシェルというアナーキストらしい。
なお、(ディリリやオレルと共に行動する)エマ・カルヴェ役の声優が、有名なオペラ歌手のナタリー・デセイと知って驚いた。
しかし、文化人の出演の仕方は、ほとんどの場合、単なる“こじつけ”であって工夫がなさ過ぎる。
彼らの存在で“箔付け”をしているだけの「虎の威を借る狐」の映画であって、この点が一番不満なところだ。
例えば、ピカソやモネと出会うのだが、画家とするべき会話内容ではないだろう。ドビュッシーは、ちょっと会話して去って行く。パスツールを出したいためだけに、犬にオレルを咬ませている。ポール・ポワレは、売り出し中とはいえ単なる仕立屋だ。ロートレックは、なぜか探偵の手伝いをする・・・。
せめて何人かは、ストーリーと密接に結びついて欲しかった。
出演の仕方が面白かったのは、英国皇太子エドワード(のちの七世)だけで、のほほんとした感じがキャラに合っているように思われた。
それでもともかく、ストーリーさえ面白ければ、許せるだろう。
しかし、混血のディリリ、ベル・エポック、組織的誘拐事件という3者が、全くかみ合っていない退屈な作品だった。
「男性支配団」という誘拐組織との対決が本格化すると、ドタバタした劇になってしまったのは残念。「当時の女性差別を象徴的に扱っている」という論調があるが、それなら象徴的ではなく、表社会を直接描くべきではないだろうか?
正直なところ、最後の方は、眠くて仕方がなかった。
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