Girl ガールのレビュー・感想・評価
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人の苦しみはこういうことだと殴られた気分でした。
満点を付けましたが、決してお薦め出来ません。最後まで見るのが辛かった。本当に辛かった。彼女はとても美しく、それがあまりにも見ていて切なく、辛かった。美しい人とはこうまで苦しんでいるのかと、初めて知った気分でした。とはいえ、これはドキュメンタリーではないんですよね。でも少なからずとも、現状を取材し研究された上で作成された映画なのでしょう。彼女の苦しみは現実の実例に基づいて描かれているのでしょうか。それほど、多くの方々が同じように苦しんでいるのでしょうか。
作中、まるで何人もの俳優が演じているかのように、彼女の姿が違って見えました。まるで少女のように、母親のように、そして、一人で体を洗い、現実の自分の体と向き合っている彼の姿は、只の一人の男性でしか無い――特撮でもないのに、不思議な映像を見たような、そんな気分でした。
でも、何故でしょう。最後の病院での彼女の姿は、私にはまるで、お産を終えた母親のような姿に見えました。本当に何故だろう、不思議ですね。
トランスジェンダー少女の青春と痛み!
まず語るべきはやはり主演のビクトール・ポルスターの美しさ。彼自身はシスジェンダーですが、完全にトランスジェンダー役を演じ切っていました。心はもちろんその綺麗な顔立ちはまるで少女です。男性とは思えない美しさがそこにはあります。
心は女性、しかし体は男性という残酷な苦しみ。ララのどうしてもその肉体を変えたいという思いが痛いほど伝わってきます。彼女には男性性器は、完全に不要な異物しかないんですよね…。好きな男性と良い関係になっても逃げるしかない事がどれほど辛いことか。
悲しいかな、体の成長の変化は残酷です。さらに追い打ちをかけるようなクラスメイトの嫉妬や嫌がらせは、正直見るに耐えれませんでした。
そんな中、父親の理解と愛がララのよりどころで、温かくほっとさせてくれる一面でありました。父の子供に対する愛はララを女性の身体へ変化させようとする一番の理解者であることが救われました。どんなに苦難があっても家族愛はあふれていました。
だからこそ、ラストが余りにも痛くて苦しいのです…。
正直、ハッピーエンドではないと思います。しかしバットエンドでもないと思います。でもね、ラストシーン、そこには美しい一人の女性が確かにいました。
途中でフィクションと分かり。 最後でこれは駄目だと思った。 僕はト...
途中でフィクションと分かり。
最後でこれは駄目だと思った。
僕はトランスジェンダーでないから分からない。
そういう方達はどう見るのだろうか?
いずれにしても、LGBTの問題と女性の地位向上、若しくは権利復活は別の所にある。
この後は私の仮説であり読んで頂ければ幸いだ。
今の時代は男性が存続できる最終期だと思う。つまり、科学では、女性だけで種を継承出来る範疇まで達している(諸説あり)のだから、生物学的に男性は必要とされていない。少なくとも1人の男性がいれば良い。そして、男性は人類が作った『戦い』と言う行為に、幸い積極的に参加している。だから、その時が訪れるスピードも早くなったと解釈出来る。つまり、少女達だけの終末旅行と言う事だ。
この映画もそれなのだが、ドキュメンタリー風であっても、解釈が難しい上に、フィクションで表現する意義の必要性が感じられない。しかも、その結末が私の理解できる範疇ではない。まぁ、否定はしないが、一般論で誤解を与えると判断と思う。普通のストレートな人達が経験する事はないのたら。
一つの仮設的結論を言わせて貰えば、彼ら(LGBT)も含めて、社会が変わらなければ駄目だと感じる。どんな性であっても、変わる事が出来ないし、男性と女性だけでは無いわけだから。つまり、どうなっても偏見は残る。たから、彼らが変わるのではなく、我々全体が変わらなければ駄目なのだ。勿論、男がしでかしている『戦いのあり方』も含めて。勿論、人類の存続を少しでもながめる為にその意義はある。
抱きしめたくなる
ララの表情が全ての映画
ララを抱きしめたくなる
終始ララに感情移入して辛い
可愛い弟、
トランジェンダーに理解のある父親がとても良い
日本なら性を変えるなんてと反対する親が描かれるが、
親戚一同ララに理解のある人達
足も痛いけど
テーピングしている性器も痛いよね
トイレ行きたくなるから、バレエ中も
本来なら水分とらないといけないのに
あえて、とらない
でも、あの天使みたいなララの微笑みは
本当に可愛い
最後、衝撃的、自分の性器を切る
やめてーと画面見ながら声が出た
しかし
未来が明るそうな終わり方なので
希望を持てるかな
心と体が…
一致しないことの苦しみが痛いほど伝わってきた。トランスジェンダーであることを父親や親族、学校の友達もある程度理解があり、病院の先生たちも計画的に手術できるよう優しく語りかけるなど、周囲の人々の万全の支えがあるように思える。他の映画のような彼女に対する酷い仕打ちや苛めは全面には出てこない。しかし、多感な時期を過ごす彼女は男女において当たり前であることができないことに対して急ぐ気持ち、不安な気持ち、それを振り払うかのごとく、一心不乱にバレエに打ち込む。ラスト、彼女の決断は色んな意味で痛かった。その後、何年か後なのか、颯爽と歩き少し大人びた女性になった彼女を見て、大事に至らず良かったと安堵した。
ラストカットは、個人的にはちょっと。。。
タイトル「Girl」が、全ての映像が終わって最後に出るのはすごいよかった。色んな出来事を経て「女」になった。
ただ、そこで(あれ?…じゃあペニスを切るシーンって最初から決まっていたのかな?)と思ってしまった。
トランスジェンダー(LGBTの「T」にあたり、一般的に性自認と身体的性が一致していない方全般を表す言葉)という、自分が「男なのか女なのか」という葛藤が、事細かに描かれている印象でした。
ムリヤリ服を着させられるので弟が「やめてよヴィクトル」とララの本名を言うシーンには、環境が変わって幼稚園に行きたくない弟の気持を察するララと、おそらく弟が物心つく前3、4歳までは「ヴィクトル」と呼ばれていて、ララは初経の始まる12歳頃に「私のことはララと呼んでね」と弟にお願いしたのだと思う。価値観を押付けてしまったというか、「自分の都合で周りが変化している」ことへの引け目も感じられる。
ララの周りには、トランスジェンダーに理解のある人々が比較的存在しているけれど、ララにとっては、「穏やかに成長を見守る」大人たちが「傍観者」に見えてしまっていたり、ホルモン治療の弊害で情緒が不安定になり、さらに思春期という時期も重なり極端な行動をとってしまう。
男だけど女であり、子どもだけど大人にならなければならない環境が、彼女をラストシーンのような極端な行動を取らせてしまう。
そこまでは、わかります。十分説得力のある気持の移り変りを映像で見せられたので全然わかります。が、ラストシーンありきで映画が作られているような気がして、未来(オチ)が決まっている作り方は、ちょっと…。
親父がかわいそうだし、弟もかわいそうだし、悩んでる本人が一番やりたいことをやっていて(やれていて)、そんな自分を罰するかのように、家族への贖罪かのように自分で『終らせる』。映画なので痛みを伴わない終り方でもよかった。綺麗事でも希望のある終り方でもよかった。マイノリティだからこそ、希望を。…の方向性が、個人的には好みでした。
ラストシーンへの伏線となる冒頭の『ある日突然ピアスを開ける』シーンは、ティーンエイジャーそのもの。
映画作りや映像の見せ方や物語の構成は本当にスゴい。だからこそオチくらいは、手を抜いてほしかった気もする。タイトル「Girl」が最後に出たのには痺れたけども。エモーショナルだけど全然エモーショナルじゃない、緻密に計画された論理的な映画。
「バレリーナを目指して」というのは、純粋な踊りへの興味もあると思うけど、女性らしい姿勢やしなやかさへの憧れもあると思うけれど、転校=環境を変えるための「理由」として、大義名分として必要だから目指しているのかなとも思えた。あらゆる手を尽くして「女」になろうとするララは、純粋に欲深くて身勝手で、それを自分で理解しているからこそ苦しくて。
鏡の前で自分と向き合わなきゃいけないけど、向き合う自分は「思ってる自分(女)」ではなくて、体も何も変わらない男の自分がいるだけで、それを突きつけられて向き合えなくて。
映画の中でララの逃げ道を全部塞いでしまい、そりゃあ、ラストシーンにはああいうことになりますよ、ってなもんで。そう仕向けた物語の構成は、好きになれない。せめて映画の中では救いで終わってほしかった。それでも☆5の素晴らしい映画。個人的に好きなオチではないので4.5。
「なりたかった自分になるのに遅すぎるということはありません」 by George Eliot (本名 Mary Ann)
ララに言って聞かせたいのは、この言葉。ジョージ・エリオットって女性なんですよね。名前だけでは判らないです。
愛すべき「ヘンタイ」の国、ベルギーの物語はイロイロとぶっ飛び過ぎてて。
16歳で医学治療を受けられるんだ。早。
逆ナンでXyz(詳細割愛)したりするんだ。早。
んでもってハサミでチョキ、と言うか、ザク。痛。
素敵な男性と巡り会えると良いですね、と言いたくなる、綺麗な女性になってるじゃないですか。良かったよ、全く。
なりたい自分、乙女の本能、バレーの夢、家族への思い。追い詰められる環境の中で、パニックになった少女。救いはVolvo V40が愛車なパパの包容力。これが日本人にできるかなぁ、と思いました。ホント、ベルギーって「愛すべきヘンタイの国」ですわ。
ヒリヒリ感と痛烈な痛み・・・
15歳のララ(ヴィクトール・ポルスター)はバレリーナを目指すトランスジェンダーの少女。
肉体的には男性だが、現在は第二次性徴を停める治療をし、手術に備えているといった状況。
バレリーナとしての才能もあり、難関のバレエ学校への編入が認められ、父と弟とともに、学校近くへ越してきたところだった。
バレエ学校での練習は、文字どおり血のにじむもの。
やはり、肉体的なハンディキャップは大きく、他の生徒と比べて、練習の開始が遅かったことがある・・・
というところから始まる映画で、映画は主人公に文字どおり肉薄するような映像で綴られていく。
特に、バレエのレッスンシーンが顕著で、ベルギーの著名なバレエダンサーに振り付けを依頼したのだが、その振り付けの全貌はみることはできず、ララの躍動する(もしくは、できない)姿を表情を中心に捉えていきます。
このバレエシーンが素晴らしい。
演じるヴィクトール・ポルスターは心も身体も男性の新進ダンサーということだが、衣装も違えば、振り付けも男性のそれとはやはり違うのだろう。
上手く踊れないシーンなども、まさしく踊れない感が如実に出ている。
物語は、ホルモン療法によって第二次性徴を停めたララが、それでも肉体と精神のバランスを取ることにストレスを感じ、最終的には痛烈な痛みを伴う決断をするのだけれども、その決断に至るまで、やはり心の中では「引き裂かれた」ような思いを抱えていたことが描かれる。
父親も医師たちもララに寄り添い、理解して、ともに進んで行こうとするのだが、それでもやはり、周囲のすべてのひとびとが彼女の側に経っているわけではない。
転校先のバレエ学校ではない普通科の学校でのクラスメートのなかには、思春期ゆえか男性としてのララの肉体に興味を持つ女生徒もい、その偏見の眼がララを傷つける。
さらに、バレエでの上達のもどかしさも、ララの内部では大きなストレスになっている・・・
そういった思春期特有のヒリヒリ感。
それがあった上での、最後に描かれる痛烈な痛み・・・
胸に刺さるものがありました。
最後の表情に救われた
全編を通してララの痛みが、しんどいくらい伝わってきました。
厳しいレッスンの後、脱いだトウシューズから滲む血や、こっそりトイレで着替える姿、下半身を無理矢理隠すためのテーピング、クラスメイトからの意地悪な目。
家族や治療を担当する医師達は優しく、ララに焦らないで、と伝えつづけるけどララは手放しにその助言に身を任せることはできない。
「大丈夫?」と聞かれてもただ「大丈夫」と答え続けるララ。途中でララが感情を爆発させたり、父親や信頼できる大人にすべて打ち明けてくれたら、見ている方も楽になれるのに。
そうならないのは多分、ララにもまだ言葉に出来ないことがあったり、心と身体の痛みは他人とシェア出来るものじゃないからかな、と思った。
トランスジェンダーとは話が少し違うけど、トゥシューズを無理して履き続ける姿を見て、最近の#KuTooを思い出しました。
心と容れ物が合わない、身体の変化に心が伴わない、って誰しも経験があるはずで、そういう点では共感しやすいのじゃないかな…。
あと、人によって見方が違いそうだけど、作品中ではララはまだ恋はしていないのかな、と思った。
恋を出来るかどうか試すような行動が、また胸が痛くなった。
こんなに痛みに共感させられた映画ってなかなかないし、ララの懸命に立っている美しさに惹きつけられた。
どうしようもないもの
自分の努力ではどうしようもないもの。それは、生まれつきのもの。もの静かで控えめな性格のララが、耐えられなくなって衝動的になってしまったのか、それともずっと前から考えていたことなのか、スクリーンを通して私もララ同様に痛みを受けた。ララは精神的な痛みと交換に肉体的な痛みを選び、苦しみと決別したのだろう。
もうひとつの視点、痛みについて
悲しみも、辛さも、喜びもなにもかも押し込めてしまったようなララの表情と、バレエにひたむきに打ち込む姿が、独特の緊張感となって、想像だにしなかったエンディングにつながっていく。
ただ、最後の場面、メトロの地下通路だろうか、歩くララの表情は、どこか吹っ切れたようで清々しい。
ララは、なぜ、あれほどバレエに打ち込んだのだろうか。
きっと心と身体が一致しない不安を、必死で振り払おうとしていたのではないか。
父親や、バレエ学校のコーチ、医者やカウンセラー、周囲の人々が、支えようとすればするほど、ララの心の痛みは募ってしまう。
口では「大丈夫」と言っても、そんなことはなかった。
父親の「自分も時間をかけて男になったんだ」という言葉も、ララの焦燥感を軽くは出来ない。
男性を求めてしまったのも、女性であることを自身で確認したかったからだろうか。
僕たちは、こうしたトランスジェンダーの物語を、恋愛の葛藤といった演出のなかで観ることが多かったように思うが、これほど、心と身体の不一致の痛みにフォーカスしたストーリーは初めてだ。
ナチュラル・ウーマンは、様々な偏見と相対しながら、それを乗り越えて生きようとするトランスジェンダーの物語で、他とは異なる視点だったが、この作品は、更に別の視点でトランスジェンダーを見つめた秀作だ。
多様性という観点で外形的に語られることや、恋愛を介したストーリーで作品化されることが多いテーマだが、こうした刺すような心の痛みを抱える若者がいるのだということを、自分の心に留め置きたいと思った。
ビクトール・ポルスター 唯一の人
映画を観ていくにつれ、痛々しさだけが、残るものとなっている。ララに対し、すごく理解ある父親の存在。彼女のため引っ越しをし、環境を変えてまで彼女の望みをかなえようとする姿、また6歳の弟すら、友達と別れ寂しい思いを味わわなければならなくなる。そんな彼女は恵まれていると称される方もいるが....。
15歳のララ、友達と思っていたバレイ仲間が、単に好奇心の塊で、彼女に接していたことや自分自身の体に対する変化やジェンダーとして変わってほしいと思っている部分が何にも進展しない失望感や不安感、焦燥感など複雑で自分では、理解できない感情をコントロールできないでいる。しかし、その感情を失禁することは決してしない。表に出さず、一人苦しんでいる。
You don't know why you're crying ?
You don't know ? Or you won't know ?
-No, I don't know.
..............................(略)
-I don't know. I'm scared that it won't work.
-That it won't change a thing.
I see a lot of change already.
I think you don't realize how brave you are.
You're an example to lots of other people, you know ?
-I don't want to be an example.
-I just want to be a girl !................
撮影当時、14歳であったビクトール・ポルスター、バレエの練習後のシャワーのシーンや医師の診察など、とにかく全裸や上半身裸のシーンが出てくる。最初、恥ずかしいことだが、"Peeping Tom”的というか窃視的というか、自分が情けなくなるような行為をしていたのがわかるし、この映画を観ていくにつれ、恥ずかしい気持ちになっている自分に気が付く。
監督と主演のビクトール・ポルスターが、カナダの映画フェスの舞台あいさつで、監督が、ダンスのクオリティーにおいて、彼に勝るものがいなかったとコメントをしているが、この実在の人物のドキュメンタリーを考えていた監督が、その映画作りがかなわなかったために、このモキュメンタリー風な映画が出来たことは、かえって良かったと個人的に考えるし、この映画が、ポルスターという役者がいなければ成立しない、世に出ることのないものだと考えられる。
イギリスの保守系新聞紙、Times (UK)の保守系ならぬコメント「映画を観たことによって、このシスジェンダー評論家は確かにトランスジェンダーの人生の現実を理解しようとは、求めないだろうけど、そういうことがかえって、自分だけは理解しようとする事となる。」また、アメリカの映画レビュー Webサイト、RogerEbert.comによると「いくら論争を疎ましく思っても、監督のルーカス・ドンの全てピント外れなところが、この映画をつまらないものにしている。」と別の意見もある。
個人的には、イギリス人が書いた小説を何を間違ったか、日本のアニメーターがベルギーとオランダを取り違えている「フランダースの犬」や最近でも話す言葉の違いから国民同士の対立がとりあげられることがしばしばある国で、国際的にはNATOや団結力が問われているEUの本部がある国としか、イメージがわかないが、ただ単に主演のビクトール・ポルスターの不思議さや27歳の監督のある意味勇気のある、しかもトランスジェンダーに対してシスジェンダーが抱く違和感のあるものも、いくぶん感情移入のしやすい映画作りがされていると思うのだが.....しかし? 一部の通称“クイア”と呼ばれる人たちからこの映画に対しても監督に対してもかなり批判めいたものが寄せられているのは、事実で、その批判もわからないではないのだが?
穏やかな映画作りの中に、シナリオ自体が息を詰まらせるような映像もあるのため、多くの方はつまらないものと感じ、人を寄せ付けない映画かもしれないが、そんな中でもララの心の微妙な動きやララが痛めた足をトゥー・シューズに無理やり入れ、努力する姿、そしてララの心から湧き出るメタファーを理解できない方は見るのを諦めてもらうほうがよいかもしれない........。
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