Girl ガールのレビュー・感想・評価
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本人にしかわからない辛さ あまり台詞は無いけど、伝わってきました ...
本人にしかわからない辛さ あまり台詞は無いけど、伝わってきました 父親が素晴らしい存在で、理解しようと必死になり過ぎて子供からウザがられる でもそれでいいんだよ親は 女子に囲まれて下半身を見せるシーン ヤダなぁ… 最後の歩く姿はイキイキとしてて、とても綺麗でした!
思春期と孤独
周囲から理解され愛されている。父親とは真摯で心のこもった会話が成立している。それでも一人で苦しむララの姿は辛かった。世の中に沢山居る「ララ」の苦しみと孤独を自分は実は全くわかっていなかったことを突きつけられた。最後、ララが颯爽と歩く姿に救われた。
人は自己を肯定しなければ生きていけない
この映画は、主人公のララが男なのに女の心をもった人、とは感じさせる事はありません。女の子なのに体に余計な物がくっついてしまっていたり、大切なものが欠けている、その逃げようのない事実が彼女を苦しめている。彼女を閉じ込めているその体は、人から男と呼ばれる。そうしたララの苦しみが、痛いほど伝わって来る映画です。それは映像の作り方、抑制のきいた表現、優れた演技のなせる技でしょうか。 ひと言で表すとすれば、『自己を肯定するための、ぎりぎりの闘い』。それは性同一性の問題を抱えた人の痛みであると同時に、決して少なからぬ人にとっての自己の問題なのではないか、そんなふうに思いました。
痛い。。。
実を言うと、トランスジェンダーとは「男女」という絶対自然の摂理にそむく行いなのではないかとどこかで思っていたのだが、この子の、この苦しみを前にすると、そんなこと口が裂けても言えないだろう。 思わず目を逸らしたくなるほど、主演の子の演技が胸をうつ。視線の運びや、感情を押し殺したような笑顔がこの主人公の全てを物語っていた。
LGBTq?
これだけ世の中の動きがリベラルになってきたのに… 当の本人がこれほどワガママでは?! とも思えるし 本人が望む手術を、周りは拒み続けてる! とも考えられる この作品は何を見せてくれているのか? 憤りと不満と混沌とした閉塞感 これ以外に、なんの救いも無かった
この結末は個人的には嫌いだ
雰囲気が良くて、焦点がララに絞られていたので、非常に観賞しやすかった。しかもララ役のヴィクールのパフォーマンスは、まるでドキュメンタリーを見ているかのような質で、相当見入った。 LGBTに対しての現実、誰も本当に理解しきれないという悲しみだけを見せつけられた気がする。最後がその最たるもので、何か幻想めいたものをすべて打ち消されてしまったような思いになった。 結局はそういうことなのかもしれないけれど、別の解決方法を見つけてほしかった、フィクションなのだから…
同じスタート地点に立つまで
主人公の苦悩の原点に、マイノリティである自分への焦燥や 家族に背負わせた悔いなど、かなりの重荷であったはず そこにバレリーナの夢を追いかけ、競争相手は数多! このバレーレッスンの場面が、ほぼ半分以上を占めるため、ジリジリした練習シーンを目が離せず凝視する自分がいた。 多数派の他者たちには、まず足の痛みや練習のポイントを考えて集中することが一番目に来るのだろう。ララにはその前に自分のセクシャリティーとの葛藤や愛情への執念にも似た渇望があったように思う。 衝撃のラスト後、街を闊歩する姿にやっと同じスタートに立てた清々しさを感じてほっとした。これは秀作、LGBT理解の為の教材でもいい位だ!
自信がないってなんて苦しいんだろう。 人それぞれに自信がない部分が...
自信がないってなんて苦しいんだろう。 人それぞれに自信がない部分が違うだけで、その深さは同じだろう。 ララの内に秘めた、静かで強い思い。見え隠れするその姿に、私の肩にも力が入る。 やってもやっても出来ない、どうしたらいいかわからない、踊りのシーンは本当に辛かった。 あんな時ってやればやるほどに八方塞がりなんだ。 気持ちの整理も出来ないままに物語が進む、カウンセラーや父親が「嘘はつかない約束だ」なんて言って、なんでもかんでも話させようとするあたりにイラッとした。 「話したくない事は話さなくて良い」何故それが言えないんだ。 自分を見つめ受け入れる、そんなララの眼差しが一番信じられる、そう思った。
タイトルなし
大人のトランスジェンダーの映画はそこそこあるけれども、思春期にあるトランスジェンダーを描いた映画は少ないのではないか。シスジェンダーも思春期には自分の内面と変わっていく身体との折り合いに悩むのが普通なのにトランスジェンダーであればその葛藤はより一層激しいであろう。しかもララはあまり話さない。話しても「大丈夫」というだけ。でも、大丈夫でないのは、その焦燥感は、表情・仕草そして踊りを見ていればわかる。映像で語る「映画」である。彼女の焦燥感・意固地さは周りの大人にも伝わっている。大人は大人のアドバイスをする。でもララには通じていかない。誰がみてもララは女の子にしか見えない。大人たちはその外見に惑わされてララの内面まで達しきれない。父親でさえ。しかしララにはわかっている。彼女には他の生徒にはないギャップがあることを。自分の性と身体の同一に何ら悩むことなく踊りに集中できる同級生との間のギャップを。練習への人一倍の努力でもそのギャップが乗り越えられないとわかったとき、彼女はあの行為に走る。あの時ララがあげる苦痛の呻き声は肉体の痛みだけから出たものではないのだろう。でもその痛みと引き替えに彼女は解放される。ラストの彼女の落ち着いた、でも凛として歩いて行く姿は感動的さえある。(BGMが市川昆版『細雪』と同じなのは面白かったが。)
パイ生地のような痛み
ジェンダー作品群に素敵なものが多いのは偶然ではない 社会の根底にある " 性 " というテーマに、真正面から取り組むより他ないから 約9年 この映画の製作にかかった時間 薄皮一枚一枚を重ねたその後で、その生皮をまた一枚一枚 剥がすような 痛々しさ 自分がスクリーンの此方側にいる、それ自体が痛みになる感覚 私が他人と " 違う " という思いと 、 あの人が私と " 違う " という思いは、 完全に 異質 なもの 私達は そうやって 少しずつ 誰かを傷つけている 『ヘドウィグ & アングチーインチ』 『リリーのすべて』など 過去作品へのオマージュも含めて 大切なことを、思い出させてくれた “ リリーのスカーフ ” は、まだ大空を舞っている
トランスジェンダー
ララの気持ちがよく伝わりました。 バレエに打ち込む姿が素敵でした。 父の娘を思う気持ちもよく表現されていました。 好意を持った男性へのアプローチはビックリしました。 ラストの行動には驚かされました。 ラストシーンの表情よかったです。 素晴らしい作品だと感じました。
【ルーカス・ドン監督の執念の果て、ヴィクトール・ポルスターという稀有な俳優が降臨した。】
- 自分の前に聳え立つ高い壁に挑もうとしている方々が観ると、勇気を貰って、新たな一歩を踏み出そうと思える映画だと思いました。- ・主役を演じたヴィクトール・ポルスター(この映画が初出演とのこと。信じ難い)の心の機微が滲み出る気丈で美しく、且つ時折見せる哀し気な表情に魅入られました。 ・悩み、葛藤し、初めての恋に戸惑い、父親との関係にもちょっと苛苛する姿(でも、こんなに理解ある父親ってそういないよなあ。)も違和感なく受け入れられました。 ・終盤、”ああっ!”となるシーン(私の隣の男性は一瞬、下を向いていました)からの、ちょっと技巧的な場面を挟んでのララの爽快な表情が印象的なラスト。 ・印象深く琴線に響く作品でした。 <2019年7月6日 追記> ・この作品が数々の映画祭で作品賞を受賞した事は知っていたが、ヴィクトール・ポルスターの受賞部門が「男優賞」という事に違和感を覚えたのは私だけであろうか?
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