「ビクトール・ポルスター 唯一の人」Girl ガール Naakiさんの映画レビュー(感想・評価)
ビクトール・ポルスター 唯一の人
映画を観ていくにつれ、痛々しさだけが、残るものとなっている。ララに対し、すごく理解ある父親の存在。彼女のため引っ越しをし、環境を変えてまで彼女の望みをかなえようとする姿、また6歳の弟すら、友達と別れ寂しい思いを味わわなければならなくなる。そんな彼女は恵まれていると称される方もいるが....。
15歳のララ、友達と思っていたバレイ仲間が、単に好奇心の塊で、彼女に接していたことや自分自身の体に対する変化やジェンダーとして変わってほしいと思っている部分が何にも進展しない失望感や不安感、焦燥感など複雑で自分では、理解できない感情をコントロールできないでいる。しかし、その感情を失禁することは決してしない。表に出さず、一人苦しんでいる。
You don't know why you're crying ?
You don't know ? Or you won't know ?
-No, I don't know.
..............................(略)
-I don't know. I'm scared that it won't work.
-That it won't change a thing.
I see a lot of change already.
I think you don't realize how brave you are.
You're an example to lots of other people, you know ?
-I don't want to be an example.
-I just want to be a girl !................
撮影当時、14歳であったビクトール・ポルスター、バレエの練習後のシャワーのシーンや医師の診察など、とにかく全裸や上半身裸のシーンが出てくる。最初、恥ずかしいことだが、"Peeping Tom”的というか窃視的というか、自分が情けなくなるような行為をしていたのがわかるし、この映画を観ていくにつれ、恥ずかしい気持ちになっている自分に気が付く。
監督と主演のビクトール・ポルスターが、カナダの映画フェスの舞台あいさつで、監督が、ダンスのクオリティーにおいて、彼に勝るものがいなかったとコメントをしているが、この実在の人物のドキュメンタリーを考えていた監督が、その映画作りがかなわなかったために、このモキュメンタリー風な映画が出来たことは、かえって良かったと個人的に考えるし、この映画が、ポルスターという役者がいなければ成立しない、世に出ることのないものだと考えられる。
イギリスの保守系新聞紙、Times (UK)の保守系ならぬコメント「映画を観たことによって、このシスジェンダー評論家は確かにトランスジェンダーの人生の現実を理解しようとは、求めないだろうけど、そういうことがかえって、自分だけは理解しようとする事となる。」また、アメリカの映画レビュー Webサイト、RogerEbert.comによると「いくら論争を疎ましく思っても、監督のルーカス・ドンの全てピント外れなところが、この映画をつまらないものにしている。」と別の意見もある。
個人的には、イギリス人が書いた小説を何を間違ったか、日本のアニメーターがベルギーとオランダを取り違えている「フランダースの犬」や最近でも話す言葉の違いから国民同士の対立がとりあげられることがしばしばある国で、国際的にはNATOや団結力が問われているEUの本部がある国としか、イメージがわかないが、ただ単に主演のビクトール・ポルスターの不思議さや27歳の監督のある意味勇気のある、しかもトランスジェンダーに対してシスジェンダーが抱く違和感のあるものも、いくぶん感情移入のしやすい映画作りがされていると思うのだが.....しかし? 一部の通称“クイア”と呼ばれる人たちからこの映画に対しても監督に対してもかなり批判めいたものが寄せられているのは、事実で、その批判もわからないではないのだが?
穏やかな映画作りの中に、シナリオ自体が息を詰まらせるような映像もあるのため、多くの方はつまらないものと感じ、人を寄せ付けない映画かもしれないが、そんな中でもララの心の微妙な動きやララが痛めた足をトゥー・シューズに無理やり入れ、努力する姿、そしてララの心から湧き出るメタファーを理解できない方は見るのを諦めてもらうほうがよいかもしれない........。