僕たちは希望という名の列車に乗ったのレビュー・感想・評価
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時代を背景に深い印象を残す
第二次大戦後、ナチスの影を強く引きずりつつ、東西冷戦の中で生きる青春群像。高校生という多感な時期、歴史、社会の一接点を背景として、大変深い印象の残る秀逸な作品です。主人公の高校生達とその父親の関係、過去の歴史と現在にも着目。
たった2分間が人生を変える
たった2分間の黙祷が人生を変えてしまうなんて、考えてもいなかっただろう彼らの話
その黙祷によって、高校生たちは国家への反逆者になる
1956年、実際に起きた話に基づいた作品
敗戦後の東ドイツ
思想や言論の自由を奪われた彼らが、自分で考えて起こした行動によって、大きな選択を強いられることになる
その選択に驚かされるとともに、切なくもなる
これからベルリンの壁が出来る、そのことを彼らは知らない
そう言う意味だったのね
この邦題の意味が分からないまま観てましたがそういう意味だったのか
原題が良いか・・・微妙
しかし、内容は秀逸、緊迫感が良くて見入ってました
実話に基づくそうですが、かの国の若者は強い!
相当は秀才だったのだろうが、その後どうなったのだろう
かなりの快作
東ドイツの上級学校を舞台に、潜在的に自由を求める生徒たちの「黙祷」というほんのちょっとの行動を、当局が重大視して犯人探しをする中で、生徒たちはどうするか、どうなるか、という話。
オープニングは墓参りの名目で西ドイツへ映画を観に行く二人で始まり、前半は東の抑圧的な体制と、その中での若者らしい自由を求める気持ちの高まり、黙祷の実施までが勢いよく軽快に展開する。
一方、後半は問題視された「黙祷」の犯人探しのためにだんだん大物が現れてきて、誰が首謀者かを証言しない限り、全員が放校されるとなっていく厳しい取り調べの緊張感、抑圧感、どうにもならない感が半端ない。
実話だけに、オチはすっきりとかびっくりといったものではなく、最後は静かに終わっていくのだが、この前半と後半の対比が見事で、不満はない。
主人公テオの父が、バイク(サイドカー)にテオと二人の弟を乗せて学校まで送って来るシーンが、前半と終盤に一度ずつ同じアングルで現れる。ほとんど同じシーンなのに、前半の幸せ感と終盤の緊迫感、この対比は半端ない。うまいものだなあ。
生徒たちを主人公にしたおかげで、厳しい拷問などのシーンはなく、日常的な抑圧感が体験できる。「上級学校を卒業できれば指導者側、そうでなければ労働者側」という明確な貧富のルート。けっこう重い。
ドイツ人の若者たちは、いずれも顔つきが魅力的。この点だけは、アーリア人至上主義を掲げたくなった気持ちがわかるかな(笑)
オチなくても映画を楽しめる人、必見です!
10代の青年たちに課せられた重すぎる決断
壁が建設される前の東ドイツ、1956年が舞台。ベルリンの壁は1961年に建設されたというから、そのたった五年前の出来事です。
西ドイツに逃れた彼らが、壁が建設された時にどのような思いで受け止めたのだろうか。多くの人が仰るように、彼らの“その後の人生”が知りたくなります。
ナチ党への嫌悪感。同じ社会主義国であり東西分裂の主要因であるソ連への懐疑の目。抑圧や圧政への不満。
学生らの言動からは、社会主義への根本的な背信ではなく、あくまでそれを利用して圧政をもくろむソ連、または追従する政府への不満がくみ取れた。その辺のセンシティブな感覚というのは、母国の人間ではないとなかなかわからない。
他国の者には窺い知れない、敗戦後の東ドイツの空気感、その一端を垣間見ることができました。
当局による、仲間同士で密告させるという極めて卑怯な手段に屈服するか否か。首謀者を生け贄にすれば母国も将来も捨てなくて済む。
しかし実際に黙祷はテオとクルトが発案したのだから、それに巻き込まれたくはないという生徒がいても致し方なく、最後まで二人に賛同しなかった生徒も描写されていたことに、好感を覚えました。
ヒロイズムに徹し涙を誘うなら、クライマックスでクラス全員が立ち上がる描写をしてもいいはずですが、そう描かなかったことで、より真実味と重さを感じさせます。
「連帯責任」という不条理さを強いるいかにも社会主義らしい当局の姿と、西に逃げるのはあくまで個人の判断で、という学生たちの姿が対照的でした。
映画紹介文では「2分間の黙祷で」と書いてあったため、学生たちが黙祷を高らかに宣言して行ったのかと思ったらそうではなく、黙祷といえるのかもわからない代物でした。しかしこの「ちょっとした冒険」的な行為を行っただけで政府の人間が動く事態になってしまう恐ろしさ。
自由に発言できる権利と、それを享受できる社会が当たり前に出来上がったのではないということを、まざまざと思い知らされます。
学校の道徳や社会の授業でこの映画を是非見せて欲しいと思った。ここで語られることは教科書よりも雄弁。
余談ですが、彼らが心配していた「卒業テスト」は、西ドイツでも簡単に受けられるのでしょうか。戸籍謄本の管理や住民票の取得など東西関わらずできるものだったのか、そういったことにも興味が湧いてきました。
沈黙する教室
最強の青春映画。
同世代の若者たちが悲惨にも、勇敢な行動を起こしてたくさん亡くなった。このこと一点に心を揺さぶられて、たった2分間沈黙した高校生たち。彼らにとってこの行動は、好奇心と正義感、そしてまっすぐに死を悼む気持ちからでた純粋な行動だった。しかし大人たちは彼らを反逆者として、親の言うことを聞けない子供として、弾圧しようとする。もちろんこの映画は、当時の不安定な政治情勢を記録に残し、ナチスと社会主義、資本主義について現代人に考えさせる映画ではあるが、それに加え信念を持った高校生たちが大人たちに立ち向かう青春映画のようにも思えた。ちょっとしたいたずら心で始めたテオと父へのかすかな不信感から現在の政治情勢に疑問を持つ賢いクルトのように、クルト以外は初めこそ出来心からの行動だったと思う。しかし事実を知っていくうちに、そしてクルトの信念を感じることで、それぞれの中にまっすぐな正義が生まれてきて、1つの大きな決断に至る。ここまでには恋愛、嫉妬、将来への不安、裏切りなど高校生特有の未熟さもあるが、それを乗り越え確固たる信念に向かって成長していく姿は少し羨ましくも思えた。自分の高校生時代には全くない姿だったから。また彼らの親や校長も、社会主義を強制させる政府とは違い、子供たちの幸せを最善に考えていると言う点で家族愛も感じられる作品だった。最後にはテオやクルトの親が息子たちの信念を尊重していく姿に感動した。
彼らの将来についてもっと知りたい、そう思える作品だった。役者それぞれの表情や緊迫感がリアルで、引き込まれた。
タイトルと最後のシーンの組み合わせがとっても好み。
クレア役の子がめっちゃかっこよかった!笑
社会主義者の余裕のなさ
ベルリンの壁ができる前の東ドイツが舞台。
発端はそんなことで!?ということ。そんな当時の状況を理解できるかどうかがポイントに思えた。役人たちがそこまで過敏に反応するのは、資本主義との思想的争いが激しかったからなのかも。それにしても役人たちが厳格すぎる。この余裕のなさ、自由のなさが社会主義の敗北の要因の一つなのだと感じた。
友情、打算、プライド、裏切り、英雄的行動。内容は政治的かもしれないが、ちゃんとした青春の物語になっていた。
でも一番の見所は役人たちの尋問のような気がする。生徒たちを分断しながら、家庭の事情を小出しにし揺さぶっていく様はなかなか緊迫感があって面白かった。
実は一番の泣きポイント(であろう場面)は、かの有名な学園もの映画に似すぎてて感動が薄れてしまった。泣けなかったな。
でもいい映画!観て考えてほしい。
鼻すする 響き渡る音 映画館
(俳句にした意味は特にないです)
物語自体が共産主義に弾圧されている気がする。
彼らのその後が映画では描かれていなかったり
上映館数が極端に少ないことも含めて。
単なる思いつきにも見える行為が
彼らを苦しめ、強くするものになるとは誰が予想するものか。
これから御覧になる方は
戦後の東西ドイツについての知識を得てから
鑑賞することをオススメします!10分程度で充分です
余談ですが…
今コンフィデンスマンJPが大ヒット中ですが
ドラマ版の最終回と話の流れは似ている気がします(笑)
静かに心に響き続ける
深い余韻に包まれて、エンドロールが終わっても、すぐに立ち上がれなかった。
大きな恐怖を前にして、葛藤の中で、もがき、苦しみながらも、意思を持ち続け、現実に真っ向から向き合おうとする彼らの姿に心を打たれる。
エリック役のヨナス・ダスラーがとりわけ素晴らしかった。
最後は悲しくも、暖かい。
希望の光が見えるならどこまででも
ハンガリーでの反乱に果てた数多くの人々に捧げた120秒の沈黙、その理不尽な代償。
伴う人間の深さや変化と面白さに重しを置いてドラマチックに描いてくれる作品。
50年代のドイツのファッションが目の保養。黄色のベレー帽欲しい。
愕然。あまりにも強烈。
第二次世界大戦の後、ベルリンの壁建設の前。
微妙で不安定なこの時代だからこその極端な押さえつけが明確に表現される。
しかしそれを完全に否定する強い主張よりも、多方向的な視点を感じる。
ナチスの独裁を経て、ファシズムの芽になりそうなものを種から排除しなければならなかった機関の思惑も伝わってくる。
正しいかどうかは置いておいて。
18歳の若い学生たちの青春模様がベースになっているのがまず何よりも愛しい。
レナとテオとクルト、恋の方向の変化がもたらす微妙な距離にぞわぞわする。
私もテオが糊でくっつけた四葉のクローバー欲しい。嘘も方便よね。
西ベルリンへ出向きちょっとスケベな映画を観てはしゃぐテオ&クルトの親友コンビに冒頭からじんわりと胸が暖かくなる。
ジャングルで裸、トップレスなのか…ほおほお。
ソ連兵へのささやかでスリリングな反抗はこの後の大きな出来事を示唆しているようだった。
映画館で知ったハンガリーの情勢、その悼みを増長させたRIASの放送。
エドガーおじさんの「RIASを聴きたいだと?(難しい顔)」からの「ならこの家で聴くしかないな(ニヤリ)」のユーモアがとても好き。
あの時のエドガーはどういう心境で家に入れたんだろう。
RIASを聴いたことがバレれば生徒たちが危ない、聴かせたことがバレれば自分の身が危ない。
そんなこと重々承知の上で、若者たちの知的好奇心や自由な考えを尊重したんじゃないかな。
きっと今までもその柔らかい思考で生きてきたんだろう。逮捕されたそのあとが気になる。どうか少しでも穏やかに。
生徒たちの2分間の黙祷は、実はそこまで真剣なものではなかったと思う。
本当に単なる思い付き。単に共感して(しなくても)乗っただけ。
人々を想うクルトの気持ちが本物だとしても。
沈黙の最中にニヤニヤしてしまうテオの様子から伝わってくる。
この形だけの黙祷に、重い反骨や抗議を持っていた人がこのクラスにいただろうか。
ただ隣国の同志を悼んだだけ、ただタイミングが授業の始まりだっただけ、ただ先生が神経質だっただけ。
些細な言動に目を付けられ、本人の思惑とは裏腹に受け取られてしまい、大の大人がキレまくり弾圧を振ってくる恐怖がとても大きい。
反応がどんどんエスカレートして大事に発展してしまう様子、ケスラーによる幾度もの取り調べがリアルに怖かった。
人間関係をかき回し、誰もが持つ弱いところを執拗につつき精神的に追い詰める尋問、本当に勘弁してほしい。
サスペンスフルで緊張感溢れる展開が波のように畳みかけてくる。
逃げ場を失っていくクラスメイト達に胸が痛んで仕方なかった。
無茶苦茶な精神攻撃の果てに爆発したエリック。
今まで信じ積み上げてきた実の父のあまりにも無残な真相。そりゃあ気も狂うわ。
母と再婚相手に向けた叫びや、教官に向けた銃先の悲壮感。
彼の救われなさをどうにかして補充したい。
貫き通したクルト、正義と方便の間で奮闘していたテオ、その選択と家族のやり取りにどうしようもなく揺さぶられた。
逃げ道を与えて強く抱きしめてくれるクルトの母親に涙し、市議で頭が固かった父親の駅での言動がたまらない。
家族を取るか、自分の未来を取るかの選択を強いられるテオと、彼の決断を静かに受け入れる家族も。
「夕飯までには帰ってきなさい」「またあとで」
もしかしたら一生の別れになるかもしれないと分かっていながら発したこれらの言葉が強く刺さってくる。
首謀者を特定する、嫌な目的にただでは従わなかったクラスメイト達。
連続する「私も提案しました」の発言、次々と立ち上がる彼ら彼女らに脳天ぶち抜かれた。
列車に集まった彼らの表情が明るくて本当に良かった。
照らす光が希望の色に染まっていて本当に良かった。
敢えて注目したいのが、最後のクラス尋問の時に立ち上がれなかった人と、列車に乗らない選択をした4人。
この映画のタイトルになっている「僕たち」の中には、彼らのことも当然含まれていると私は信じている。
行動をした人だけが救われるような表現では意味がないから、教室の前のほうに座っていた女子が俯いたままだった描写もさりげなく入れたんじゃないかと思う。
分かりやすい勇気だけが正義じゃないでしょう、たぶん。
自ら新しい道に進んだ人も、留まって今見える道に進んだ人も、きっとこの映画は何も否定していない。
西で卒業試験を受けなかった人たちはどのように生きたんだろう。
後悔ももちろん抱えていただろうし、でも少しでも清々しさのような気持ちを持ってくれていたら、と思う。
逮捕者も傷付いた人も出た。
綺麗な物語だけには収められない。
この出来事を完全に良きこととするのも、負の意識を持たずにいるのも難しい。
それでもどうか、時の流れとそれぞれの人生が痛みを和らげてくれていますようにと、あの時あの決断をして良かったと皆に思って欲しいと、傍観者の勝手ながら願わずにはいられない。
多数決ではなく一人一人自分で決めた大きなターニングポイントを蔑ろにして欲しくない。
40年後に行われた同窓会で何を話したんだろう。原作を読まなければ。
目に焼き付くシーンがとても多い。
何度驚きに身をびくつかせたことか。
何度号泣したことか。
友情や恋愛や家族の細かく時に重い想いが交差するタッチがとても好き。
本筋の緊張を保ちながら常に人間に寄り添ってくれる目線が心地良い。
現在の自分を取り巻く環境の自由さを思い知った。
まごうことなき傑作。
独裁政治の始まり
今作はまだ東ドイツが完全にソビエトから支配される前だからなのか、私が想像したよりも緩い空気を感じました。独裁政治の始まりは思想の制限から言論統制、厳罰化、密告、処刑と順を追って過激になっていくのかもしれません。だからこそ、思想の制限を国家が進める前に何とかしないといけないのではないでしょうか。日本では抗議することがマイナスのこととして捉えられる事が多いですが、抗議できない社会に生きる人間はどうなるのか、行き着く先にある社会はどうなるのか。抗議の持つ重みを改めて考えさせられてしまいました。
第二次世界大戦終結後に、ドイツが東西に分割され朝鮮も南北に分断されました。歴史にたらればはありませんが、もしかしたら敗戦国日本もアメリカ陣営とソビエト陣営に分断されていたかもしれません。そう思うとこの作品が他国のことの様には思えませんでしたし、過去の話とも思えませんでした。独裁政治はいつの時代も起こりうる事だと思います。
籠の中
実際にあった話のようだ。
圧政下の東ドイツで、社会との摩擦に葛藤する若者たちが描かれる。
壁が建つ前の話で、このような状況の中力技で東西を分けたのだと推測される。
社会主義の内容を具体的には分からないのだけれど、本作の内容を自由への渇望とするのは短絡的かと考える。
彼等は若いなりに、社会や思想と葛藤し、血縁や友との別離を受け止め、痛みと共に故郷を捨てた。その後、壁が築かれ行き来がほぼ不可能になる。
望郷の想いもあるだろうし、後悔の念も抱いたとは思われる。決して希望などというあやふやなものに突き動かされた訳ではないのだ。
作品的には展開がとても滑らかで見やすい。
彼等を追っていけば、普通の若者である事も、彼等を取り囲む世界も、その世界の不自由さも良く分かる。
成長途中の若さと、ガチガチに固まった社会との対比がよく描かれていた。
ジャングルの裸女を見るために僕たちは列車に乗った
1950年代の東ドイツの高校生達が、ちょっとした反抗心から国家に追い詰められる姿を描いた実話らしい。
ソ連占領下の状況描写が、個人的には少し弱いと感じたが、同じドイツ人でもナチスやソ連になびいた者に対する姿勢や国家体制への反逆者を追求してクラスの仲間が揺れて行く過程がリアル。
国の未来を担う若者をスポイルする姿は醜悪の一言。
多くを語らないラストも潔い。
余談だが、映画冒頭で主役の二人の高校生が、わざわざ西ドイツに観に行く映画が、「ジャングルの裸女」だったのがツボ。
1957年?のドイツ製女ターザン?映画で、劇中ではエロ映画扱いだが、名優ハーディ・クリューガー主演で当時としては異例の露出トップレス姿の美少女ターザンのみが記憶に残る怪作。
時代の空気
最初から政治的だったかどうかはわからないが、たくさんの犠牲者への哀悼の気持ちを表す行為が反革命、体制への敵対行為とみなされる。最少のお咎めで良しとしてもらうために誤魔化す人たち、罠にハマる、脅しを受ける。
反革命分子を見つけ、罰することが革命への忠誠を表すことだから、なんとしても首謀者を見つけないといけない、真実なんてこの際どうでも良い。
この時は国境と検問所があった。
今は勝手にスマホが、SNSが忖度してくれて不快な情報から遮断される。
私たちの心の中に国境と検問所があるのかもしれない。
傑作。困難を乗越え信念を貫く若者達の気高さ、尊さに涙
終戦前までは反体制だった筈の旧東独逸の大人たちの、体制側になった途端の狡猾さ、醜さといったら。特に女性学務局員の振る舞いは戦時下のナチスかと思った。ベルリンの壁が出来る前までは東西独逸の行き来が(検閲はあるが)比較的容易だった事実を知った。自由とは、思想とはを深く考えさせられた傑作である。ラスト近く、決意を秘め次々に列車に乗り込んでくる彼らの姿を見て、涙が止まらなかった。彼らが西側で満ち足りた人生を過ごした事を切に望む。
時代と情報に翻弄されながら
東西冷戦の犠牲だったり、抑圧と搾取に対する憤りだったりは当然あるのですが、これは現代にも当てはまるし、今だからこそグサリとくるものがあった。
全体主義と戦っているようで、自分達もまた全体主義的であり、これを可哀想な小さな正義とみてしまうのも危うい。そんな事を、じっくりと考えさせてくれる、良い作品でした。
初めはただの悪ふざけだった
5月の初めに、就職に伴い実家を出てきた。その時母を泣かせたという心の傷が、この映画でえぐられる感じがした。
黙祷を始めたときは、彼らには家を捨てる覚悟など無かっただろう。過剰な抑圧が、彼らに覚悟を強いて、反抗の行動を起こさせたのだ。
時として人は、覚悟なくひょんなことから行動して、後悔と恐怖とともに覚悟を決めなくてはならないことがある。
今まさに、私はそんな状況だ。彼らのように潔く行動できるだろうか。
彼らは、ベルリンの壁ができるとは思わずに西側へ行った。壁が崩壊することも知らない。
私には、どんな未来が待ち受けているのだろう。
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