エルサレムの路面電車のレビュー・感想・評価
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エルサレムって重要な街だね。
The Jerusalem Light Rail の乗客を追っているが、その意味することを勝手に判断してみる。エルサレムの宗教、民族、旅行客、車中内外など文化の多様性を使って人間模様を醸しだしているコメディー。
ステレオタイプの山でもあり、監督がそれを脱する手法(例えば、ハシディックユダヤ教が女性の隣に座って会話をする)も使っている。やっぱり、この監督は多様性、深み(監督自
身、ハシディックの閉鎖的共同体の社会性を望んでいるのではないか?)のある監督だね。
日本の山手線内を例に取ってみると、一回りするとその周りの景色、また乗客などが十人十色の会話や行動をしていて、そこに観光客が乗っているからもっと、多様的になる。そこで起きた人間模様をコメディ風に映画にしているということだ。
それが時間を追ってで構成されているのではない。例えば、フランス人の旅行者、チェルシー(マチュー・アマルリック)が 12:31分ごろ、子供とふたりで椅子に寝転び、ユダヤの音楽(?)の演奏を聴いている。その後、最後の方で14:50ごろで、ユダヤ人夫妻と(アズライとアレクサンダー)会話する。チェルシーは旅行者だからこの路面電車を乗り降りしているのかもしれない。この路面電車のレッドラインの地図から察すると、電車はMount Herzl からShoafat, そして、Beit Haninaを通る。このことで、人種がユダヤ人地域からパレスチナ人(アラブ人)地域に移動していく。例えば、そこで、女好きでセクハラのセキュリティーが『パスポートを見せろ』とアラブ系をターゲットにしているのがわかる。ハーモニカをふく兵士も『アラブのアクセントがある』と言われ捕まえられた。よく、他の映画でも見かけるシーンだ。それに、20:12の会話は面白い。この女性(マイサ・アブドゥ・エルハディ)はオランダのパスポートを持っているパレスチナ人で、仕事と結婚は両立できないと言っていた離婚した女性。セキュリティーはどこへ行くから始まって、全ての質問に答えさせようとする、イスラエル・パレスチナの検問所にいる兵士のようだ。この女性は賢いと言おうかこういう状況に慣れっこになっているのか、言葉の文、ものの言いっぷりが上手でセキュリティーをうまく交わしている。『パレスチナ人でユダヤ国に住んでいるって言ったらいい』とセキュリティーに言い返す。この意味は政治的な意味で、ウエストバンクやガザなパレスチナ領に住んでなく、ユダヤ人が占領した土地に住んでいるパレスチナ人という意味で、この会話のやりとりが滑稽だ。
多様性の中に、宗教・政治問題の描写が多く、それなしにはイスラエルは、ここではエルサレム、を語れないと言っているようだ。ここでは何ヶ所か大笑いしたシーンがある。まず、車内で林檎を切って、周りの人に分けた女性(ハナラスロHana Laslo)。隣のハシディックユダヤ人にこの人何歳に見えるとか、独身だと知ったら、ガリレヤのアムカで(Jonathan ben Uzziel )独身で子なしが行って祈ると、特別なパワーがもらえるとかゴシップのような話が好きで笑ってしまった。それに、ハシディックユダヤ教が世俗派と会話するのもおかしいし、女の隣に座るのもありえないし、滑稽で、コメディとしか言いようがない。ここが、監督の裁量さ。
もっとも滑稽なシーンは最後の方で、14:50のシーン。口で説明するのは難しいが、本当におかしくて笑い転げたシーン。フランス人の旅行者チェルシーはユダヤ人夫婦、アズライとアレクサンダー(Yaël Abecassisと俳優?)と話し始める。アズライは世俗派でイスラエル軍の強力な支持者で、国粋主義者のような人らしくて、夫のアレクサンダーは奥さんのいう通りですというような人。
ちょっと会話を書き留めると:
イスラエルは『国は小さいがファンタスティックな人々だ』と。これを何度もアズライが言ってチェルシーも同意して反復しているのがおかしい。何度同じことを繰り返し言っても意味がない。深く話せよと私は思っていた。
例えば、ある旅行者が日本は綺麗ですねと一言、言ったら、ある日本人がそれに同意して、何度も何度も、お互いに綺麗だと言いあって意味のない会話をしているようなのだ。一度でいいんだが、外国人に日本の良さを伝えるため、言葉を知らないから、こういう会話になる。それとも、国粋主義者のシンプルマインドか?(ごめんね、国粋主義者の人)
ここではFantastic means anything.となって、じゃあと太陽までファンタスティックとなっていく。アズライが太陽はイスラエルの力ではないという。これから、会話が、太陽?に行ったら、勝利なしには戻ってこられないとアズライ。選択はなく、勝つだけだとアズライ。ええ、、、変な会話になったなあと思っていたら、チェルシーがイスラエルの気候、太陽の光、は素晴らしい。海も..... と。この言葉は少し、アズライへの同調発言のように見える。(チェルシーは息子にイスラエルの歴史の講釈をするように教養がありそうだ。息子は退屈していたね)変。アズライがそれはとてもセンサティブなポイントだと。イスラエルの海軍はとても小さいが、勇敢だと。夫にどう思うと聞くと夫は『空軍は空で、海軍は海で』と私はおもわず,,,,,,えええ、おいおいおいと。
アズライは海軍も空軍も軍はファンタスティックと。そのファンタシティックはユダヤの人間の価値とも言える(?)と。ファンタスティックの連発!
それから、チェルシーの一言(忘れちゃった?)で、アズライは何かイスラエル軍に反対することがあるのと。チェルシーは気まずくなり、またイスラエルを訪れると言って息子の方に向かう。
イスラエル軍は米国の支援を受けている強力な軍(イスラエル・ハマス戦でご存じのとおり)で、軍ばかりでなく、このえいがに出ているセキュリティーもはっきり言って横暴なのだ。これに対して、「何か文句ある、素晴らしい軍を持ってる国で人間性も』というアズライの内弁慶思想が私にとって面白い。この二人の会話のリズムは最高に愉快。このシーンは最高だった。
微笑ましいシーンは最初の方で、18:45のシーン。ハシディックユダヤ教徒が車内で賛美し始める。この讃美歌(トーラを賛美)の歌詞が大好き。The World is a very narrow bridge. A very narrow bridge. But what's really important......is not to be afraid, not to be afraid......とかいう賛美で.......この意味は私の解釈でいくと.......ハシディック(具体的な細かい宗派はわからない。)でいることは、神を信じて、神の律法に従って生きることは狭い橋を渡るようなもの。ハシディックの世界はこういう世界。しかし、何が大切なことかというと、こういう神との世界は世俗派の人とは同じではないが、怖がらないことだと。例えば、車内で神を賛美して、トーラを学んでいる。リーダーの一人が子供をとってもいいが、母親は逃してあげなさいと。(鳥の親?忘れた?)ユダヤ教で母親の系列(母親から母親へ)の存在価値の高いことを意味していると思う。このように私は理解する。
フランス語と英語を話しているところは違いが理解できるが、不幸にも他の言語の区別がつかない。あと、アラブ語、ヘブライ語、イディッシュ語が使われているのかもしれないが、それらの言語がわからないので、どんな民族などが乗ってきているのか外見や地域で判断するしかなかった。先にも述べたように、地図で調べたらこの電車はモスリム地域に向かっていることが分かって理解しやすくなった。
アモス・ギタイは好きな監督の一人。東京フィルメックスでは第一回から彼の作品は上映されているようだね。
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