靴ひものレビュー・感想・評価
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生活に他人のサポートが必要な人を発達障害者というのなら、そうでない人なんて殆どいないのではないかなぁ。…そんなことを思うようになりました。
初めてのイスラエルの映画かも、と思ったのと
発達障害者をテーマにしていること。
それが気になって鑑賞しました。
発達障害を持つ息子 (ガディ)
その母子をかつて捨てた父 (ルーベン)
母の突然の死によって、一緒に暮らし始める二人。
二人の間にある、30年以上の空白期間。
母がしてくれたこと。それを父に求める息子。
理解の及ばない息子。ただもてあます父。
とまどいながらも始まる二人の生活。
少しずつ距離も縮まってくるのだが、
父の腎臓に致命的な病が見つかってしまい…
という感じの人間ドラマです。
「発達障害」 をテーマにしているため
それが原因で起こる色々なトラブルも描かれますが
その内容と、それを巡る周囲の反応が
とても自然に描かれており
それがこの作品に 「リアリティ」 をもたらしている
そんな感じを受けました。
◇
最後の場面
母に続き、父を亡くしたガディ
「村」に再び入所し、
以前より気になっていた女性に声をかけます。
周りに頼るばかりだった自分に決別し
未来に向かって歩きだそうという姿に思えました。
腎臓提供を申し出るも審査官に断られたとき
涙ながらに訴えるガディ。
「僕だって、強い心を持っているんだ」
「できることがあるのにさせてももらえないなんて。 ヒドいよ」
※ こんなセリフだったかなぁ …汗
ガディの心からの叫びは、相手の心を揺るがすのに充分でした。
何事も、その気持ちがあれば、これからもきっと大丈夫。
彼らの未来に幸あらん事を。
良い作品でした。
満足です。
◆心に残った場面
発達障害の仲間が暮らす 「村」
に体験入所した主人公。
先住者から嫌がらせをされ
心が弱ってしまった日の夜。
電話をかけてきた父に、ふと漏らす言葉。
「父さんは死のうと思ったことある?」
そのまま切れる電話。
次の瞬間、ためらいなく息子の元へと車を走らせる父。
寝ている息子に
「帰ろう。 うちで暮らすんだ」
ガディの中で、
「父」 が 「大切な友人」 に変わった瞬間
だったのかもしれません。
◆余談 …かも
主人公ガディの年齢?
映画.comの作品紹介では、 50才
作品の中で「年齢は?」と尋ねられて 38才
公式サイトを観てみたら 30代半ば
うーん
どれが正解なのだろう…
主人公の「姉」のような女性(レストランオーナー?)が妊活中
という話からすると、「50才」は違う気がしますが…
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
奪ったのか、与えられたのか
父子が別々に暮らした長い時間。
父子が一緒に暮らした短い時間。
そこで二人は、それぞれに何を得たのだろう?何を失ったのだろう?
障害があるとか、ないとか、そんなことよりも、自分のことをしっかり人に伝えられること。だれかに助けを求めること。
それができたら、障害のあるなしは関係なく生きやすくなるんじゃないのかな。
「僕はサポートを受けなければならない人だけど」自分から、それを言える強さ。
特性はあっても、人の言葉をキャッチできる感性。いったい、この人の何が障害されているのか?
かたや父親は、どう?
何も語らず、隠し続け、人にSOSを出そうとしない。とても生きにくそうだ。
自分が周囲から愛されていることにも、気づかず、がんこで弱虫にすら見える。
でも、たしかに愛されているんだ。
不器用だけれど、そんな父のことを包み込む大きさが彼にはある。
それが、子どもの頃からの療育の結果なのかもしれない。
それが母が遺した宝物なのかも。
障害って、いったいなんだ?
そんな余韻が残る映画でした。
愛は地球を救う
鑑賞前から24時間テレビのような感じかなぁ、と思いつつ、レビューがいいのでもしかしたらいい意味での裏切りがあるかもしれない…、と期待しましたが…、そのまんま24時間テレビな内容でした
とはいっても、途中クスッと笑わせられましたし、館内でグスッと涙してる人がチラホラいる気配があり、そんな悪い映画でもなかったのですが…、好みではなかったのかもしれません
元々ライフイズビューティフルみたいな映画は苦手なので
予定調和な映画でしたが、舞台がイスラエル!
ちょっと特異。
これだけで見る価値有り
というのは、鑑賞中1つ、とてもひっかかることが!!
デデの恋人の黒人のアデーラ(名前うろ覚え)
ガディがアデーラの優しさに惚れて、父ルーベンに恋心を打ち明けた時、確か『身分違いだ。彼女は黒人だ』と言いませんでしたか?
身分違いと最初聞いた時は、「お前は障害者だから無理だよ」というつもりなのかと思ったら、まさかの「黒人だ」発言
え? それって、まさかの黒人差別!?
そんな堂々と黒人差別!?
いや、もしかしたらユダヤ教徒ではないとかそんな意味?
ん???
少し前に見たパレスチナ側の映画、『テルアビブオンファイア』もユダヤ側がパレスチナを差別していたけど、それはまあ紛争中だものね、と流したけど、またもや出会ってしまったユダヤ人の傲慢?さ…
もしこれが人種差別なのなら、先の大戦で哀しい記憶があるのに、なぜ?、と思いました
人の関わり方に関して考えさせられる
日本じゃあまりお馴染みではありませんが、イスラエルの実話をベースで作られたイスラエルの映画で、2年前に毎年行われている東京国際映画祭の中で出品され上映され反響が有ったのと、要望が強かったので日本公開が決まったらしいです。
本作品、色々な角度から考えさせられる作品で、ひとつは発達障害の方に関して、ひとつは、親と子供の関わりに関して、もうひとつは、臓器移植に関して、もうひとつは、人と人との関わり方に関して色々な角度から見る事が出来ます。
また、本作品の監督を務めたヤコブ・ゴールドヴァッサー監督自身で、発達生涯を持つお子さんの親御さんから、時に、厳しい角度から、時にユーモア溢れる角度から、決して、難しくもなく、しかし、寂しくも無く、時にユーモアを交えながら本作品を創りだしています。
イスラエルの映画なんので私たちにはお馴染みでない事から、監督さん俳優さんのデータがあまりないですが、俳優さんもしっかり演技の出来る方で、見ていて大変に気持ちがよくなります。
内容の方が少々淡々としている部分が有り、ちょっとお話進め方が淡々し過ぎている部分もあるので、ちょっと飽きる部分も有りますが、しかし、なかなか見応えはある作品に仕上がっています。
この手の重度の発達障害を持つ人に関して、軽度の発達障害を持つ人に関しても、日本でも十分に考えていかなばならないテーマだと思います。
私的には、本当に最後ですが、発達障害のある主人公が自立に向かっていく(私の勝手な解釈ですが)ラストが大変に素晴らしいと感じたかな・・・
日本でも多くの人に見て貰いたい作品でした。
健常者だって緊張するし
透明性が社会を変える
ガディは目立たない障がい者ではなく、目立つ障がい者である。この意味は、ガディと一緒にどこかに出かけたら、周りの人が障がい者ガディにすぐ気づくだろう。まず大きい声をだすし、感情のコントロールはできないからなんでも言う。歩くときは壁に沿った場所を歩くし、人にすぐ声をかける。
私の近所にガディと似た人がいる。名前はAで、一人で住んでいて、時々父親が迎えに来てどこかへ連れて行く。コロナのパンデミックなので、最近見かけないが、どこにいても大声で話しかけてくる。まるで皆が友達のように。よく表にいて陰に潜んでいないから、誰もが彼を知っている。でも、私は彼の父親に会ったことがない。
こういう存在感のある障がい者がでるの映画を観たことがあるだろうか? ザ・ピーナッツバター・ファルコン(2019年製作の映画のザックはダウンシンドロームであるが、https://filmarks.com/movies/81710/reviews/78661019
ガディの方がより大声で多弁であって、ザックとは障がいが違うと思う。
一般的に言って、社会のなかで、身体の障がいを抱えている人は見かける機会はあるが、薬で症状を抑えているような精神的に障がいを抱えている人にあう機会が少ないと思う。それにたいていガディが行くようなメンタル施設に入っているからだ。施設では彼にとって、似たような仲間がいて安全性がかなり保たれていると思う。
ガウディが家庭と住んでいる場合は、家族だけでなく、コミュニティーが協力していかないと。コミュニティーも彼を育てていかないと無理だと思う。彼の良さを発見して(歌が歌えるー歌詞を書いてCDを出す予定と。力持ちであると言っているーサムソンのようにちからがあると)それを反映させられる(食堂でお昼を食べているところで歌える)場所もいる。そして、コミュニティーの一人ひとりにとってもガディの存在は大きくなるし、微笑ましく寛大にみてあげられるようになる。この寛大さが別な意味でも社会を良くしていくと思う。困っている人に一人一人が一声かけることができるようになると思う。
靴紐だが、これを結ぶシーンが3度も出てく。人の手を借りず自分でできるという身しょう者の級を図る目安かもしれないが、最初は重度の障がいの証明により、負担金がいるため靴紐を結ばなかったが、二番目は自分の意思で腎臓を父親、ルーベンにあげる証明をしなければならなく、そのことに焦りとストレスがかかり、結びたくても結べなかった。三番目は自分そのままでいることができるから、だれにも自分を証明する必要がないので、結べた。精神状態が極端に現れる。
好きな言葉は誰かが父親にガディから腎臓をもらえと言ったとき『ガディはこれ以上何かを失えるようにみえる?』と父親が答える。愛の証。
この映画のように人々に寛大さの重要性を与えたり、身しょう者の課題に透明性を与えるテーマはインクルーシブ教育として社会に必要なことだ。
しかし、2箇所、気になった言葉使いがある。それは、
ガディがアデラ(ウェートレス)と結婚したいと言ったとき、父親は、彼女は相応しくないと答える。
その理由は彼女は黒人だからと。ガディは黒人の女の人たちはやさしいから好きだと答える。
もう一つはDr. Huri(フーリ)が医者だとルーベンがいうが、彼の弟はアラビア人?
その反応をみて、ルーベンは病院は彼は臓移植でトップだよといった。私は、パレスチナ側からの映画を良く観るが、お互いの偏見はなかなか消えない。
この映画は全米各地のユダヤ映画祭で上映された作品だ。
話は良いが背景描写が薄い
良い展開のお話でした。ラストもなかなかの着地。
ただ、ただですね・・・薄い。
父子の関係性の変遷がエピソード描写だけだから
「あれ?もうそんな関係なの?」
って感じ。
確かにね。そりゃぁそーだよね、そうなるよね。って感じなんだけど
どうにも唐突感があるんだよな。
一緒の時間が増えれば・・・って話じゃないと思うんだ。
だってこの父子には「過去」があるから。
父の過去はもちろん、なぜ一緒の時間を過ごすことで、
状況に変化が持たされていくのか?ってとこの描写が薄いから
息子のラスト近く、ラストの行動の動機がどうにも薄い。
彼が発する切なる叫びのセリフ=動機となってしまっていませんかね?
なぜそこまで想うことになったのか?・・・そここそ書き込まないと。って想うのです。
この映画は息子の成長物語でもあると思うのです。
ラストなんてその結果ですよ。
でも、前述の薄さが説得力の少なさを生んでいると思います。
残念。
色んな要素が見事なまでに絡み合って─
サポートしてもらう勇気
公開規模も小さく、また見慣れないイスラエル映画という事もあって過度な期待はしていなかった事もあってかとても見応えがあり、非常に心温まる作品であり涙した。
予告で謳ってる通り主人公のガディは発達障害を持っている。母親の死をきっかけに幼少期に別れて以来の父親と過ごす事になる。
予告を見たとき、そしてこの作品の冒頭の段階では発達障害という部分にフォーカスを当てて作品が展開されていくのかなと思って心が見る準備を無意識にしてしまってる。
それを見事に裏切られそんな偏見を無意識内にしてしまってる事が恥ずかしくなってくる。
ガディはもちろん発達障害である為時には他者から特別なサポートを受ける事はある。それは作中でも幾度となく描かれていた。では健常者は人からサポートは受けないのか。決してそうではない。人は皆弱く1人では生きていけない。人からサポートを受ける事を恥じらいと思うから頑固になり一人で無理を強いても乗り越えようとしてしまう。
ガディの父であるルーベンもまた人に弱さや脆さを見せる事なく強く生きていこうと冒頭では描かれていた。
当初はガディがサポートを必要とする事を理解できず、またその姿を恥じていた。
しかし共に生活していくうえでガディをサポートする事が自然となる。
それはルーベンもまたガディに小さな事でも助けられる、サポートされる事もあったからであろう。
人はこうして他者からサポートされる事で自分もまた他者をサポートする事が当然になる映りゆきが自然に描かれていたのがこの作品のとても美しいところであった。
終盤はルーベンの腎臓が悪化しガディからの臓器移植で悩む姿が描かれていた。最終的にはルーベンはガディからの臓器移植を望み、ガディからサポート受ける勇気をもたらしたが手術の際に感染症を起こしてしまいルーベンは亡くなってしまう。
この作品を通して感じるのは助け合い、サポートし合う事の大切さだ。
完璧な人なんてのは中々いない。弱くて、そして脆くて当然なのだ。
もちろん弱い事を盾に何事からも逃げたり人に甘え過ぎるのは良くない。
ただ時には人から助けを請う、サポートを求める勇気も必要な事がこの作品で感じさせてもらった。
その勇気を得るには人に優しく、そして困ってる人、弱ってる人を助け、サポートする事で得られるのであろう。
とてもいい作品に出会う事ができた。
1990的お掃除チャンピオン
母親が事故死し、住むところが決まるまでとソーシャルワーカーに諭された父親と、38歳の発達障害の息子が36年ぶりに暮らす話。
恐らく軽度の自閉症と思われる主人公が幼い頃に出て行った自動車整備工場を営む父のもと、洗車係とし働きながら親子関係を深めて行くストーリー。
疎ましがっている様に感じた序盤。
でも、気遣ってもいて、接し方がわからなかったのかな…息子をやはり施設に入れようとするも、運営の状態をみて思い直す根は優しいオヤジ。
そんな中、オヤジに腎臓の機能障害がみつかって展開して行く。
主人公の位置付け的にも、ストーリー的にも、絶妙な理解力とお拘りな二人が、心を通わせていくと伴に、そろって互いを気遣い、打ち解けて行く様は優しくて温かくて。
コテコテなストーリーだけど…突然の無感情からのラストは、空虚感と思いやりと成長を強く感じるし、それでいてコメディでつくられているので重過ぎずとてもよかった。
あらゆる"愛"を内包したイスラエル版『クレイマー、クレイマー』
誰もが共に生きていくには
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