「nig〇ers, ki〇es, wo〇s or greas〇rs 〇ばっかりで意味不明か?」LORO 欲望のイタリア Naakiさんの映画レビュー(感想・評価)
nig〇ers, ki〇es, wo〇s or greas〇rs 〇ばっかりで意味不明か?
オープニング・クレジットが始まる中、映画の制作者としての資質が一目で分かってしまうテロップがながれる。
This film stems from its authors' independent and free imagination;
any reference to real people or events is wholly artistic
and makes no claim to represent an objective truth.
The authors took inspiration..........(残りは書く必要がない。全て略。)
この言い訳がましいことでベルルスコーニ元首相の耽美的でわいせつ観のない映像を作りあげようとしたおとぎ話的なストーリーは、失敗に終わっている。
ただ言えるのは、彼の半生を映画化しているのではなく、ごく限られて限定的な一面しか敢えてシナリオ化をしていないことが、ありきたりな映画でもっと突っ込んだ幼児性愛者であり、幼児同性愛者として、物語に拍車を掛ければ見ていても面白い内容になったのに....? 中途半端すぎる演出は、始めのテロップと同じ言い訳がましってるじゃねえ~ッよ! ってか? なぜこんなことを書くかってかい? psychology todayのある記事によると性的志向がストレートと思っている人の多くが、今や同性愛者の要素があり、最終的には、最後に愛するのは、同性愛という事に行きつくと昔?見たことがある。
典型的なW〇PSの代表の1人をくさすようなシーンの連続と思いきや、この映画はアンチテーゼとして成立していて、ハードルの高いイタリア人の精神構造を理解できない者にとっては、宣伝効果抜群の誉め言葉となっている。しかも映画評論家とされる方たちからは、絶賛の声も聞こえる。例えば「LORO は、より成熟したアーティストの作品のように感じる。」「LORO は私に汚さを感じさせ、再び見ることを待つことができない。」なんてね。知らんけど。