劇場公開日 2020年1月3日

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「児童虐待の本質は、その行為以上に、負の連鎖である。」虐待の証明 ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0児童虐待の本質は、その行為以上に、負の連鎖である。

2025年5月15日
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鑑賞方法:VOD

泣ける

悲しい

配信終了前駆け込み鑑賞。
まだ横浜で、とある仕事をしていた際、3月半ばになると、
数人の大学生やら浪人生の学生バイトが、住み込みで寮に入所し、
入った順に仕事を覚え、4月になる頃には一人前になっているという、毎年恒例の一連の流れがあったのだが、
ある年、なぜかA君という若者だけは、1月の終わりに入所してきた。

「彼、随分早くないですか?浪人生ですか?」
私は、先輩に疑問をぶつけた。
「いや、確かあいつはまだ高3だな。」
「マジすか?卒業式前に入所するんすか?」
「ああ、あの子は『ワケアリ』なんだ。」

異例の入所時期だった。

随分とやる気がある子が入るのねと、その時はその説明で納得したものの、
しばらくしたのちに他の人から聞いた話では、A君は親から「虐待」を受けている事がわかった。

ワケアリの理由は「虐待する親から早めに引き離す事」だったのだ。
( ゚д゚ )

大学生のA君とは2年ほど一緒に働き、私は転職したため別の地域へ引っ越した。
ある時、職場近くのコンビニでレジに並んでいると、

「ソビエトさん!?」

と後ろから声をかけられ、振り向いたら、スーツ姿のA君が立っていた。

「なんでお前、ここにいんの?」

全く別の地域で、まさかの2年ぶりの再会。こんな偶然あるのかと驚いた。

「いやあ、ボク、ここの地域の●●って所に就職したんすよ〜」

●●とは、児童養護施設だった。仕事の繋がりで何度か行った事があり、知っていた。

そっかあ、虐待を受けてた子が、ワケアリの子達が集まる施設で働くのかあ。

A君の志しが意外としっかりしてて、頼もしく、嬉しくもなったのか、私は数回、彼に飯を奢った。
彼は俳優の堀部圭亮に似てて、シュッとしてて、それでいて若いので、喋らないとイケメン。
しかし、喋るとナヨナヨしてて魅力が半減する。

1年後、A君から婚約の報告を受けた。職場の同僚女性らしい。

こりゃまた随分と早く手をつけたもんだなと、お前はいつもやる事が早いなと、
頼むからワシを追い越さんでくれと、
(ノД`)シクシク
いつものように多少の嫉妬心は芽生えたものの、結婚式には参列しないので、
お祝いの金だけ渡した。

それから1年半ほど。
なんの音沙汰も無くなった。
全く連絡が来なくなった。

アイツは一体、なんなんだと。
新婚でチョメチョメがそんなに忙しいのかと。
式には出ずとも、普通はお祝いのお返しくらい、するだろと。
なんちゅう不義理なクズなんだと。

これだからゆとり世代はいかんのだと、私は怒りというか呆れてしまい、
もうあんな奴とは絶交だと、心のシャッターを下ろした次第。
( ゚皿゚)y─┛~~

そんな矢先、A君は私の職場を尋ねてきた。顔はやつれ、別人のようだった。

「ソひエてぅさん、ごふさたで、すい、ましぇん。」

会話すると、呂律が回らない。

A君が言うには、1年ほど精神病院に入院していたらしい。
結婚直前、虐待してた親から連絡が頻繁に来るようになり、
トラウマが発動して心身不調をきたすようになったと。

婚約は破棄され、児童養護施設も辞め、
東京の実家とは別の地域で働くのだそうだ。

「おいわひの、おはえしが、できんあくぅて、、、」

彼は泣き崩れた。
私は彼の肩を抱え、無言で何度も叩いた。
何も声をかけられなかった。
ただただ、泣き声を聞かれないよう、彼の肩を抱え、
何度も喝を入れるように叩いたり、さすったりした。

私にはそれしかできなかった。
(つд⊂)

この映画は、母親から虐待されて大人になった女性が、
街中で今現在、虐待されている少女をたまたま見つけ、知り合い、
いろいろあって、命懸けで少女を守ろうとするお話。

助ける側の女性は、過去に虐待された事も苦痛だが、もう1つの苦痛があり、
金持ちのボンボンから性被害を受けたのに、
なぜか容疑者となり、世間を騒がした前科者になった事だ。

二重の苦痛を抱える主人公。シャバに出ても、どこか荒んだ生活を拭えず、荒んだ心の傷も癒えていない。

そんな彼女が、自分と酷似した虐待状況にいる少女と出会い、
自分と重ね合わせ、他人事とは思えなくなっていく。

終始、重たい雰囲気の漂う展開で、胸が詰まる。虐待シーンも胸糞描写で、目を背けたくなる。

救いは主人公の側に、主人公の味方をしてくれる親身な刑事がいた事。
このキャラクターがいないと、絶望しかないストーリーで、ギブアップ寸前だった。

虐待の問題というよりも、虐待の負の連鎖とどう向き合うかがテーマの映画だった。

虐待の負の連鎖を断ち切ろうと、葛藤し奮闘する者もいれば、
負の連鎖を断ち切れず、開き直る事でしか生きられない者も登場する。

これは、A君から直接聞いた話だが、児童養護施設には、いろんなケースの子供達が入所しており、
中には職員にすら心を開かない子供もいるそうだ。

特に、虐待を受けていた子は、日常から攻撃的になったり、問題行動を起こしたりするらしく、
職員にも危害を加えたり、あるいは自分自身を傷つける、
自傷行為を繰り返す子もいるそうだ。

職員だったA君は新入りだった事もあり、最初のうちは問題児の子はからかってきたり、
おちょくったりしてくるらしいんだな。
子供に「試される期間」がある。信用していい大人なのか、どうなのか。
それがとても辛い期間だと彼は語っていた。

つまり、虐待問題の本質は、虐待した親から子を引き離すだけでは、全く解決しない、という事なのだ。

もしかしたら、「自分も虐待する側になってしまうかもしれない」。
「親になってはいけない存在なのかもしれない」。

そういう不安が一生付きまとう可能性が、あるという事。
負の連鎖を断ち切る事の困難さ。
これが最も重要で、ある意味、薬物依存と似たような課題を抱える事例なんだろうなと、
素人なりに考え辿り着いた結論というか、仮説ではある。

そういう長いスパンで考えなきゃいけない深刻さもあり、
映画はほんの一部の過程を描写しているに過ぎないわけで、
それすらも鑑賞継続には労力と耐久力が必要なのだ。

だから、途中で鑑賞から逃げ出したくなるかもしれないが、
映画というのは、勉強の試験と同じで、大概はパターンというものがある。

それは、前半がバッドストーリーだと終盤はハッピーエンドになりやすく、
後半がハッピーストーリーだと、終盤はバッドエンドになりやすい、というパターンだ。

そしてこの作品は、冒頭からず〜っと嫌と言うほど、バッドストーリーが延々と続くのだ。
つまり、そういうパターンの映画は、、、

あとは、自分の目で見て、答え合わせをするのが良いでしょう。
ヽ(=´▽`=)ノ

ソビエト蓮舫
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