とにかく実験的で抽象的でスタイリッシュな映像が印象的だった。
「顔」の見えない父親。妄想で埋めるかのようにピースを探す息子。
マイケル・ムーアばりの怪しいアメリカ人や、ホーキンスのような障害を持つ知的な息子など、登場人物も意味深。
父に偏執し情報に振り回される主人公を、虚像という「巨人」が食らう。その場面はゴヤの絵画「我が子を食らうサルトゥヌス」を彷彿とさせた。
劇中、実は気が触れた主人公の誇大妄想や幻覚、思い込みを見させられているのかと疑うこともあったが、脱線したかに見えた物語は再び一つの真実へと収束する。
その真実は父の編んだ織物に混ぜられ、息子の手で二進法へと変換される。様々な憶測と不安をザワザワと撒き散らしたまま、最後まで「真実」の正体は明らかにされないが、監督の思い描く「真実」のヒントは劇中にちりばめられているのだと感じた。
ミクロの世界はマクロでもあり、マクロに見えた世界は実はミクロでもある。
宇宙デブリで取り囲まれ、地表が見えない星は、未来の地球でもあり、かつて地球のような星だったものの過去かもしれない。
もしくは映画で示唆されたように、知的生命体はこちらのあずかり知らぬところでメッセージを送り続けているのかもしれず、また、こちらの預かり知らぬところで私たちの命運を握っているのかもしれない。
劇中終始鳴り続ける不穏なリズム音は、地球に届いている宇宙からのメッセージを意味するのではないだろうか。
物語はただの謎解きから、宇宙とは…という壮大なテーマに転化する。見終わったあとは、茫漠とした空間に放り出されたような、落ち着かなくて頼りない気分にさせられた。
この映画はスタニスワフ・レムの小説から着想を得て温めてきた作品とのこと。その小説は「アメリカで秘密実験が行われ、宇宙から送られてくる暗号を分析をする」という話で、数学者たちが密室で会話していることを、主人公が日記で書き留めているという形式。親子は登場せず、父親を探すくだりは完全に制作サイドの創作だそうだ。
レム作品はソラリスしか知らないので、読んでみたいと思う。
今回は実験映画のようなアプローチを試みたとのこと。今後もこの作家からの小説を映像化したいと監督が仰っていたので、楽しみ。