ブラ!ブラ!ブラ! 胸いっぱいの愛をのレビュー・感想・評価
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あーだこーだゆうてますけど、 〇〇ですわ
英題はシンプルに The Bra
ターコイズブルーの格子模様のブラジャーの持ち主を探して、ついにバックドアマン的なことをやって、強面たちにボコられて、線路にクサリで縛付けられてしまう初老のさびしい独身の運転手オジサン。
信号が変わるとホイッスルを吹きながら走って、沿線の人たちに列車が近づくのを知らせる少年はホテルのオーナーにお茶出しとして雇われ、犬小屋に住んでいる浮浪児。ハシゴを持ってきてオジサンの夜這いを手伝う。少年を連れてオジサンは故郷に帰ってゆくほっこりするラスト。
糸ノコであの太い鎖は切れないと思うけど。
荒涼とした山間部の村の映像。重いのか軽いのかわからないおっぱい型のオモリ。列車ギリギリまでせり出して線路脇に建てられた家々。アゼルバイジャンの村らしい。 両側から張られた洗濯ロープ。テーブルをだしてチェスをしてるヒト、ボール遊びする子供などがギリギリで貨物列車を避けたり、あわてて洗濯物を取り込んだり、取り込めなかったり。線路での光景は寺山修司の書を捨てよ町に出ようの都電荒川線のカットを思い出していた。オジサンだから。
運転士見習いの男はフランスの怪優ドゥニ·ラバン。機関車の走る音にトランペットを重ねて、ユーゴスラビア出身のミキ・マノイロヴィッチ出演映画アンダーグラウンドのBGMの雰囲気をだしている。
全編セリフなし。ファンタスティックロードムービー???
邦題は遊んでる。
胸いっぱいの愛を
Whole lotta love
ツェッペリンじゃないか。
Want to be your back-door man.
いい歳して気が多すぎw
妄想なのか夢なのか。
とにかく、よそ見運転はやめて。
ポイントスイッチャーの女も最初から遊んでる。
世界の美女総出演。
ヒマなので判るだけ列挙。
①パス·ベガ(スペイン)
スパングリッシュ
②マヤ・モルゲンステルン(ルーマニア)パッション
③フランキー・ウォラック(フランス)子沢山のダンサー
④ボリアナ·マノ二ロワ(ブルガリア)
⑤サヨラ·サファーロワ(ロシア)
山の上で羊を抱いて雑誌を読む女性
⑥イルメナ・チチコヴァ(ブラジル)路地に連れ込む未亡人
⑦マナル・イッサ(フランス)
⑧チュルバン·ハマートヴァ(ドイツ)ポイントチェンジャー グッバイ·レーニン
自分のブラじゃないことを証明するために、脱いじゃう女のヒトがやっぱり好き。安易ですけど。
不法侵入にはならないんですかねぇ
安全ピン2個連結させて、無理やり着けようとするおばはん。
自転車でブラの行商?
立派なブラ専門店で買っただけ。
検診車の器械はコントそのもの。レントゲンではない💢被曝しないから許す😎白衣の医者と看護師に飲ませたのは強精剤かと思ったら、下剤?
あーだこーだゆうてますけど、
Blah-Blah-Blah
犯罪ですわ。
天才監督現る?
今回最新作の「ゴンドラ」の予告編がすごく気になったので「世界でいちばんのイチゴミルクのつくり方」に続いてこの監督の過去作を見てみた。これはすごい傑作ではないだろうか。
タイトルはそのものずばり「ザ・ブラ」。定年退職した鉄道運転士が列車に引っかかった洗濯物のブラジャーの持ち主をただ探すだけの内容なのに、なんなんだろうこの結末を迎えた時のすがすがしい感動は。壮大な一大叙事詩を見終わったかのような満足感。アゼルバイジャンの世界遺産キナルグ村を囲む雄大な景色がそう錯覚させるのだろうか。いや、これな間違いなく傑作に違いない。二作見ただけでもはやこの監督のとりこになりそうだ。
ベテラン運転士のヌルランは実直だが孤独な男。その操縦桿捌きは見習い運転手が目を見張るほどのもの。この見習い運転手を演じてるのが「汚れた血」からなるレオス・カラックスのアレックス三部作で知る人ぞ知るドニ・ラバン。もう60過ぎなんだね、すっかり老けてしまって。
彼の運転する山岳貨物列車は民家の真ん中を通るため、いつも住人たちの洗濯物や子供のボールなんかが車両に引っかかる。心優しい彼は仕事終わりにそれらを持ち主に届けたり、子供には新しいボールを買い替えてプレゼントしたりしていた。でもそんな優しい彼に村人はなんだか冷たい。キナルグ人への差別とかあるんだろうか。今日も孤独な彼は一人床に就く。
独り身で年齢を重ねた彼にも村に思いを寄せる女性がいた。両手にいっぱいのプレゼントを抱えて相手の実家を訪れるが、その家の女主人が軽々と持ち上げた一つ30キロはゆうに超えるであろうケトルベルを持ち上げることもできずに、退散する羽目に。彼の淡い恋は終わりを告げたのだった。
定年間近のある日、いつものように車両に引っかかった洗濯物の青いブラを見つける。これこそ彼が運転中にその姿に目を奪われたブラジャー姿の女性が身に着けていたものだった。
退職後何もやることがなく孤独な彼はそのブラのことが気にかかり、その日から彼の果てしのない持ち主探しの旅が始まる。まるで王子がガラスの靴の持ち主を探すかのように。
各家庭を一軒一軒訪ね歩くが年輩の男がブラジャー片手に訪ねてくればたちまち変態扱い、あるいはサイズが合わないのに無理矢理自分のものだと言い張る女性たちまで現れる始末。
怪しまれずに持ち主探しをするため彼はブラジャーの訪問販売を始めたり、あるいは乳がん検査にかこつけて医者になりすましたり、あげくには女性にブラのサイズが合うかどうか寝込みを襲うようなことまでしてついには女性の旦那たちに捕らわれてしまう。
今までのほのぼのとした作品の雰囲気から一転、彼は線路に括り付けられもはやその命は風前の灯火。そこへホテルで奉公していた孤児の少年が間一髪助け出す。
ヌルランの後を引き継いだ後輩運転士ドニ・ラバンも胸をなでおろしラッパを吹き鳴らすのでした。
帰り際にブラと同じ柄のパンティが干してあるのを見つけたヌルラン、彼は持ち主に声をかけずそっとブラをその横に干して立ち去るのでした。彼はもう独りぼっちではない、村に帰った彼は命の恩人の孤児と二人末永く暮らしたとさ。
持ち主はなくしたはずのブラが元通り干してあるのを見つけてこれはきっと天使のいたずらに違いないとほほ笑むのでした。まさかブラの持ち主は一番近くにいたなんて。
孤独な初老の男と恵まれない環境で生きる孤児との出会いの物語を寓話とも童話ともつかない不思議な味わいを持つ作品に仕上げた。
ヌルランが訪れた村の女性たちは日々強面の夫の下で拘束具のブラジャーに縛り付けられて生活を送っていた。一日の終わりにそのブラを外す時だけが女性たちが唯一解放感に浸れる時なのだという、たぶん。そんな彼女たちがヌルランの前では何の躊躇もなくブラを外す。彼はもしかしたら抑圧的な生活から女性たちを解放すべく現れたゾロアスター教の救世主だったのかもしれない。そうだ、きっとそうに違いない。彼によって女性たちはブラを外した時のようなひと時の心地良い解放感に浸ることができたのであった。
本作はただのコメディー映画ではなく抑圧された女性たちの解放をも描いたとてもメッセージ性のある作品であるということを付け加えておこう。
この監督はやはり天才だと思う。私の買い被りすぎだろうか。
タイトルに忠実なお話
チュルパンハマートヴァ出演作品を見たくて鑑賞。ほんとにタイトル通り、ブラジャーの持ち主探しをする怪作コメディ。なんでこんな話思いついたの?そして作ったの?
ブラの持ち主探しをするのはシンデレラさながらのイケメン王子とかではなく、くたびれ気味の中年おじさんで、そんなおじさんがブラジャー持って女性を訪ね歩いたりとか絵的に怪しすぎる。靴下売りの人に想を得てブラジャー売りになりすますためにお店でブラジャーしこたま買うのだけれど、店員の女性の目がおじさんに刺さる刺さる。うん、無理もないね。
それにしても、知らないおじさんの持ってきたブラをそのおじさんの前で試着する女性たちは豪胆すぎる。日本で同じことやったとしたら即お巡りさんこいつですってなるよ。というか、大体の国でそうなりそう。そんなところや街中を鉄道の線路が通ってる風景とかそこで洗濯物干してあったり人々がテーブルと椅子出してくつろいでるような牧歌的な風景もあって、えもいわれぬファンタジー感を醸し出していると思った。
おじさんの行動はエスカレートして、協力者の少年の手引きで夜中女性宅に不法侵入してブラのフィッティングを勝手にやったりするまでになり、街のコワモテ男たちに追い回された挙句殴られて線路に括られ命の危機に晒されたりする。リンチにあってしまう。まあ経緯が経緯だけにわかるのだけど、殺すのはやりすぎ。事なきを得てよかった。
実際にやったらアウトな事をおじさんはやっているわけだけど、先にも書いたようなファンタジー感がこの作品を成立させていると感じた。色々な女性の様々な大きさや形の胸部が出てくる。私は女性にも女性の胸にもセクシャルな魅力を感じるタイプではないから、そういう場面で好色な気持ちになるとかはなかったし、おじさんをキモいとかも思わなかった(繰り返すけれど実際にやったらアウト)。おじさんに好色さを感じなかったからかもしれない。とにかく観てよかった。面白かったです。
おまわりさんこいつです
主人公のやってることがほぼ犯罪で…楽しく見るのは難しい。寝てるところに不法侵入されて目の前に下着を持った不審者がいたらトラウマものだろ…
さらに、ブラ売りに来た男性の前で若い子が下着を付け替えたりするか?そういうリアリティのなさにげんなりしてしまった。
アゼルバイジャンの素朴な街並みと美しい自然は良い。そして犬が可愛い。
民家の中を通る列車
どうして民家の中を走るのか。もしかして鉄道が敷かれた後に住民が集まってきたのではないだろうか?などと、線路を挟んで洗濯物を干す人々、線路の中でテーブルを囲む人々、不思議な田舎町の光景に目を奪われた。
メインはブラだけど、定年退職する前から列車に引っかかったシーツやボールなどを住民達に返していたヌルラン。家から男が出てくるとすぐ退散。女性がいたら、とにかくブラ装着してもらうという、シンデレラのガラスの靴の持ち主を探すかのように一軒一軒訪ねて廻る。女性はみんな青いブラを欲しがる・・・ついにブラ売りのおじさんと化したヌルラン。
高価で貴重なブラというほどではないけど、みんな欲しがるブラ。中にはヌルランを誘惑しようとした未亡人もいたり、スタイルを気にする女性もいたり、初めてのブラに憧れるティーネイジャーもいたりと多種多様。電車が来るとき笛吹く少年とともに作戦を練ったり、最終手段として検診レントゲン車を使用?!blah-blah-blah
終盤はちょっとした恐怖映像もあるけど、ラストでは幸せ気分に浸れる。やっぱりブラとパンティはお揃いじゃなきゃ・・・ちなみにレッド・ツェッペリンの曲はかかりません!
21世紀のジャック・タチ映画
登場人物の声が一切出ない映画は、チャップリンのサイレント映画などで観慣れているが、本作はそれとはまたちょっと違い、セリフ字幕すら排除しているのがポイント。
「このシーンはどういう意味だろうか?」と考えるシーンもあるものの、格段難しいわけではないので、比較的すんなり入り込める。
何よりも主人公の鉄道運転士ヌルランがいい。孤独で哀愁漂うあの表情だけで全部持って行ってしまう。かなりやり過ぎな行動を取るも憎めないのは、演じるミキ・マノイロヴィッチのキャラクターが立っていたからだろう。
あらすじ展開といい、ラストのオチといい、ジャック・タチ作品を連想したのは自分だけではないはず。
お前かー
「ブラの持ち主を探す」「セリフなし」という飛び道具を二つ仕込んだのが良かったのかは難しいところ。艶笑譚でほんわかテイストを予想していたが、もっとシュールなコメディだが、結構ハードな展開もあり。まあでも普通に考えたら「おまわりさーん、コイツです!」になるよね。
特典映像で撮影日誌がついていましたが、中々に大変だったのがわかります。
ドイツとアゼルバイジャンの合作?ところで?
〜ところで、アゼルバイジャンてどこやねん(=´∀`)人(´∀`=)?
ウチは意外に?ロードムービー的なのが好きだ。
わたしに逢うまでの1600キロ/星の旅人たち/ストレイトストーリーetc
で?
こちらは?広義で言えばロードムービーになると思う。いや、ならないよね!?
90分、まさかのセリフ無し。(*無音映画では無い)
アゼルバイジャン?田舎の風景に独特のゆっくりとした時間が流れる。
(だから、アゼルバイジャンてどこやねん!)
セリフ無しの映画(BGMもほぼ無い)だからこそ、意外に目を離せない度】☆⑤
中盤から後半にかけての、なんぢゃコラ!度】☆③〜④
水洗トイレもシャワーもWi-Fiも無いであろう地域で暮らす事は、ウチには出来ないけど?
でも?三日とかならアゼルバイジャンも良いかな?とは思った(アゼルバイジャンてどこやねん)。
ーーーーー
自分探しの旅か!?
いや、中盤から後半に掛けて、なんぢゃコラ!な展開に!
全然ロードムービーちゃうやん。
指輪物語?ただ、指輪を返したかっただけ?
何かしらの、浪漫を追いかけるだけの数日?数週間?の物語。
見ながら飲みたいビバレッジ】
ぬるいビールをちびちびと
不思議な映画だったな。。。
まさかのレッド・ツェッペリン(とかなんとか)
ファイト・ヘルマー監督の志向はキートンやチャップリンのようなスラップスティックだと思うので、台詞なしというのは「ツバル」への原点回帰として納得できる。
荒涼たる風景の中、岩肌にへばりつくようにたたずむ小さな村。列車が一日に何回通過するのか知らないが、線路の上で洗濯物を干したり、お茶しているのも奇天烈な設定で、監督が頭の中に仮構した世界なのだろう。犬小屋で暮らす少年というのもすごい。
パンタグラフが架線に接触する火花から始まる判で押したような毎日から解放された機関士の主人公は、ブラジャーの持ち主探しに奔走する。訪問販売や偽医者のくだりはほとんどコントだが、このあたりもう少しウィットがほしかった。
転轍手役のチュルパン・ハマートヴァは、「ツバル」から早20年。年齢のせいか、今作ではセクシー担当から外れたのが残念。でも、まだまだおきれいです。
副題はまさかのレッド・ツェッペリン?
【元ジョージア鉄道運転士、ブラの持ち主を無言で捜し歩く現代の寓話。】
ーミキ・マノイロヴィッチ出演とあるので、”バルカンミュージック炸裂か!”と思いきや、セリフが全然出てこないので、慌てて”アキ鑑賞スタイル”に変更し、対応する。監督はファイト・ヘルマーだけど・・。-
・「鉄道運転士の花束」に似たようなタイプの映画かなあ、と序盤観ていて感じたが、見事に違いました・・。
ー定年間際の鉄道運転士が運転する列車は人々が生活する空間を通って運行する。列車が来ると少年が”犬小屋”から飛び出して来て、”線路”でお茶を飲んだり、賭け事をしたり、洗濯物を干す人々に”列車が来るよ!列車が来るよ!(私の想像。だって、セリフがないんだもの)と笛を吹いて知らせる仕組みが面白い。ー
・鉄道運転士は列車の窓に貼り付いたシーツなどを、勤務後線路沿いに住む人々に届けるが、”大切なある日”青いブラジャーが引っ掛かっていた・・。
ーここから、彼がブラジャーを持ち主に届けようとする姿が面白い。明らかに”サイズが違う”女性達との遣り取り・・。届けるモノがブラジャーだから、邪見にされたり・・。命の危険にあったり・・。-
<独り身の寂しさを漂わせつつ、懸命にブラジャーを持ち主に届けようとする人の良い、元鉄道運転士の姿をコミカル要素を絶妙に塗して描いた無セリフ作品。面白き哉。>
下着の話ではありません!
下着マニアとしては外せない作品と思い、急遽鑑賞決定✨
だがしかし、下着の話と言うことでは決して無く、不死身の変態色ボケ爺さんが覗き、不法侵入、経歴詐称を経て、挙句の果てには誘拐犯にまでなってしまうというエキセントリックな台詞なし映画。
女性の見栄やあり得ない設定の数々には苦笑させられる。でもなんでだろ、最後にはほっこりしてしまってた(*´ω`*)
エンドロールには「Stuntman」の文字があったけど、スタントが必要なシーンなんてあったっけ??
電車の管制塔(←って正しいのかな?)の女性がトリンドルちゃんにしか見えなかった。
(どう?見て!どうみたってこれ、私のでしょ!)
あるとき、青いブラが列車に引っかかった。運転手であるオッサンは、まるで硝子の靴にあうシンデレラを探すように、ブラの持ち主を探す。このオッサン、恋もし、結婚の浮いた話も持ち上がるようだが、ほんとうは若いという設定のか?
なんにせよ、音はあるが台詞はほぼないから、登場人物のややオーバーアクションの演技からこちらが想像するしかない。
訪ねる先の女は皆、恥じらいもなく自分の胸に当て、これは私のだと言わんばかりの顔で主張する。女たちが、サイズ違いでもあれほどブラを欲しがるのは、ブラが高価なのだろう。
さて、いろいろと策を講じるが、手立てなし。漫画的な展開。郷愁をそそる音楽。牧歌的は風景。
こちらはいつの間にか恥ずかしげも消えて、オッサンと小僧の奮闘を見守りながら、最後には、ああそこか!と、そういうフラグだったか!となんだかほっこりして幕が下りる。
この映画、やはり台詞なしっていうのが、良いのかもしれない。
アゼルバイジャン
『旅のおわり世界のはじまり』でもそうだったが、カスピ海周辺の風光明媚な地形は代え難い世界遺産そのものであることを再認識させられる背景で繰広げられる“シンデレラ”の現代版といった作品である。そして最も特徴的なのは台詞が一切無い(指し示す短音のみ)縛りで物語を遂行してゆく演出である。二年前の東京国際映画祭で、日時の都合で鑑賞出来なかった本作がこうして配給が出来た事を関係者に感謝する。台詞がないだけできちんと効果音や劇伴、挿入楽曲は乗せられているので、日本のサイレントムービーとは趣が変わっている。コメディーを前面に出しつつ、ラストは違った展開に移行していくのもよく練られた脚本である。細かい所ではツッコミどころは否めないが、リアリティがベースではなくあくまでも寓話としての濃度を高めたので、現実の旧ソ連邦の社会問題がテーマという押し出しはそれ程鼻につかない。あくまでも“ブラジャー”を通して、理想とする家族を構築したい独身且つ定年が訪れた機関士のプチ冒険譚といった設定である。オチも、ポイントスイッチを手動で切り替える女性鉄道員のブラであったという顛末は、単体では余り重要性はない。探していた宝物がラストでカラスにさらわれるみたいなものだ。あくまでも男には理解出来ない“ブラジャー”の重要性を、機関車に引っかかったブラを持ち主に返し、あわよくば伴侶にしたいという下心からの転がしなのである。
そもそもなんで下着であるブラジャーには細部に施された刺繍も含めて、あれだけのデザイン性に包まれているのだろうか。芸術的な程その上質な飾りに、女性の存在感を圧倒的に担保する説得力なのであろう。そしてそのデザインはブラ単体ではなく、パンツとタッグを組むことでより美しさが補完される。それは正に単体では存在をあやふやにさせる社会性を、上下がトータルとして結びつけられることで補完し合う人間社会を表現しているのである。それは男女の結びつけとは限らず、本作のように違った家族形成も又、一つの解答例だということを示唆する。毎日の仕事だけに従事していた男は気付く。世界はこういう風に動いているのだと。その純真無垢な性格故に数多く傷つき、しかしそれでも偶然に出会った孫と同等な年齢の子供を引き取る事で、自身も又、第二の人生の意義を見出す帰着は、ブレずに筋を通した男の一本気に共感を持たざるを得ない。女性のしぶとさあざとさ、そして男の傲慢さ、そんな裏の社会を散々体験した男のささやかな抵抗でもあるような深層も感じた本作である。
シンデレラを探せ!
シンデレラの物語は“足”だが、なにせ、こちらは“乳房”である。
おのずと、色気と滑稽な可笑しさとが、“ない交ぜ”になったコメディーにならざるを得ない。
ベリーダンス(?)を踊り出す女には笑ってしまった。
「バクー行きの列車」とのことだが、カスピ海沿いの都市というよりは、峨々たる荒涼とした自然が目に付いた。
全編台詞なし、ということで不安があったが、杞憂であった。
最後も、伏線がすべて回収されて、さわやかに終わる。
ストーリーも“乳房”も、すべて楽しませてもらった。
全編セリフなしとは
試写にて観賞。全編セリフなしとはどういうことかと思っていたが、サイレントな訳ではないので笑い声とかは普通にあった。セリフに頼らない分「音」にこだわったという描き方は面白かったが、やはり内容が伝わりきらなかったり無理な部分は生じていた。
文字通りの内容にまさかの感動
31st TIFF コンペティション
文字通りのストーリーに辟易─、しかも台詞がほとんど無い…。コメディーベースの映画なので、多少の違和感も気にならなかったけれど、オーバーアクションのためにあまり笑えないところも多かった気がする。言葉がない分、鈍り手振りが激しくなるのは致し方がないのだけれど…
時々差し込まれるアゼルバイジャンの風景画がすごく魅力的。展開も画質も荒々しいため、その美しさが際立つ。
ワールドワイドな俳優陣を見るだけでも価値ある映画。ぶっちゃけ、TIFF上映後のQ&Aセッションに登場した女優陣を見ているだけで満足したり─
作品の制作中はトラブル多発で完成までずいぶん苦労したそうだ。出来上がったのが奇跡とまで言っていて、しかも制作の様子を記録していた映像がドキュメンタリーとしてアムステルダムのドキュメンタリー映画祭にノミネートされたという。そちらの方も気になるし、ぜひとも日本でも公開してほしいところ。そして本劇映画とセットで上映されることを強く望みたい。
最初は、これはナンセンスコメディーだと思いながら見ていたものが、まさかのメッセージ性を帯びた感動的なエンディングを迎えるとは全く予想していなかっただけに、斬新な映画だと思った。
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