アマンダと僕のレビュー・感想・評価
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思い返せば思い返すほどいい作品
家族を失うという悲しいテーマだけど、自転車や徒歩、学校に遅刻しそうな時はダッシュで巡るパリの風景の美しさのおかげか、余計な重たさは無いです。
身を引き裂かれるようなことがあってもなお、人生は素晴らしいものになり得ると思える、いい1本でした。
ラストのウィンブルドン観戦のシーン。
アマンダは自分の想いをあのプレイヤーに重ねたのでしょうか。嘆き、悲しみ、そして歓喜に打ち震える、このアマンダの表情を映し続けたラストシーンは子供嫌いのわたしでも、おもいっきり揺さぶられました。
ほんのちょっとのやりとりでしたが印象的だったのは、公園でムスリムのカップルが罵声を浴びせられているところを通り過ぎたシーン。
テロ事件の犯人と同じ神を信じているというだけで、ふつうの人間が理由もなく攻撃される。この状況に深入りしすぎることはせず、子供の素朴な疑問にカラッと答える形で、子供に植え付けられようとしている独断的な思想を取り払う。
なんて爽やかな軽さ。見習おう。
思い返すと本当に、感心することばかり。またしばらくしたら観てみようと思います。
この上質な作品に触れるとハリウッド物が大味(おおあじ)に見えてくる。
主人公の彼(ダヴィッド)の口元が、フランス語話してるとこういう感じになるよね的なくちびるだわー。と思って見ていた。
もちゃっとした感じのアマンダの、7歳の少女の体つきが愛おしいと思って微笑ましかった。
突然 なんの前触れもなく母親に死なれた少女と
身近にいた母親の弟の
唐突な悲しみが もう本当にリアルでリアルで。
ほんとうにかなしい時 涙は簡単に出て来ない。
悲しみは深ければ深いほど
簡単に顔を出さない。
仕事(やらねば生きていけない)の合間に
客を待つ駅のエントランスで、どうしようもなく滲む涙。
溢れて抑えきれない慟哭。
彼の涙には また
多くの戸惑いと絶望も含まれる。
今まではちょっとしたサポートで済んでいた事が、今後は姪の人生全てが彼の肩にのしかかるのか?と。
でも だからと言ってこの幼く愛すべきものを手離すべきか否か。
アマンダは センターコートの観客席で初めて
彼女の生きるべき道が見える。
そしてそこに含まれない母を思い
誰に何を言うことも出来ない事を理解し、涙が溢れ出す。
本当に良い映画と言うのは
こういうのなんだなあと 心に出来た染みを握りしめたくなるような映画だった。
遺されたチケット
ラストにウィンブルドンへ
そこで娘のアマンダは
《エルヴィスは建物を出た》
と自分と母にしか分からない理由の涙を流します
その後デュースに持ち込んで終わるまで
アマンダの晴れていく表情が素晴らしく
この物語の締めとしてとてもよかったです。
また、ダヴィッドが涙するシーンが泣けました。
というのも、私が彼でも同じ瞬間に泣くし
もはや代わりに泣いてくれている
気にすらなってしまうというか
それくらい人の心情の変化、悲しみのスイッチを
描くのが上手い映画だと思います
人混みで自分にしか分からない
誰にも理由が分からない涙を流すのが印象的な、
優しく寄り添ってくれる作品でした
私ごとですがコロナ前はよくライブに行ったりしていました。
チケットって力があってその紙切れのおかげで
出不精な私でも計画を立てて時間を作って
移動して目的を果たすという行為までやれてしまう
強い力を持つ約束の紙切れだと思います
遺されたウィンブルドンのチケットでロンドンへ行き
アマンダは母親との思い出を
ダヴィッドは母親との確執を
共に昇華でき、姉であり母である彼女の
心残りは消えたのではないかと思います。
一寸先は闇…でも
人は生きていかなければならない。順風満帆、普通に生活していても、ある日突然、不幸が起きる。デヴィッドはテロによる銃撃で姉を亡くし、その娘アマンダの面倒を見ることに。負傷した恋人レナも田舎に帰ってしまった。アマンダも幼く、自分も若く生活に一杯一杯。何でこんなことになってしまったのだろう。。全てはテロのせいだが、人生は立ち止まれない。ラストシーン、ウィンブルドンでのテニスの試合において、一方が負けそうなゲーム展開となり、アマンダが今の自分たちの境遇に擬え、もうおしまいと泣くが、まだ始まったばかり、これからとデヴィッドが答えるところは感動的。過度にドラマチックにせず、台詞もそこそこに余韻で見せる作りに好感がもてた。デヴィッド、アマンダ、レナいずれの出演者も良かった。
Elvis has left the building
エンドロールの曲が「監獄ロック」をスローにしたような曲で、まさしくタイトルも「Elvis Has Left the Building」だった。母親サンドリーヌに教えてもらった言葉で「エルビスは建物を去ったよ」から「もう終わったよ。あきらめな」という意味になって、アメリカではよく使われるフレーズとなったようだ。
ダヴィッドが姉を失い、7歳になるアマンダが遺された。親権を巡っては裁判官の前で親族会議を開いて後見人選びをしなければならないとかややこしい現実。祖母にあたるアリソンはロンドンでダヴィッドとは疎遠だし、他に当てもない。施設に入れることも考えたが、やがてアマンダへの愛情も強くなり、2人の絆が深まっていく・・・
テロは何も生まない。悲しみを増やすだけだ。友人のアクセルだって負傷し、ピアノ教師である恋人レナも重傷を負った。レナに至っては右腕負傷なので、リハビリしてもピアノが弾けるかどうかわからない状態。レナは「私といたってつまらないでしょう?」と言い、ダヴィッドから身を引こうとまで考えていたのだ。
とにかくダヴィッドの悲しみは癒えないし、平静を装っていても突如号泣。アマンダにしても気強い態度を見せるが、母親のいないことに戸惑い、やはり泣き出す。彼らに希望はあるのか?とまで観ている者でさえ崖から突き落とされる心境になってしまうのです。何しろ24歳の僕と7歳のアマンダ。生活するだけでも大変なのに・・・
みんな泣きの演技が上手い上に、テロに晒されているフランスの状況も痛いほどわかる。世の中不条理だらけ。生前のサンドリーヌがモンスターペアレンツに訴えるぞ!と脅されたり、ホームレスがいたり、「搾取されてるのね」というレナの言葉からも庶民の生活が苦しい事情も伝わってくる。だからといって諦めちゃダメだ。ウィンブルドンの敗色濃厚な選手が徐々に点を積み重ねていく姿に希望を見た。
母を亡くした娘と姉を亡くした弟の再生物語
ダヴィッドがとてもいい青年でした。男尊女卑的でマッチョな思考の男とは程遠い、ナイーブな青年が私にはツボです。強がる人より、弱さを隠さず泣ける人がいい。一緒に歩むならば。
姪のアマンダを育てる姉は、ピクニックのために外で待ち合わせていたけれど、テロの犠牲となり、帰らぬ人になります。なのでダヴィッドはアマンダを育てることになります。
付き合い始めたばかりの彼女も姉と同じテロ攻撃で怪我をして、今まで通りのおつきあいや生活ができなくなりました。怪我した彼女役のステイシーマーティン、相変わらずかわいかったです。グッバイゴダールの主役の子。
残されたアマンダはおじさんにも去られるかもしれないというイメージが捨てられず苦しそう。
24歳で7歳のこどもを育てるって。おのれの24歳を振り返ると恐ろしすぎて気が遠くなる。
でもやるしかなくて、がんばる。そしてなんとかなってる2人が眩しい。
ラストあたりでダヴィッドとアマンダは、イギリスはウィンブルドンに旅行します。そして絶縁状態にあったダヴィッドの母(アマンダの祖母)に会います。深い溝はあるけど、終わってはない関係が、なんとも微笑ましく描かれていました。
あと、テニスの試合を見ていて、一方が負けそうになっているのを見ていてアマンダは悲しくなってしまい、泣き出してしまいます。でも負けそうな選手が盛り返したことで、アマンダは辛いことにも立ち向かえる、ひっくり返せるっていうイメージを得たのではないかと思いました。
泣けましたわ…ほんと。
アマンダがんばれ!ダヴィッドもがんばれ!と、泣きながら心で叫びました。
エルビスは建物をでた、という表現が姉が生きていた頃と死んでからと二回出てきたけど、ぼーっとしてたんでしょうね、わたし。よく理解できませんでした。
初夏のパリは爽やかだけど
久々のフランス映画。初夏のパリの光と風の中、仲良く自転車をこぐ姉と弟。映画の出だしはとても爽やか。田舎から出てきた女の子との恋の始まりも微笑ましい。
しかし、あまりに突然の悲劇で、姉は帰らぬ人となり、弟は未熟ながらも残された姪っ子の面倒を見ることに。
この設定だけで、観る前から感動作として大いに期待を高めていたが、リアルに丁寧に描いていることはわかるものの、あえて物語の節目となる場面を出さないことで、時間の経過や人間関係で、時々、あれ?と立ち止まってしまうことも。
どうしても気になったのは、姉と恋人、さらには友人まで同じテロの被害に遭うという設定。そもそも悲劇がテロでなければいけなかったのか、引っかかってしまう。(それだけテロを身近に感じていないからだろうが)
主人公、姪のアマンダをはじめ、恋人、姉、叔母など、役者さんはみんな素敵な顔、姿をしていて、そこはさすがフランス映画と感じた。
わかりづらいけど
テロで肉親を失った叔父と姪の話。
乗り越えるべきはその悲しみだけではなく、さらに複雑な親子関係が…って実はそこがわかりづらいと感じたのは、自分だけ?
アリソンって誰だっけ?とか。会うことに気乗りしないのはなぜ?とか。友人関係とか
学校でアマンダが叱られ、モードの家に泊まりたくないと言った時の理由がよくわからなかったし。
取材?を受けたシーンも…。理解力が足りないせい?
レナに手を出すのは…職業柄ギリギリオーケー?なんだかなぁ、という感じも。
レナとの再会ベッドシーンなど、もっと端折ってもよかったかも。
フランス映画、難しい。
とはいえ、やはり見所はややぽっちゃりのアマンダの可愛さでしょう。
最後のウィンブルドンでの表情には参りました。
とても良い映画
"Elvis has left the building"…「もう望み薄」とか「もう勝ち目は無い」という格言なそうな…。
人間誰しも人生崖っぷちに立たされた時、こんな事を思うかも知れない…
当然、7歳の子供だって、突然自分に降りかかった人生最大の危機に、そう思うのだ…安全基地が無くなってしまったのだから…。
この映画の見所は、正にラスト10分!
ウィブルドンの場面は、涙なしには観れません!アマンダが元気になって、本当に良かった!…と思える映画でした(笑)
*物語の進行は淡々としていて、大感動物語とはまたちと違うかな(笑)
最後のテニスの場面。
勝手な考察です。
最後のウィンブルドンの場面。
0-15、0-30、0-40と一方的な試合になりそうな
雰囲気であった試合が一転、40-40デュースまで
持ち越すところで映画が終わる。
それはまるで一瞬にして変わってしまった
ダヴィッドとアマンダの人生のように思えた。
抗えない大きな何かに押しつぶされそうになるが、
決して前向きばかりではなくとももがいて、補い合って
前進してようやくスタートラインに立った2人を
表しているのでは?とも思える象徴的な場面だと感じた。
エルヴィスは建物を出た
本当に悲しい出来事が
おきたとき、
人は感情がおいつかない
昔に納めた記憶の引き出しから
ひとつ、ふたつと
でてくる懐かしい思い出。
それと、今の気持ちが
一緒になったとき
溢れでる感情は制御できない。
もうおしまい
という、
比喩として教えてもらった
「プレスリーは建物を出た」という
言葉は
忘れられないフレーズですね。
日常の出来事に
自分のなりいきを
重ねてしまうのは、
よくあること。
テニスプレイヤーに
自分の閉塞感を感じ
もうおしまいと泣いてしまった
アマンダには
とても身近に感じられました。
はたから見れば、
訳がわからない涙も、
本人からすればひとつの
連続したエピソードの一部。
経験した人もいるんじゃないかな。
自分が泣くのも、
人が泣いているのも。
寄り添う事の意味を
じんわり味わえる作品でした。
皆んな、これからだ。
男女がプレーするテニスコート。枝を落とすデビッド。ちょっとした空き地にテントを張る移民。これが象徴的なスリーショットだっことに気付くのは無差別テロの惨状を写すシーン。TGVが遅れていなければ、そこに居たかも知れないデビッドは、恐怖と悲しさに立ち尽くします。
誰も恨まず。悲しさに沈む事も無く。少し立ち止まり、また歩き出す人達。
「まだ3ポイント失っただけだ」
そうだぞアマンダ。あなた未だ7歳でしょ。
「未だ終わってない。これからだ」
デビッドも24歳。まだまだヒヨッコ。これからじゃん。
地球は過去、少なくとも5回凍り付き、殆どの生命は絶滅したけれど、生物は生き残り、その度に復活して来た。姿形を変え、遺伝子レベルで進化し、新しい何かに生まれ変わって、新しい世界に生命を拡げて来た。
悲しみを乗り越えよう。試練は生まれ変わりの機会。だから、皆んな、これからだ。
良かった。とっても。
ツライ。
ある日突然訪れた悲劇と、その悲劇から逃げるわけにもいかず乗り越えるまでの陰鬱とした日々を淡々とこなしていく主人公と少女の物語。
鑑賞券が当たったので行きましたが、自分の人生のツライ時期が重なって激しく落ち込みました。当時私も逃げ出せるものなら逃げ出したかったし、それができない主人公の辛さが痛いほどわかって涙が止まりませんでした。個人的には早々に部屋を引き払って逃げだせた主人公の彼女が羨ましかったです。
結局生きることはリセットボタンがないので辛くてもやり直しは効かず痛みを抱えてそこに留まり残された人間で乗り越えるべく立て直すしかないんだなと感じました。見終わったあと疲れ果てました。
私個人としてはツライ事は現実でたくさんなので映画はくだらない笑えるものが好きだなあと改めて思いました。
みなさんやたら高評価ですが
エルビスの使い方はいいなぁと思ったけど、結局何が言いたいのかって、イスラム系のテロリストのことかなぁ、と。
お姉さんが突然亡くなる理由がテロである必要ってあるの?交通事故じゃダメなの?と、疑問が。
なんか全体的に薄味かも?
悲しみには勝てないけれど、デュースには持ち込める。
実親を亡くした子供を、子育ての経験の無い主人公がひょんなことから引き取ることになり・・・という映画は今までにも何度も観たことがある。でもその場合は、大抵「親権」を争うような展開になり、「家族の絆」というチープな解決法に収まってしまうことも少なくない(その中にも名作はあるが)。
私が「アマンダと僕」において好きだったのは、必ずしも「絆」がテーマなわけではなく、まして親権を奪い合うような醜い展開にもならず、近親者を失った人々のそれぞれの「喪失」とその向き合い方が丁寧に描かれていたところだ。
時に「明けない夜はない」とか「明日は必ず来る」と言うような慰めの言葉を聞くことがあるけれど、夜が明けて訪れる「明日」というのが無神経なほどに「日常」だと言うのは、この映画の登場人物たちにとってあまりにも皮肉だろうと思う。自分の心や肉体が日常を取り戻せない状況下で、時間だけが日常を取り戻していくのはきっと辛い。事件を境に人生が大きく変わってしまったのに、その次の瞬間からまた「日常」を生きなければならないなんて、どう考えても心が追い付いて行かない。でもそうやって毎日襲い掛かって来る「日常」と少しずつ折り合いをつけていく、その様子が非常に繊細に丁寧に描かれていてすごく好印象だった。そしてその先で、家族との関係が見直されるという風に展開できているのもすごく良かったと思った。ドラマティックな展開で家族が涙ながらに抱き合って大団円だとか、まさか『ダヴィッドとアマンダが一緒にいられればそれで幸せ』なんて浅はかな結論には絶対に流れていかないところが良い。
またこの映画はラストシーンが良かった。アマンダは作中で突然(他人からするとそう見える)泣き出すことが度々あった。ラストシーンもそうだった。他人には分からないスイッチで悲しみが溢れてしまうことがある。その悲しみは絶対に消えないのだなと思う。あの後、あのテニスの試合は逆転ならず終わったかもしれない。それでも「デュース」の声にささやかな希望を感じた。「勝つことが出来なくても、デュースには持ち込めるはずだよ」と言われているようで、それは「頑張れば勝てるよ」と言われるよりよっぽど慰めになる気がした。悲しみに打ち勝つことは難しいけれど、なんとか折り合いをつけてデュースには持ち込めるはずだと思えたら、それは紛れもなく希望だなと思った。
我が身に降りかかる不幸と、そして希望について。
この映画は、見たままに感じればいいと思う。
映画好きなら、損はしないでしょう。
別の観点から考察すると。
無差別テロは、日本ではあまり考えられなかったが、
実際、日本でも起こってしまった。
それも、なんらかの思想犯とかでもなく、
突然に起きた。
それとは別に、いきなり暴走する車にはねられたりしても。
突然、親しい誰かを失ってしまうという事件は、
テロだけでなく身近に存在するのは事実。
その確率は、かなり低いと言えども、決してゼロでは無い。
だからと言って、そんな不幸を考え続けて生活する事も不可能な話。そんな事してたら、精神的まいってしまう。
逆に、宝くじがいつか当たるぞ!って
夢ばかり見ている人もいない。
どっちにしても、文字通り宝くじが当たる確率。
実際、この映画の青年の様に、突然その状況になり、
どうすればいいか悩み、行動する事になる。
何が正解かも、わからない。
映画を、見た後ぐらい、自分自身が、もしこうなったらどうしようとか
考えておくのも、悪くないどころか、是非すべきだ!
自分なんか、だいぶ年寄りの親父がいて、いつか絶対に死ぬのわかってたのに、なんの準備もしないでいて、
(具体的な準備も、心の準備も)しかもひとりっ子で、アタフタしてしまった。
まあ、逆に忙しくて、悲しむ暇無くて良かったとも言えるけど、体力的にはキツかった。
日頃、多少鍛えていたから、良かったけども、今考えると
もうやりたくないぞ。
あと、カウンセラーに相談するって、フランスでは一般的なのかな?自分の近くでは全然聞かないけど。
安くて、気楽なら、是非相談してみたい事もあるけど、
どんなもんかな?
映画みて、人生の疑似体験して、楽しんでレビュー書いて、自分で答えを見つける方が、今は良いと思う。
テロで母を亡くしたアマンダを見守る彼の決断
自分の姉が、無差別テロの被害者となり、一人取り残される娘アマンダ。この映画の作品名から「アマンダと僕」ということは、テロで亡くした姉の弟の目線から姉の娘を見守る作品ということになる。僕→ダヴィットが、残されたアマンドとどう繋がっていくのかという過程を丁寧に描かれている。ダヴィットの自身は、優しそうなキャラクターであり、この映画は、ほのぼのとさせてくれる印象を与えてくれる。母を亡くしたアマンダ。今後、彼女をどうすればいい良いのかダヴィットを思案する。24歳の彼が、7歳のアマンダを養女として受けけいられる決心をするのか。ダヴィットは、躊躇なく受け入れるのか。そこまでの心情の変化を監督の描き方は良かった。ラストのウィンブルンドンの試合の途中にアマンダが突然に泣き出す。この場面について訳が判らなかったが、選手がどんどん点差をつけられた際、生前の母とプレスリーが熱狂的な人気があった時代のこと、一緒に音楽聞きながら踊ってくれたこと「未来にどんなことがあろうとも大丈夫であるという未来」を教えてくれた記憶が、一気に蘇ったというところで辻褄があった。フランスの雄大な自然と関わりあう人々の温かさが、作品を引き立てた。
アマンダの可愛らしさに尽きる良質の作品♪
予告編を観てから、気になって鑑賞しました。
で、感想はと言うと…良いですね♪
あったかくふんわりとした気持ちになれます。
ダヴィッドは姉のサンドリーヌと姪のアマンダと共に仲が良いが、ある日姉のサンドリーヌが公園で無差別テロの犠牲になり、アマンダは天涯孤独に。
24歳のダヴィッドはアマンダの親代わりとなるが、7歳の姪の親代わりになることの重荷と姉を亡くした悲しみに苦悩と葛藤をする。
だが、アマンダと共に暮らす日々にダヴィッドは自身の取るべき道を模索していく…
と言うのが大まかなあらすじだけど、これだけで良いお話の匂いがプンプンw
大勢の人達が集う場所で突然の無差別テロに遭うと言うのは、日本でも決して対岸の火事ではなく、昨今の事件を見ても、いつ起こってもおかしくない出来事。
大事な人を失うと言う悲しみ以外にも様々な選択と決断に迫られる。
いくら仲が良くても7歳の女の子を引き取ると言うのは容易な事ではないと思うし、不安以外の何物でもないと思うし、それ以上に同じ屋根の下で毎日過ごしたら、嫌な部分も見えてくるし、だからこそ可愛い姪であってもなかなか難しい。
この作品に出てくる登場人物って、みんな良い人ばかりなんですよね。ダヴィッドも姉のサンドリーヌも姪のアマンダも恋人のレナも叔母のモードも。
皆、優しい気持ちを持ってます。
特に7歳のアマンダが可愛らしい♪
天真爛漫でちょっとぽっちゃりw
叔父さんが大好きで、大好きなお母さんを亡くした事をなかなか受け止められない。
それは7歳の女の子なら、当たり前過ぎて、そんな現実は辛すぎる。
時には感情のままに爆発してしまう所もあるけど、相手を思いやる気持ちがあって、観ている側が“もっとわがままでよいのに”と思ったり。
7歳の母親を亡くしたばかりの女の子が感情を圧し殺しているのはなかなか来る物があります。
特にダヴィッドにわがままを言っても、ダヴィッドを思いやる気持ちが十二分に伝わってきて、わがままを言った後にダヴィッドに“良い夜を”と言葉をかける台詞は思わず目頭が熱くなります。
恋人のレナも可愛らしい。レナも公園でのテロに巻き込まれ、右腕に怪我を負ってしまい、田舎に帰りますが、ダヴィッドの熱意と優しさに惚れ直すのも良い。
ツッコミ所があるとすれば…アパートの管理人のダヴィッドが入居者のレナと結果的に恋人同士になるのは良いと良いとしても、入りたての入居者に管理人が手を出すのは如何なものかと、田舎に帰ったレナを追い掛けて、レナに改めて告白するのは良いとしても、その後のラブシーンは要るのかいな?w
パリの美しくお洒落な街並み。自然豊かな風景は観ていても心がなんか豊かなって、楽しくなります。
フランス映画って、お洒落な映画が多いイメージですが、変態的なカルト作品も結構あってw、フランス映画の表の顔 = お洒落映画。裏の顔 = 変態映画。と言うイメージがありましたがw、この作品は見事に表の顔を代表する様な作品ですw
アマンダの可愛らしさと登場人物の優しい気持ちとパリの風光明媚な風景。
とても良い作品を観た気持ちになれる作品ですので、未鑑賞の方には是非お薦めですよ♪
喪失と前進の物語
事件、事故、天災、病。突然に舞い降りて、命を、体を、人生を、奪い去ってゆくもの。
喪失したものが余りに大きすぎて、人々は呆然と立ち竦む。飲み込める筈もない塊を喉に詰まらせたまま、時は過ぎていき、学校に、仕事にと、日常に体を押し込めて、時折襲い来る哀しみに打ちひしがれる。
それでも、人と寄り添い、思い出を携え、少しずつ今を消化して、新しい生、新しい関係へと、喪失を抱えながら進んでいくのだろう。
喪失をもたらしたテロ事件そのものについては、殆ど詳細は追われない。ただ1つ、犯人とされたイスラム系住民や宗教に対する人々の感情について、示唆するシーンがある。追い求めるべきは憎しみや諍いでなく、大切な人と当たり前に過ごせる日常だという、作り手の思いが感じられる。
姉、恋人、友人。周囲の人々を突然襲った悲劇に打ちのめされ、心を痛め、それによって変わってしまった自らの人生に動揺し、慟哭する。
登場人物の感情描写がリアルだ。
事件後、彼らの関係が変わる大きな出来事、例えば、アマンダの危機をダヴィッドが颯爽と救って一手に信頼を得るというような、劇的な展開は一切起こらない。ただひたすら、フランスの街角と人々の日常を、カメラは写していく。
その中で、喪失を体験した彼らの、共に寄り添い過ごす時間が、交わす言葉が、ゆっくりと変化をもたらしていく。
アマンダの生命力に励まされ、徐々に父性を育てていくダヴィッド。母の思い出を共に抱きながら、ダヴィッドとの生活を受け入れていくアマンダ。自らの喪失が大きすぎて、二人に寄り添えず離れたレナは、今は離れても想いを繋げる未来を模索し、アリソンは20年の疎遠を乗り越えて、家族の絆を少しずつ手繰り寄せようとする。
「時間ならたくさんある」「あなた達の助けになりたいの」「諦めちゃだめだ、まだ終わりじゃない」
確かに希望を感じさせながら、けれども何処かに不安を内包し、事件以前と同じ穏やかな公園と人々の風景と共に、フランス映画らしく淡々と物語の幕は降りていく。
アマンダの、涙でくしゃくしゃながら満面の笑顔に、彼らにも、我らにも、全ての人々にも、どうか良き未来を…と、祈らずに居られない。
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