「ダヴィッドの背後に映る人たち」アマンダと僕 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
ダヴィッドの背後に映る人たち
メインストーリーは主人公ダヴィッドとアマンダの再生がテーマだ。
しかし背景のように多くのことを映し出し、良く言えば深みが、悪く言えば蛇足が、付与されている。
アマンダの母はシングルマザー、ダヴィッドは安定した収入のない若者。少し不幸で少し幸せ。ダヴィッドの恋人となるレナも似たような状況だ。
公園の木の手入れをするダヴィッドの背後で恐らく貧困層の人が暮らすテントが映る。そのすぐ横では富裕層と思われる人がテニスに興じる。
シングルマザー、定職のない若者、貧富の差。今のフランスとそこに暮らす人々を描いているといえる。よくも悪くも普通の日常だ。
そこへ無差別テロが起こる。テロの恐怖というものもフランスの日常に組み込まれたかのようだ。
事件のあとでは、被害に遭い亡くなった人の家族、怪我をして体と心が傷付いた人などが描かれる。テロ被害に対する対応や心の再生。
一方で、さりげなく画面に映り込むムスリムらしき人々で、テロはムスリム全体の責任ではないとさりげなくバランスをとっているのもニクい。
ダヴィッドと誰かとの距離感は自転車の並走という形で描かれる。とても良いシーンだし印象にも残るが、関係性を強調するには少々パンチ不足だ。
そしてエンディング。物語の始まりとメインテーマを考えれば妥当な終わり方と言えるわけだが、何だか急にシメられたような感覚になった。
フランスとそこに暮らす人々の今と、テロについて、そしてアマンダとダヴィッドの関係性、それぞれは良く描かれているしパーツとしては申し分ないのだが、どうにも親和性に欠けバラバラだ。
だからエンディングが急に来たような感覚になる。
本来ならばアマンダとダヴィッドが再生していく過程が描かれるべきだと思うが、それは少なく、オープニングとエンディングの間で何を観ていたのか分からなくなる。
優しく良い作品だったので満足度的に星4つにするが、終わって「で?何が言いたかったのだ?」という気持ちにはなった。
フランス映画でたまにある「今の自分たちを見てくれ」のような作品だったのかもしれない。