「悲しみには勝てないけれど、デュースには持ち込める。」アマンダと僕 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
悲しみには勝てないけれど、デュースには持ち込める。
実親を亡くした子供を、子育ての経験の無い主人公がひょんなことから引き取ることになり・・・という映画は今までにも何度も観たことがある。でもその場合は、大抵「親権」を争うような展開になり、「家族の絆」というチープな解決法に収まってしまうことも少なくない(その中にも名作はあるが)。
私が「アマンダと僕」において好きだったのは、必ずしも「絆」がテーマなわけではなく、まして親権を奪い合うような醜い展開にもならず、近親者を失った人々のそれぞれの「喪失」とその向き合い方が丁寧に描かれていたところだ。
時に「明けない夜はない」とか「明日は必ず来る」と言うような慰めの言葉を聞くことがあるけれど、夜が明けて訪れる「明日」というのが無神経なほどに「日常」だと言うのは、この映画の登場人物たちにとってあまりにも皮肉だろうと思う。自分の心や肉体が日常を取り戻せない状況下で、時間だけが日常を取り戻していくのはきっと辛い。事件を境に人生が大きく変わってしまったのに、その次の瞬間からまた「日常」を生きなければならないなんて、どう考えても心が追い付いて行かない。でもそうやって毎日襲い掛かって来る「日常」と少しずつ折り合いをつけていく、その様子が非常に繊細に丁寧に描かれていてすごく好印象だった。そしてその先で、家族との関係が見直されるという風に展開できているのもすごく良かったと思った。ドラマティックな展開で家族が涙ながらに抱き合って大団円だとか、まさか『ダヴィッドとアマンダが一緒にいられればそれで幸せ』なんて浅はかな結論には絶対に流れていかないところが良い。
またこの映画はラストシーンが良かった。アマンダは作中で突然(他人からするとそう見える)泣き出すことが度々あった。ラストシーンもそうだった。他人には分からないスイッチで悲しみが溢れてしまうことがある。その悲しみは絶対に消えないのだなと思う。あの後、あのテニスの試合は逆転ならず終わったかもしれない。それでも「デュース」の声にささやかな希望を感じた。「勝つことが出来なくても、デュースには持ち込めるはずだよ」と言われているようで、それは「頑張れば勝てるよ」と言われるよりよっぽど慰めになる気がした。悲しみに打ち勝つことは難しいけれど、なんとか折り合いをつけてデュースには持ち込めるはずだと思えたら、それは紛れもなく希望だなと思った。