「喪失と前進の物語」アマンダと僕 しずるさんの映画レビュー(感想・評価)
喪失と前進の物語
事件、事故、天災、病。突然に舞い降りて、命を、体を、人生を、奪い去ってゆくもの。
喪失したものが余りに大きすぎて、人々は呆然と立ち竦む。飲み込める筈もない塊を喉に詰まらせたまま、時は過ぎていき、学校に、仕事にと、日常に体を押し込めて、時折襲い来る哀しみに打ちひしがれる。
それでも、人と寄り添い、思い出を携え、少しずつ今を消化して、新しい生、新しい関係へと、喪失を抱えながら進んでいくのだろう。
喪失をもたらしたテロ事件そのものについては、殆ど詳細は追われない。ただ1つ、犯人とされたイスラム系住民や宗教に対する人々の感情について、示唆するシーンがある。追い求めるべきは憎しみや諍いでなく、大切な人と当たり前に過ごせる日常だという、作り手の思いが感じられる。
姉、恋人、友人。周囲の人々を突然襲った悲劇に打ちのめされ、心を痛め、それによって変わってしまった自らの人生に動揺し、慟哭する。
登場人物の感情描写がリアルだ。
事件後、彼らの関係が変わる大きな出来事、例えば、アマンダの危機をダヴィッドが颯爽と救って一手に信頼を得るというような、劇的な展開は一切起こらない。ただひたすら、フランスの街角と人々の日常を、カメラは写していく。
その中で、喪失を体験した彼らの、共に寄り添い過ごす時間が、交わす言葉が、ゆっくりと変化をもたらしていく。
アマンダの生命力に励まされ、徐々に父性を育てていくダヴィッド。母の思い出を共に抱きながら、ダヴィッドとの生活を受け入れていくアマンダ。自らの喪失が大きすぎて、二人に寄り添えず離れたレナは、今は離れても想いを繋げる未来を模索し、アリソンは20年の疎遠を乗り越えて、家族の絆を少しずつ手繰り寄せようとする。
「時間ならたくさんある」「あなた達の助けになりたいの」「諦めちゃだめだ、まだ終わりじゃない」
確かに希望を感じさせながら、けれども何処かに不安を内包し、事件以前と同じ穏やかな公園と人々の風景と共に、フランス映画らしく淡々と物語の幕は降りていく。
アマンダの、涙でくしゃくしゃながら満面の笑顔に、彼らにも、我らにも、全ての人々にも、どうか良き未来を…と、祈らずに居られない。