「悲しみを受け入れること、前進すること」アマンダと僕 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
悲しみを受け入れること、前進すること
突然、母親を亡くしたアマンダは泣くことさえ出来ない。
喪失感が、到底、自分の理解の及ばないものだからだろうか。
しかし、ダビッドや、ダビッドの友人や、親族との交流を通して、喪失感や悲しみを少しずつ心に受け入れ始める。
ダビッドも、アマンダとの生活のあれやこれやを乗り越えながら、それまで苦手だった人との交流や、好きな人への告白、避けていた別れて暮らす母親との再会など成長する姿を見せていく。
テロは大切な人の命を奪い、大切な人を傷つけた。
しかし、この作品には、テロに対する憎しみを表す部分はない。
その代わり、残された人達が、悲劇を乗り越え、そして、助け合いながら、励まし合いながらも生きて行く姿を、特定の登場人物に寄りすぎず、離れ過ぎず、ある意味、心地良い、適当な距離感で撮っているように感じる。
悲劇に遭遇した人に対するフランス社会の距離感が、援助しながらも、介入し過ぎないという感じに近いものなのだろうか。
また、テロに対するアプローチについても、テロの遺族の悲しみや怒りは計り知れないと分かりつつも、憎悪の連鎖の結末は、決して幸福なものではないのだというメッセージも込めたものなのだろうか。
ウィンブルドン・センターコートの試合を見つめるアマンダの表情は心を揺さぶる。
「エルビスは建物を出たのよ。もう終わりよ!」と涙を流すアマンダに対し、センターコートのプレーヤーは試合を自分の側に引き戻し、逆転してみせた。
「ほら、終わってないじゃないか」
そう、終わってなんかない。
アマンダには、成長したダビッドも、レナも、モードも、アクセルも、そしてアリソンもいるじゃないか。
そして、大袈裟だが、世界にも、まだまだ平和や、平等を希求し、助け合い、前進しようとする人が多くいるとアマンダに伝えたい。
今晩は。
大変ご無沙汰をしております。
”世界にも、まだまだ平和や、平等を希求し、助け合い、前進しようとする人が多くいるとアマンダに伝えたい。・・”
当時は”変わらず沁みる言葉を書かれる方だなあ”と拝読しましたが、
現況を鑑みると、”助け合い、前進しようとする”全ての最前線で医療に従事している方々””の姿勢に平伏するとともに、感謝と敬意の念を禁じえない”と読み替えてしまいます。
僅かながらですが支援をしている積りですし、ミニシアター支援もしていますが、プライオリティを考えると正に体を張って医療に従事している方々への比重が多くなってしまいます・・。
長くなりました。では、又。
ワンコさんへ
コメント、ありがとうございました! 一瞬、何のこっちゃ?でしたけどw
色んな立場の方がおられますから、荒れるんでしょうね。ただ、空母・慰安婦・ジャーナリズムほどでは無いかと。私も「アルキメデス」は観ますが、浜辺美波にフォーカスして感想文を書く予定w