「福田よ、そこに愛はあるんか?」ヲタクに恋は難しい 堕落論さんの映画レビュー(感想・評価)
福田よ、そこに愛はあるんか?
福田組嫌いじゃなかったよ。今まで笑える物語をありがとう(過去形)
評価のポイントは下記をみていただければ。
・福田脚本・福田組☆-1
観賞前に原作既読しました。読んで、
「この原作を映画化するのであれば、大きく改変する必要はあるだろう」とは理解し、予想はしていました。
理由は、
・オタクの日常の短編の寄せ集めであること。
・主役のカップル成立や結婚、または別れなどの終盤を飾る山場がない。
・登場人物と場面展開が少ない。
・一話目でオタク同士カップル成立している。
です。
なので、カップル成立を後ろの方に持ってきて、最初に幼なじみエピソードと、元カレエピソードを挟むなどになるのだろうと思ってました。(例えば映画キングダムの冒頭の将軍のシーンなど)
ところが蓋を開けてみれば、福田組フルスロットルな脚本でした。
原作の予定調和<福田組の予定調和。
恋愛映画の予定調和<福田組の予定調和。
ミュージカルの予定調和<福田組の予定調和。
コメディの予定調和<福田組の予定調和。
福田監督作品は必ず「今から、僕たちのショーが始まるよ」シーンがある(偏見)のですが、
冒頭の佐藤二朗のセミナーコントには、げんなりしました。
他にもピー音、ムロタイム、賀来賢人タイム、変顔などの予定調和的なアクシデントがあります。セミナーコントで真顔になった方は、ゲームでいうところのスキップ出来ないイベントと捉えて諦観することをお勧めします。
・原作やテーマへのリスペクト☆-1
そもそもこの原作が共感を得ているのは、
オタクに恋は難しいけど、自分がオタクだということを理解して、あるがままを受け止めてくれる相手がいる。そんな夢みたいな日常を描いている部分だと思うんです。
こんな恋人や同僚がいたらいいなと思いながら楽しんでらっしゃる人には、酷な映画化だと感じました。
私自身、今後、この作品の脚本・製作・プロデューサーの映画は構えてしまいます。
・ミュージカルの挿入☆-1
ミュージックカルの歌唱シーンとは、
レミゼラブル然り、ララランド然り、
登場人物の心情の吐露だと私は思います。
和製ララランドにしたいなら、オタク要素はそのシーンに凝縮してしまい、他のドラマパートはオタクパワーは抑えるなどのメリハリがないとつまらないです。
ララランドの終盤でエマストーンのオーディションでの歌唱が胸を動かすのは何故でしょうか。何故それをインスパイアし、この映画というフォーマットに落とし込まない。パクるとは本来そういうものだと思うのです。
この映画のミュージカル要素は、スタッフの技術の浪費でしかない。ただの尺調整でした。
・人物像の改変☆-1
成海は、オタクである自分とオタクでない自分を上手く切り替えて生きている人物です。
そんな人は公の場で歌ったり踊ったりしません。ミュージカル部分が妄想という設定だったとしても、渋谷や帰路でオタクである自分を表現するという演出自体、ベクトルが違うと思います。彼女は甘え上手で人たらしな貧乳です。全てのキャラクターが改変されてます。漫画から実写になるので改変は必要ですが、原作自体キャラクターものなので、その原作ファンというマスを納得させる程度の改変に留めておくべきだったと思います。
・脚本・製作・プロデューサー以外のスタッフ☆+1
彼らの雇用を創出したこと。
結論
「福田監督は映画界のラーメン二郎。観賞する前にそれを脳に叩き込んでから見よう。」