「Dignity Always Prevails. 千里の道も一歩から」グリーンブック movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
Dignity Always Prevails. 千里の道も一歩から
黒人非差別を謳うような所謂なかつての作品とは、エピソードは似たり寄ったり。構図だけが逆。ミスデイジーのように、今までは、教養もお金もあるのが白人、差別されても忍耐があるのが黒人の構図だった。
本作は、教養もある豊かな黒人男性に、白人運転手がつかえる。日本人だと、アメリカの過去の歴史を知っているからその違和感に気付くだけで、それが快でも不快でもないが、本作のフライヤーも作中も、その写真を前面的に使っていて、アメリカの一般人からすればパッと見ただけで目を引く関係性なのだとわかる。例えば、犬が人を散歩させている写真くらいの違和感なのだろう。
でも、今作のその構図すらも、白人が作っているのならとてもシラけるが、実話に基づいていることで、入り込める。
仕事を求め何者を相手にする運転手の仕事かもわからず面談に行ったイタリア系アメリカ人のトニーが、雇い主となる黒人系のドクターシャーリーに出会う。ドクターシャーリーは実は他分野で博士号を沢山持つピアニストで、まだまだ黒人差別の残る時代にニューヨークからアメリカ南部を回る演奏旅行に出る。そのガードマンや運転手を兼ねた、トニーの仕事。
普通ならば、まっぴらごめんなのだろうが、トニー自身が白人と言えどもイタリア系で、黒人ほどではないにしても生粋の白人からは差別される対象でもあり、職業や経済的な水準も移民層にあたるから、お金のためにも不本意ながら引き受ける事になる。
黒人差別かと思いきや、白人内での差別も含まれていて、トニーがドクに理解を示せるのは同じ被差別の立場を味わっているものとして当然でもあるのだが、それでも、最初はイタリア系も黒人系には家に入る事さえ快く思わないほど。それが、お互いの境遇を理解し合い、傷の舐め合いに至り、深い友情と信頼関係を築き上げる話でもある。
正直、多様性をアピールしながらも、いまだに何かにつけて暗黙の序列を決めたがる白人は、一対一なら良くてもメジャーな価値観は本当に不愉快。今作を見て、先人達がしてした過去に落ち込むどころか、拍手して賞を授けようとするのは、作中で黒人音楽を理解するアピールのためにアーティストを呼ぶが、黒人そのものにはされたら嫌な態度でも平気で取る文化を当然とする姿勢と、現代もなんら変わらなく思える。
でも、口は悪いがハッタリと機転はきくトニーと、才能とお金はあるが性的マイノリティのハンディと寂しさを抱えたドクターシャーリーことドクの関係性は最強のふたりそのもので、見ていて面白さはある。
ドクはその時代にどこで育ったんだと不可思議に思うほど、言葉も綺麗で教養があり男性ながらお淑やか。
でもドクがそう振る舞う理由は、どこに行っても差別される黒人だからこそ、たとえ暴力に訴えても国全体が白人有利であり通らない。勝つための唯一の手段が品位で勝ることと考えているから。だから、何があっても態度を崩さないのだ。白人社会の中でも被差別地位に当たるイタリア系移民のトニーはカッとなったら手が出てしまうタイプだが、ドクがそれを諭し、マナーや文語を教え、繊細な速弾きをするドクは一見無敵。
ところが、ドクには疎遠になった兄しか家族がおらず、ドク自身はゲイ。それゆえいつもどこか孤独を顔に浮かべていて、1日にウイスキーを一本空けるほど飲んでしまう。黒人という理由で括られがちだが、奴隷のようにされる黒人達と、モーニングを着てピアノ弾きをするドクの立ち位置は差別を受けていてもまた少し社会的立ち位置が異なり、でも白人にも混ざれず、更にゲイでもあるドクには混ざれるコミュニティもないのだった。
なんでも口に出しストレートで配慮がない表現もするトニーとは真逆のドクだったが、お互いへの理解が進むうちに、「嫌だったら口に出せよ。寂しい時は自分から先に手を打て。」と言ったトニーの言葉を胸に、ツアーを終え、ニューヨークに帰宅し家でひとりぼっちになったクリスマスの夜、ドクはトニーの家のファミリーディナーに訪ねてくる。一対一では親しくなっても、公の場では疎外されるのが常識なのに、クリスマスに白人家庭を訪ねたらどうなるのか、想像に容易いからドクは一度は断った。どれだけの勇気を持って、壁を乗り越えるために訪ねてきたのか。そして、元々差別意識の薄いトニーの妻は温かく迎えるが、ドクに「素敵な手紙をありがとう」と言うところから、表面的な態度ではなく、心からドクそのものを歓迎しているとわかる。
本当だ。品位こそが唯一の方法であり、どんなに傷付いても品位しか見方を変えて貰える方法はないのだと実感する。そして、それでも貫いてきたドクがやっと、ひと家庭を変えることができた瞬間を見られて、見ていても嬉しさがこみあげると共に、それほどまで地道で長い道のりなのだと実感する。
差別に抵抗せず品位を保てど、人間なのだから毎回傷つく。それでも常に耐えて、態度を崩さない忍耐力は尊敬を超えるのだが、吐き出す場を持てていなかったドクにとって、トニーと知り合えたことは一生の財産だろう。
最初はトニーの周りも、自身たちもイタリア系でありながら、黒人をニガーニガーと呼び、汚らわしいかのように扱い、黒人が家に来たりなにかを触るのも良い顔をしないような、差別意識が当たり前に染み込んだ人達しかいなかった。
教養とは無縁だったトニーが、国内トップクラスのピアニストの音を知る機会を得て、更に価値観まで正してくれるドクと知り合えたのもまた大きな財産。クリスマスに、ドクがいない場面でも、帰宅したトニーは「ニガーはよせ」と言えている。作中、知らなかった田舎の風景の自然に癒されて「なんでも見てみるもんだな」と妻に手紙を書くトニー。その通りである。
最初こそドクに財布を取られないか警戒したりするトニーだったが、お給料のためもあるが何よりドクのために、ドクを守ってくれるトニーがドクはきっととても頼もしかっただろう。
家族持ちで家族を愛しているトニーはクリスマスに間に合うように家に帰りたい、その希望を叶えるため、豪雪の中運転を進めて眠くなったトニーの代わりに、最後にはドクが自らハンドルを握って運転し、トニーは後部座席で安心して眠る。
でも、劇中、お互いの価値観に相違はあるが、どちらも必要な場面が多数ありピンチを切り抜けていくのは見ていて楽しい。
・飲んだくれたドクをバーに迎えに行き喧嘩をふっかけられるが、ハッタリで銃を所持と思わせて事なきを得る。暴力で勝負するなと話したドクにトニーも理解をしていたが、現金を奪うために強盗されそうだった場面では拳銃のおかげで助かる。
まさか本当に拳銃所持だったとは。ハッタリで後ろのポケットに手を入れていた時は、実はポケットにあるのは黒人専用ホテルが記載されたグリーンブックだったりして笑、などと思っていたのに。
・嘘や買収を嫌うドクだが、ゲイとして警察に捕まったドクをトニーが迎えに行き、トニーが警察を話術で買収し揉み消してもらう。
・差別発言にカッときたトニーが警察を殴り、ドクもトニーも警察に収容されるが、不本意ながら普段は口聞きなど好まないドクが人脈を利用し大統領からトップダウンで警察に電話が行き、解放して貰う。
・立ち寄った土産物店で売り場から離れて地面に落ちていた緑の石、翡翠を落ちているしラッキーとトニーが盗み、ドクが断固譲らず戻しに行くが、最後にはドクがお守りがわりに翡翠を車のフロントガラスに置こうと言い出す。
・作中何度も警察沙汰になり白人が善悪まで取り仕切り黒人というだけであらぬ事でも悪いとされる場面を何度も見てきて、クリスマスに運転中もまた警察に車を止められる。トニーもドクも見ているこちらも「あぁまたか面倒な事になる」と思ったところで、「タイヤがパンクしていませんか?」と親切心とわかる。度重なる差別に憤ってきながらも、逆に白人を決めつけた自分を自覚し、思い込みは良くないと思わされる場面。
など。
産まれた時にはマイケルジャクソンがいて、60年代70年代の黒人音楽も好きで育った私は元々有色人種だし、白でも黒でも黄色でも、同じ人間同士にしか見えない。
本来ならただの、ピアニストと運転手の友情の話で、経済的な水準を信頼関係が乗り越えただけの話なのだが、人種差別という文化が背景にあるから一本の映画になり賞まで取るほど大きな話になる。それほどまでに根深い、差別の社会問題。
肌の色が違うから人間扱いしないという見方には理解に苦しむ。肌が黒いから動物とみなし、奴隷にする目的で黒人をアフリカから買ってきて、裸で鎖に繋いで船で輸送し、やりたくない仕事はなんでも押し付け、感謝どころかゴキブリかのように扱ってきた心境が未だ本当に理解できない。たとえ百歩譲って別の生き物かのように見えたとしても、顔を見れば感情があることくらいわかるだろう。嫌がることをさせて心が痛まない人達が大量にいる白人社会は理解に苦しむ。
同じ白人の中でも、ブランド青目は良し、アイルランド系イタリア系オランダ系など移民は下、ユダヤ系は嫌い、イギリスとアメリカは馬鹿にし合うなど、排他しそれも猿扱いするようなジョークを当然としていた過去の価値観は現代でもそう簡単には覆っていない。価値観が遅れていると思われないよう保身目的で、態度に出さなくなっただけ。奴隷はやめても、基本的に共和党は白人に優しいし、社会的な水準をひっくり返せている移民層が少ないことからも根深い。
理由なく長年ずっとずっと差別されてきた側も、白人からなにか指摘されると素直に受け取れず、根底に差別があるからではないかと白人を見てしまう逆差別の意識が芽生えてしまうのも仕方がないかなと思う。
トニーが俺はイタリア系だけど、全員ピザやパスタが好きだと思われてもいちいちなんとも思わないよと話す場面で、傷つき方は人によるかなと思うが、やはり揉め事でイタリア系をハーフニグロと罵られると、トニーも手が出る。
白人だって、白人だから人の気持ちがわからないんでしょと言われたら嫌なはず。
血の系統で、体格毛質や運動や音楽の才能はある程度分類できたりするが、人種に限らず誰と接する時も、「どうせ〇〇なんだから」と決めつけてはいけないし、決めつけられすぎて、「どうせ自分は〇〇だから」と理解されることを諦めてもいけない。
それを理解して、ずっと差別にも孤独にもひとりで耐えてきたドクが、終始品位のある佇まいは維持しながらも、自分から人の輪に入れていくようになる変化を、ライトゥーミーで刑事役、ハウスオブカードではフロントマンを務めていたマハーシャラアリが演じている。堂々としていてしなやかで、とても素敵。フライドチキンを初めて食べる場面でも、風呂上がりにクリームかなにかを塗る場面でも、ピアニスト役でも納得の細くすっとした綺麗な手がとても印象的。
「素敵な手紙をありがとう」と迎えるトニーの妻ドロリスに、満面の笑みで応えるラストシーンが大好きな作品。笑っていた方がさらに素敵。