2018年フランスの作品
スティーブンキング作品の「ミスト」とは違う。
この作品の細かな部分に粗があるのは間違いないが、全体的に見ればこの作品はこの世界そのものを強く風刺していると思われる。
特に最後のオチは、健常者と病気とを逆転させている。
謎の霧 健常者にとっての有害は、免疫不全症の病気にとっては安全な状態を作る。
解説にはサバイバルスリラーとあるが、このオチから考えるとウィットが効いたホラー、またはフランス人が好むブラックユーモアだろう。
この作品をブラックユーモアと捉えると、設定上の矛盾点は、健常者でごく一般的な登場人物たちの思考は、そもそも間違っていることを示唆する。
マシュー サラの父
彼はまずミストを見て逃げた。
当然人々が逃げまどっている。
砂嵐に巻き込まれればマズいというのは当然だろう。
しかし、「吸ってはいけない」という判断に至る明確な理由が欲しかった。
彼はミストを吸って倒れる人を見たわけではないからだ。
そうして最上階の老夫婦宅に一時避難した。
そうなると、娘をどのように助けるかが焦点となる。
高台に住む同じ病気の仲間と一緒に過ごさせようと考えたが、軍関係者たちとの接触で、たった2つしか呼吸器をもらわなかったのと、彼らの誘導に従わなかったのは疑問として残る。
彼と妻のアナは、娘を移動させるためのスーツを取りに行くのを最優先事項にする。
この思考 これが一般的なフランス人の考えることなのだろうか?
その他多数おかしな箇所があったのは、その健常者とか一般的という概念そのものに「意義」を唱えているのがこの作品かもしれないと思った。
力尽きて妻が死んだにもかかわらず、遺体をミストの中に放置
その間違った思考と優先順位によってほぼ力尽きた時、ミストの中で平気でいられる娘と友達を見る。
「そこ」に最初から問題などなかったというのは、「青い鳥」と同じ型で、非常に面白い。
そして「問題」になったのが、「現代」そのものだったというオチ。
それを見せるための主人公らの思考と行動
「自分だけ」助かるために警官がしたこと
目的のために他人の備品を盗む考え
生きるための選択すべてが、どこか間違っているというのをこの作品は指摘しているのかもしれない。
それを押し付けることなく考えさせる手法は、中々スマートだと思う。
ミストの中でも元気だった子犬は、おそらく病気で瀕死だったのだろう。
ミストを吸ったことで元気になったと考える。
また、狂犬のような犬は、現代社会の異常性を象徴するためだけに登場させているように思った。
あの狂犬が襲ったのは、現代人の思考に対してだったのではないどうろうか?
そして、
この作品の最も象徴的なアイデアは「空気=命」ではなく、「空気=死」という逆転。
通常、呼吸できることは生存の前提ですが、この映画ではそれが健常者にとっての毒となり、免疫不全の娘にとっては安全な環境となる。
これは、現代社会が前提としている「健康」「正常」「安全」といった概念が、環境の変化によって簡単に覆されることを示唆している。
この逆転は、単なるSF的アイデアではなく、社会的な価値観の相対性を突いている。
つまり、「健常者が正しい」「病気の人は弱い」という構図が、環境の変化によって無効化されるということだ。
表面上、この作品には矛盾がある。
その矛盾こそ、現代社会の矛盾を表現している。
それらの矛盾などが、最後マチューと共に入れられるのだ。
この作品は、緻密に計算されたブラックユーモアに間違いないと思う。