劇場公開日 2019年5月31日

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「優しさが溢れる佳作」長いお別れ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0優しさが溢れる佳作

2019年6月11日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

幸せ

 山﨑努は宮本信子主演の1985年の映画「タンポポ」で安岡力也と殴り合いの喧嘩を力一杯演じていたのが遠い昔になった。伊丹十三監督の妹の夫の大江健三郎がノーベル賞を受賞したのが1994年で、伊丹十三が亡くなったのが1997年。一方山﨑努は映画に出続けて、たくさんの役をこなしてきた。今回はとうとう痴呆の老人の役である。
 痴呆症を扱った映画で当方が鑑賞したのは、ひとつはジュリアン・ムーア主演の「アリスのままで」である。現役の大学教授が若年性アルツハイマー病を突然発症した設定で、アルツハイマー病の遺伝子の問題もあり、家族それぞれが苦悩する話である。
 もうひとつは升毅主演の「八重子のハミング」である。こちらは介護の現場を生々しく表現した作品で、妻の若年性アルツハイマー病とどのように向き合ったかを夫が講演会で話し、都度思い出のシーンが挿入される構成だった。升毅と高橋洋子の演技が凄くて多くの人が感動したと思う。

 中野量太監督は前作の「湯を沸かすほどの熱い愛」でも家族愛を描いたが、本作でも同じように家族愛を描く。そして前作では死んでいく人間の覚悟を描いたが、本作では死んでいく人を見守る家族を描いた。要するに家族愛と死がこの監督の大きなテーマなのだ。
 どのように生きるかは、どのように死ぬかとほぼ同じことである。生は死を内包するが、人は生きているうちに死を経験することはできない。死の認識はどこまでも介在的で、他人の死を見て自分の死を想定するしかないのである。
 死は恐ろしい。大抵の未知のものは恐ろしいが、死は凄絶な痛みを伴うように思えて、先ずそれが恐ろしい。明日食べようと冷蔵庫に入れたスイーツを食べないまま死ぬのも口惜しい。予約した芝居やコンサートに行けないのも残念だ。大きなプロジェクトの途中だったのに完成を見ないで死ぬのは心残りである。死が恐ろしいのは恐怖だけでなく、生への執着があるからなのだ。死は生のすべてを奪う。死の恐怖と不安、そして生への執着は人間の根源的な不幸である。恐怖と不安は幸福な悟りの境地である涅槃の対極にあるのだ。
 人間は恐れ慄きながら死ぬ場合もあるが、歳を取って死と自然に向き合いながら、それを迎え入れるように死ぬ場合がある。人がボケるのは死の恐怖と生への執着から解放されるためかもしれない。山﨑努が演じた本作品の主人公はとてもいい表情をしている。そこには恐怖も不安もない。生への執着もない。そういう状態になればもういつ死んでもいいのだ。
 樹木希林さんが生前、しばらく絶食していてだんだん食べ物に対する欲求が消えていくと今なら死ねると思ったという話をしていた。食欲は生きるための基本的な欲求だから、それがなくなるということは死んでもいい準備ができたということなのかもしれない。ボケた老人は菩提薩埵よりも仏に近いのだ。

 作品は中野監督らしくほのぼのとして泣ける話である。心に残るいいシーンがたくさんある映画で、ローレライのメロディで回るメリーゴーランドに乗るお父さんと、それを見上げて声をかけながら手を振るお母さんと娘たちのシーンはとても印象的だった。それに特急列車で長年連れ添っている愛妻に改めてプロポーズするシーンは、松原智恵子の名演もあって胸に染みた。家族の優しさが溢れる佳作である。

耶馬英彦
耶馬英彦さんのコメント
2019年6月14日

kossykossyさん
 コメントありがとうございます。
 ある程度以上の年齢になると、自分も将来ボケるのではないかと不安になりますね。人間は不安と恐怖を抱えながら生きていくものです。ボケの不安もそのひとつですが、いま私が気になっているのは高齢になって自殺する人々のことです。自殺は必ずしも不幸ではありません。しかし死は恐怖だ。その恐怖を乗り越えて自殺を選んだ内面を、映画で観てみたいと思っています。

耶馬英彦
kossyさんのコメント
2019年6月12日

「ボケて死ぬのは一番幸せ」だと誰かが言ってました。
死の恐怖もなくなり、思い残すこともない。
ただただ周りの人たちが苦労するだけで、
本人にとっては幸せなんだと・・・

多分ボケる前が一番怖いんだと思います。
きれいな素敵な思い出まで消えちゃうんですからね~

kossy