長いお別れのレビュー・感想・評価
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中野監督はまたも家族映画の傑作を我々に届けてくれた
認知症を患った父との7年間の日々、と書くと、介護日記のようなものと思われるかもしれない。私の印象も最初はそうだった。しかしいざ幕が上がると、そこにはむしろ「私たちの物語」が映し出されていたように思う。描かれるのは7年間だが、ある意味、昭和、平成を超えて新たな時代へと向かおうとする私たちの誰しもに通底するクロニクルが、そこには刻まれていたのではないか。
過ぎ行く季節の中で、忘れてしまうこと、俄かに思い出されること、手では掴めずとも残り香のようになって留まり続けるものもあるかもしれない。私たちはその全てを抱きしめながら、この時を歩んでいく。
鑑賞中、あらゆるシーンと登場人物が愛おしてたまらなくなった。生きること、生きていてくれることが尊く思えるようになった。おそらく俳優陣のとびきりの笑顔と、決して光を失わない明るさがそう思わせるのだろう。中野監督はまたも家族映画の傑作を私達に届けてくれた。
回転木馬のシーンは忘れえぬ名場面
中島京子がアルツハイマーの父を“見送った”実体験をもとにした小説が原作というだけあり、認知症の家族を持った人にとってはあるあるエピソードが満載。実際に介護をしている時には、悲しい、やるせない、振り回されることへの怒り、明日は我が身かとの不安など、さまざまな感情が入り混じって余裕がなくなる。でもお別れの後から振り返ると、なんだか笑えるような状況でもあったなあと。そんなことを思い出させてくれる、あたたかくて愛すべき珠玉作。
「湯を沸かすほどの熱い愛」は中野量太監督のオリジナル脚本で、本作は原作ものだが、一家の大黒柱的存在が緩慢な死を迎える過程と、それに寄り添い自らも変わる家族たち、という要素は驚くほど似ている。これも映画の神様がもたらす奇縁だろうか。俳優陣それぞれが素晴らしいが、認知症の進行をリアルに再現しつつ、じわりとしみるチャーミングさを失わない山崎努の演技力には改めて感服した。
作家が考えたひとつの在り方
小説の映画化作品。
タイトルは、認知症のことを英語で表現した言葉。
英語で表現しなくても、この物語の流れからそれを汲み取ることができる。
さて、
この作品には様々なモチーフがあしらわれている。
そのもっとも根幹にあるのが夏目漱石の「心」
山崎努さんが演じた男(夫であり父であり祖父でもある一家の大黒柱と偉大である者の象徴)の読んでいた本であり、タカシの校長が読んでいた本でもある。
おそらくこの物語では心こそが「すべて」なのだろう。
「男」はいつも「帰る」という。
時に徘徊する。
自宅にいるにもかかわらず、いったいどこに帰るのだと家族は不思議に思う。
物語の中でそれは端然と描かれているが、言葉にしないところがよかった。
それは、過去であり永遠に戻ることのできない想い出の中でありその当時の場所のことだろう。
栞にしている落ち葉は、その時の瞬間を表現している。
最後にタカシが学校を退学する際に拾った葉っぱも、彼の長い人生の中のその時の一瞬を表現している。
それはまさに戻ることのできない過去、そして想い出であり、忘れてはいけないことであり、それがどんなことであれ記念すべき瞬間なのだろう。
冒頭のシーンはまさかの現在のシーンで、あの傘もまた落ち葉と同じ意味を持っている。
あの時の想い出が「男」の中に長い間あったのだろう。
帰りたかったあの頃へ、もう一度行きたかったのだ。
フミには夢がある。
しかし、ことごとく失敗する。
人の役に立ちたいと言ってキッチンカーから去った女子は、毎朝チアリーディングでサラリーマンを応援していることがニュースに取り上げられている。
しかしそれが対価になることはない。
自分が言ったことを最後までやり続けているその姿に、フミは少しだけ元気をもらったのかもしれない。
フミにとっては家族こそが最も大切なもので、父の心の周波数と一番近い存在かもしれない。
だから彼女も本の栞に落ち葉を使っている。
茉莉の家族も問題だらけだが、その茉莉が何度も実家に戻るのは、やはり家族が一番大切だということを表現している。
やがて夫との仲も修復し始め、タカシは自分で考えて自分の道を歩き始める。
元カレからフミに届いたジャガイモは、フミにも春が到来することを告げているのだろう。
人工呼吸器の問題は、おそらく視聴者に向けられた課題だ。
それは、どっちでもありで、自分たちで決めればいいということだ。
さて、、
この物語はテーマ性に富んでいる。
しかしながら、物語としての面白さが抜けているようにも感じた。
テーマがあまりにも重厚で、家族に関する誰にでも起こりうる様々な問題を挙げていることがより一層窮屈さを感じさせる。
家族というテーマの主張があまりにも強い。
ただ、
タカシが自分で考えて決めた退学
彼は校長に、学校を休みがちなことと祖父とは全く関係していないと答えたが、彼が葬式に行ったのは間違いないことで、そこで母たちの家族愛を感じ、それを自分なりに解釈したのは間違いないだろう。
物語の中で「男」の死を視聴者に告げたのは彼で、
男の直系としてタカシは人の心という不確かなものの存在を、元カノから学び、友人から学び、男の死を通して深く考え始めることになったという密かな表現は、この作品を深く考えさせる部分だった。
とてもいい作品だったがテーマ性ばかりが先に立って、私の中には面白さという部分には是非が残ったものの、作家がこの物語で主張した自身の考え方には賛同する。
『ギムレットには早すぎる』 でも、 さようなら♥
『GPS付きの携帯。これなら安心よ』
『何処にいるか知られるの嫌なんじゃない』
『大丈夫よ』
『私がいくら頑張っても家族には勝てないもの』先生は答える
『そりゃな、ギュッとだよ』
『生きている限り、生きていて欲しい』
『KOKORO』を読んでいたマスターは先生と同じように右手をかざした。
少年はあの時と同じように、右手をかざし、僅かに微笑み返した。そして
『さようなら、先生』
追記 卵焼きよりもハードボイルドだど。
頻繁に徘徊する昇平。 友人の葬式に訪れた昇平。 自分の意思とは関係なく万引きしてしまう昇平。 毎日下着を汚してしまう昇平。 ショッキングなシーンが続く。
動画配信で映画「長いお別れ」を見た。
劇場公開日:2019年5月31日
2019年製作/127分/G/日本
配給:アスミック・エース
蒼井優
竹内結子
松原智恵子
山崎努
中村倫也
昇平の70才の誕生日。
2人の娘が久しぶりに実家に集まった。
蒼井優、竹内結子、どっちが年上だったかな。
竹内結子(40才没)が5つ年上だった。
2人は母、曜子から父が認知症になったと告げられる。
ここから2年後、4年後、6年後の6年間の家族が描かれる。
徐々に進む病状。
認知症になりやすいのは教師と公務員らしい。
昇平は中学校の校長だった。
頻繁に徘徊する昇平。
友人の葬式に訪れた昇平。
自分の意思とは関係なく万引きしてしまう昇平。
毎日下着を汚してしまう昇平。
ショッキングなシーンが続く。
映画出演当時74才の松原智恵子。
まだまだ美しさを保っている。
満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
お別れの長さ
監督に詳しくないので、後から「湯を沸かすほどの熱い愛」と同じ方と知って、すごくこの監督の作品は好きだなと感じました。
竹内結子さんが亡くなって1年後くらいに鑑賞したので、彼女がお別れの暇もなく逝ってしまったことが、なんとも皮肉的だと感じた。お別れに必要な長さはどのくらいなのか。お別れに必要な時間はきっと去るものと残されるもので違う。よくペットとかでも自分が帰るまで頑張ってくれた、というようなことがあるが、認知症を患った時間でさえ、去るものが残るものを想って残した愛ある時間に思えた作品。
実際には介護とかって本当に大変だと思うけれど、そうだからこそ少しでもそれを受け入れやすい考え方として、こういうのはありなんじゃないかと感じた。
私の父も最近になり、認知症を患いました。あのしっかりとして頼もしか...
私の父も最近になり、認知症を患いました。あのしっかりとして頼もしかった父が・・・と家族皆、ショックと戸惑いを隠せませんでした。
『長いお別れ』は、父が認知症を患う前に観ていたのですが、改めて観て、以前よりも様々な思いがめぐりました。
ご家族皆さんが、心配しながらも明るく愛情を持って、お父さんに接する姿は、とても勇気をいただきました。
ありがとうございます。
これも一例。
人生晩年で避けて通れない介護。
家族の分だけその接し方、対応方法はあると思う。
こんな家族の在り方を見てみた的な映画。
校長先生まで勤めて定年したお父さん。
そんなカッチリした仕事をしていた人でも、歳をとり発症してしまった認知症には敵わない。
山崎努さんがホント見事な演技でボケていく。
家父長制の家族のようなこの家。
いちいち母親に呼び出され、風呂はお父さんの後じゃないと入れないとか、今どきそんな家えるか??とツッコみたくなるが、そんな家族もまだあるとして見よう。
自宅介護か、施設介護か。
そんな事を考える機会になる。
ここまで出来るか?と聞かれても答えは出せない。
この物語として、この家族はこれでいいのだろう、
是非近未来に直面するこの社会問題。
一例として温かく鑑賞してみましょう。
色々と考えさせられた作品。
映画『長いお別れ』。
認知症を患う父親とその家族の姿を描いた作品。
竹内結子さんが出演しているのも感慨深く見て観ました。
70歳の誕生日を迎えた父親が認知症に。うちの父親も70歳なので色々と考えさせられました。
まだうちの父親は仕事もしていて元気だからよいものの、認知症になったら、、、
考えるだけでぞっとしてしまった、、、
そして、作中の母親の父親に対する愛情の深さ、娘の父親への愛情、家族の絆の深さ、色んなことについて考えさせられる映画でした。
何かあってからではなく、元気な今のうちからめいいっぱい親孝行しようと決めました。
そして、何かの時は全力でサポートする。
色々改めて家族について考えさせられた良品です。
味のある作品
認知症の期間をお別れまでの準備期間と考えるだけで、辛いだけの時間が少しは愛おしい時間に思えるのかもしれない。発想の転換でこうも考え方が変わるものなんだなとハッとした。そのような問題に対面するときがきたとき、この作品のことを思い出したい。
原作≠監督だからなのか
「湯を沸かす〜」以来、中野監督の新作を待ち望み、上映当時もちょっと気になっていた作品。
このテーマ、「ぼくたちの家族」でもあったが、「ぼくたち〜」は母の異常事態に慌てる男家族が微笑ましい感じだったが、今回はとてもリアル😅故にあまり笑えない💦
山崎努の認知症はホントに演技かと思わずにはいられない。それに尽くす健気な松原智恵子、蒼井優、竹内結子の憂いはやだ見。
ただそこがリアル過ぎて笑えない。
なんだか、原作に忠実に😅という気持ちが強すぎるのか、ドラマがない、演出が単調。
認知症の演技は難しいと思うが、山崎があんなに無口になっちゃうと怖い。
松原の手術後のうつ伏せ、顔伏せは、彼女の健気さも相俟ってピッタリながら笑いを含ませる演出で良かったが、そこでも山崎は何も喋らないので、ちょっと怠慢すら覚える🤔
認知症、ちょっと詳しいので言わせてもらうと、割と同じ事を何回も言ったりやったりする方が多いので、そーゆーのでもう少しユーモア入れてもらえると気楽に観られたかな😅
グレシャムさんも言ってましたが、ベッド上で身体をズラす件、観ながら「ギャッチ(上半身)起こせば良いのに😳」とツッコミながら観てました。
結局、おじいちゃんと孫の話だけに終始した方が良かった気もする。
次回は中野監督原作で観たいです。
其々が超ハマり役でこの人以外には無いって言う配役だと思います。 歳...
其々が超ハマり役でこの人以外には無いって言う配役だと思います。
歳を取って呆けると言うことは特別な事柄ではなくて
誰にでもどこの家庭にでもある話で
その上でごく自然に受け入れて深刻振らずに生活していく事の素晴らしさ。
いつか来た道。
やがて行く道。
家族の温もり
生真面目な人生を送ってきた認知症を患う元校長の父親を、時にユーモラスに山崎努さんが巧みな演技で魅せる。
心優しく献身的に支える妻を、松原智恵子さんが魅力的に演じていた。
変わりゆく父親の言動に戸惑い、心を痛めながらも温かく接する娘を蒼井優さんが好演。
父親に娘達が本音で語りかけるシーン、記憶が薄れゆく中でポロリと呟く台詞、愛情深く夫を支える妻の姿が強く印象に残る、優しさ溢れる作品でした。
竹内結子さんの明るい笑顔に、改めて亡くなられた淋しさを感じました。
人生の儚さ
絶対、観たかったのに見逃していたため、アマプラで鑑賞。職業柄、認知症の方を見ることが多いのだが、エピソードが認知症あるあるで、また演じる山崎努の表情、所作、話し方、全てが認知症の人にしか見えなかった。役者ってすごい(山崎努が凄いのか)。
内容も決して、認知症が悲しく、悲惨なものとしては扱ってはいない。
山崎努が亡くなったのは84歳、まあ、納得出来ない年齢ではない。
しかし、竹内結子は40歳で自死、いろいろ理由はあろうが、こんな大女優が何とかならなかったものかと悔しい限り。
そして、蒼井優はこの映画の公開直後に山ちゃんと結婚したのだ。
認知症の家族が受け入れるひとつの幸せ、ユーモアと涙を誘う暖かい作品
正直、泣きっぱなしになるかと思っていたのだが、ちゃんと笑わせてもらった。認知症を患った父とその家族を描く、優しくて暖かい物語。
認知症という、現代では切っても切り離せないテーマで、認知症の父の7年間の"長いお別れ"を描く。父は記憶を無くしていくのに、どこか家族を明るく、いい方向に連れて行ってくれるような暖かみがする。中でも、メリーゴーランドのシーンはずるい。若かりし頃の記憶だけが残る父の求めていたものが分かったとき、ウルウルと涙腺を刺激してくる。また、『上を向いて歩こう』も作品のエッセンスとして涙を誘う。また、主演が「誰って決まっているわけではない」のがいい。ギューッと誰かをしたくなるような暖かさがユーモアのひとさじとして効いている。
何やかんや『浅田家!』も『湯を沸かすほどの熱い愛』も観れていない。中野量太監督の得意とする、人間関係を上手く描きながら感動の大団円を導くスタイル。また時間があれば、他の作品も観てみたい。
長いお別れの始まりが来る前に
観て良かったです。観る前は、重そう・悲しそうというイメージがありましたが、そんな事は無かったです。愛情に溢れていて、親や家族や自分自身の生き方が愛おしく思えるような映画でした。
私の親も今は元気ですが、昔と比べるとやはり年をとったなぁと感じる事もあります。仕事の事や自分自身の将来の事とか考え出せば不安は尽きませんが、その上親までどうにかなってしまったら、、、と思うと気が重くなるばかりです。
この映画に出てくる二人の娘もやはりそうです。長女は夫や年頃の息子との関係に不安を抱えつつも、慣れない海外暮らしでどこに気持ちをぶつけたらよいのかわからない状態。次女はカフェをやりたいという夢はあるけど現実は厳しく、恋人にも裏切られ放心状態。そんな中、父の認知症は少しずつ、そして確実に進んでいきます。
頼もしかった父がどんどん遠くなっていく。そばで献身的に支える母も体調を崩す。この先どうしたらよいのか。施設へ入れた方がいいのか。自分達はどこまで父母を助けられるか。色々な不安が伝わってきます。
でも、この映画が素敵だと思ったのは、そんな娘二人が認知症の父と接する事によって、昔の思い出がよみがえり、父の愛や家族の絆を再認識できた所です。人生上手くいかない事ばかりで疲れ切っていた心が温かくほぐれていく様子に惹き込まれました。
現実の介護では愛情とか思い出とか言う余裕は無いと思います。でも、将来自分が実際に介護をする立場になった時、この映画を観ていたのと観ていないのとでは、気持ちの土台となる部分が違うだろうなと感じました。現実の介護はこの映画みたいに美しいものではなく、汚いもの・臭いものを見たり触れたりするだけではなく、お金や時間の問題、家族同士の対立等、生半可なものではないと思います。でも自分の心の底にある愛情を感じる事ができれば何とか乗り越えられるのではないかとも思えてきます。
今までの自分を振り返ってみると、父母に対し、雑に接したり、生活面で甘えたりしてしまっていました。親の将来のいつかを心配するよりも先に、まず自分自身が精神的に自立し、長いお別れの始まりが来る前に、少しでも多くの感謝を伝えられたらと思いました。
きれいな映画
なにの前知識もなく、
たまたま誤ってクリックされて再生されたのを観賞
ストーリー、役者、テンポ、描き方、
どれも良かった
すごくフィクションで、すごくノンフィクション
介護疲れや忘れられる悲しさ寂しさ、
お金の問題や諸々現実的な重さは描かれない。
唯一スーパーでの一件では社会の当たりが強いけど
(これはこれであまりに店側の対応が非道で
リアリティがない)、
基本的に優しくてきれいな世界。
でも蒼井優周りだけは結構現実的だったように思う。
恋愛や仕事、人生に対する考え方や行動の仕方も、
普段のさりげない立ち振る舞いも、
末っ子!ていう感じだった。
要領の良さ、人間らしい狡猾さ、感受性の高さ、
無邪気でいつまでも残ってる子供っぽさ。
延命治療の説明時に診察の簡易ベッドに座るところは
特にらしさが現れてるな、と思った。
認知症の映画、と思って観たら
物足りないかもしれないし、
今実際介護をしてる家族として観たら
こんなの作り物すぎる、
って不快になるかもしれないけど。
心が洗い流される、とかそんな大げさなものではなく、
家の湯船に浸かってひと息ついたときみたいな
束の間いろんなものから解放される
きれいさがあった。
竹内結子の演技は相変わらず竹内結子だったけど、
現実世界の竹内結子のことを想うと
あの泣きの演技も微笑ましく、悲しく、
あれはあれでスパイスに思えて。
ただ息子役の子だけは残念だった、、
期待の子役、若手、って雰囲気の演技だったけど、
演技がいかにも過ぎて。
ああいう役は逆に素人っぽいというか、
素でちょっとやんちゃしてるジャニーズみたいなのが
良かったんじゃないかと思った。
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