「混沌が生きている映画」マンディ 地獄のロード・ウォリアー ゆばさんの映画レビュー(感想・評価)
混沌が生きている映画
キンクリのエピタフが(こちらが不安になるほど)悠長に流れるオープニングや、メタルバンド風のゴテゴテのフォントで各章のタイトルが彩られているのを見て、この映画はプログレとメタルのエクスペンダブルズなのだと次第に理解していきました。
確かに作中には過剰で、冗長で、不自然な箇所が沢山あります。もっと整理して洗練させたり、メリハリをつけてエンタメとして突き抜けさせたりできそうな隙を、素人目にも抱えているように見えます。
ただしこれは意図的に、プログレとメタルの世界観から、精密に映画に落とし込まれた隙、言い換えれば歪さなのだと思われます。
主旨の明確な、展開の巧みな、無駄のない映画が望まれる一方で、歪な映画にも需要があります。
少し前の『ブレードランナー2049』でも、どこから見ても及第点以上、満点に近い続編なのに、あと少しだけどうしても許せない、ブレードランナーとは認識できないといった、複雑な感情を吐き出すような批判を、公開当時よく見かけました。
(私個人も前作に最大限の敬意を払ったSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の映画化だったと思います)
前作と2049の間に何が有って何が無かったかというと、このマンディ…に生きているような歪さ、混沌だったのではないかと思います。
人間は長らく映画を作り続けてきて、体感的にですが、一定水準以上の作品を生み出すペースが早まってきているような気がします。
ある程度辻褄の合う、ある程度起承転結のある作品を生み出すのが難しくなくなると、歪さのある映画というものがどんどん希少になってくることでしょう。
一方で人間の中の歪さがゼロになることは(恐らく)ないので、歪なものを見て安心する、歪さの中に居場所を見出す人にとって、混沌のある映画との出会いは祝福すべき出来事に数えて良いはずです。
プログレとメタルという共にバランスを欠いた音楽の歪さを、このタイミングで再び見出し、一切の嘲笑を伴わずに表現した『マンディ 地獄のロードウォリアー』を、意味のわからない駄作ではなく、混沌が生きている作品としてより多くの人の記憶に残ることを願います。
また本作が単なる小手先のカルト狙いの映画に成り下がらなかった理由として、役者陣の技術、気迫があげられると思います。
特に実際のニコラスケイジとオーバーラップする、人付き合いが苦手でテレビやアメコミに没頭するレッドにとって、奥さんのマンディと、マンディの描くイラストの世界が拠り所なのだと短いシーンで伝わってきますし、ジェレマイアにも小物だと分かっていながら「ひょっとすると不随意的に何らかの神意を受け取る力があるのかも」と思わせるカリスマ性を感じました。
最後に私は結構な野蛮人なので、火がボーボーと燃えて太鼓が鳴って復讐の為にカッコいい乗り物にのって敵を殺しに行く映画というだけで9割9分9厘楽しめました。チェーンソー対チェーンソーのしばき合い最高!!
野蛮人の自覚がある人は上の文章はどうでもいいのでさっさと見て欲しいです。